ルビッチ・タッチについて
− Laughter in Paradise − *12*
ジョセフ(ジョー)・スケンク
ザナックが映画の製作をする一方、取締役会長だったジョー・スケンクはいわば金庫番のような役目を担っていて、現場の裏の部分を取り仕切っていました。ザナックが方針を立て、スケンクはその方針を実行に移すための手段を講じるという役目です。先のデビット・ブラウンは述懐します。「スケンクは金庫番でした。しかし彼は単なるお金に関する仲介者というわけではなく、実行される物事の推移を見守っていました。スケンクが脚本に目を通していたとも思えないし、ザナックが個々の映画についてスケンクに意見を求めることもなかったのですが、契約や取引といった商売上に関することについてはスケンクに相談していました。ザナックより年上でゴッドファーザーと慕われていたスケンクは予算がオーバーしそうになった時などは問題を解決してくれるトラブルシューターでもありました。ジョー叔父は本当に高潔で信愛すべき誠実さを持ち合わせており、ひとたび彼の元に問題が持ち込まれるとたちまちそれを解決してゆきました。ハリウッドでは表に出る人物の後ろにはクリエイティビティを侵すことなく金銭面の面倒だけを見てくれる影のパートナーが必ず存在していたのですが、ザナックにとってスケンクはまさしくそのような存在でした。
強大な権力を有する映画製作者。スケンクはその権力を畏れられる人物と言うよりむしろ彼の持っている品位を愛されている数少ない人物でした。サイレント映画時代、スケンクは女優のノーマ・タルマッジと恋に落ち結婚しました。ノーマの母親であるペグを喜ばせるためだけに、陽気で気まぐれな”ダッチ”のニックネームを持つ妹のコンスタン・タルマッジをアニタ・ルースと夫のジョン・エマーソンに預け、映画を作らせます。そして二人は彼女を起用して、当時威勢の良い爽やかさで興行的にも大成功を収めていたダグラス・フェアバンクス映画の女性版コメディ・シリーズを作りました。
ある日スケンクはルースとエマーソンの二人をオフィスに呼びました。「私がダッチ(コンスタン・タルマッジ)を君たちの手に委ねたのは、ただ義母のペグを喜ばせたかったからだ。だからこの映画がお金を稼いでくれるなんてまったく期待していなった。しかし、このシリーズは興行的に大成功し大金を稼ぎ出してくれた。だから君たちに少しばかりのボーナスをやりたいと思う」彼はそう言って二人に5万ドルの小切手を手渡しました。
誰からも物静かで優しい男として思い出されるスケンクは自分の家の執事の娘もわが子同様に可愛がり、贈り物も惜しみなく与えました。しかしルビッチがフォックス社にやってきた時には、10年に渡るスケンクとノーマ・タルマッジの結婚生活は終わりを迎え二人は離婚していました。ビバリーヒルズにある広大なスペイン風のしっくいのある邸宅のリビングルームには等身大の女優の写真がかけられていました。しかしよく知られているように、実務家のスケンクはタルマッジへの忘れがたき感情を抑えながら、フォックス社で従順な若い女優達を売り出す仕事に力を入れました。
そういうわけでルビッチはスタジオで年老いて落ち着いた指導者とその横で神経質そうでありながら活気に満ちた爆竹のように勢いのある男を見ることとなったのです。ザナックの圧倒的な自我の強さのため20世紀フォックス社ではパラマウントでは許されていた監督に映画の決定権を持たせる慣習は作られませんでした。フォックス社はウォルター・ラングやヘンリー・ハサウェーのような有能でプロフェッショナルな技量を備えた監督と長期契約を結んでいました。ルビッチはこのように言っています。「彼らはただ脚本通りに撮影しただけだが、信頼されるべきセンスを持ち合わせていた。フォックス社での監督の仕事は撮影と同時に終了し、編集などのポストプロダクションの作業はザナックが引き継ぐのです。」
「ザナックは監督の存在を必要悪だと考えていました」フィリップ・デュンヌは述懐します。監督だけが最終編集作業から締め出されるのではなく、ザナックは脚本家が執筆中の時にもめったに口出しすることはありませんでした。フィリップは続けて言います。「ザナックは自分のために働いてくれる人間を本当によく理解していました。誰をいじめて、誰を丸め込むべきかということもわかっていました。私はマイケル・カーチスが奴隷のように扱われるのを見たことがあります。でも私やナンシー・ジョンソンはそんな扱いを受けなかったし、ましてやルビッチに対してそんな非礼な真似をしなかったことは確実です。ザナックはそれぞれの人物と仲良くやる最良の方法を知っていて、それは重役としてうまくやっていくためのコツでもありました。ジョン・フォード、ジョセフ・L・マンキーウィッツあるいはルビッチのような尊敬すべき精力的な監督に対しては口出ししない慎重さを十分に持っていました。
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