ルビッチ・タッチについて
− Laughter in Paradise − *10*


トゥラ夫妻と劇団員達


「生きるべきか死ぬべきか」は”An Ernst Lubitsch Production”というルビッチ本人の手書きのサインから始まります。場所はポーランドの首都ワルシャワ。アルフレッド・ラント(舞台”Clarence”で成功した米国の俳優)とレン・フォンテーン(アルフレッドの妻で女優)の夫妻をモデルにしたヨーゼフとマリアのトゥラ夫妻が率いるさえない劇団の話です。トゥラ夫妻はどちらも生まれつきの自己中心的な人物。妻は心を取り乱している夫にキスをしながら「キスはメーキャップを台無しにする」と言うような性格。彼女は若いハンサムな爆撃手との恋愛遊戯を楽しんでいて、夫が舞台でハムレットの有名な長セリフ「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」と言い始めると観客席から男が立ち上がってドタバタと移動し、逢い引きの場所である彼女の控え室に赴くのです。この名ゼリフの途中での移動は俳優として高い自尊心を持つ夫ヨーゼフを落ち込ませる唯一のことでした。
恋でメロメロになった若いハンサムなパイロットはマリアの控え室で告白します。
「私は初めて女優さんにお会いするもんで・・」
マリアは答えます。
「私も2分間に3トンのダイナマイトを落とす方とお会いするのははじめてよ、大佐さん」
ほんの脇役でさえマリアの華やかで気取った毒気にあてられるシーン。スタッフの一人が「ここで笑いが起こるはずだ」と言いましたが、ルビッチは「ここは笑いが入るシーンではない」と制します。シャイロックを演じることを熱望している下っ端俳優を演じていたフェリックス・ブレザードは撮影ではいつもルビッチの代弁者の役割を担っていた素晴らしい俳優でしたが、この時彼はこの口論に口を挟みます。「このシーンで笑いを入れたら、笑うべき対象を欠いた笑いになってしまうだろう」
しかしながら1939年8月、根っからの自己中心的なトゥラ夫妻でさえも現実の状況を無視できない事態となりました。彼らの上演していた反ナチの芝居は上演禁止を言い渡され、急遽「ハムレット」に変更せざるをえなくなったのです。その後、ワルシャワはナチの軍隊に占領され、その「ハムレット」の上演も打ち切られます。
ポーランド愛国者のふりをしていたナチ党員のスパイのシレツキー教授はポーランドの地下組織のメンバーのリストを持って故郷に戻ります。トゥラ夫妻とさえない劇団員達はポーランド地下組織を守るため売国奴シレツキーを暗殺することに協力します。
「生きるべきか死ぬべきかは」はバックステージものの喜劇として始まり、戦争中のシリアスなドラマとなり、しだいに喜劇とシリアスなドラマという構成要素が混じりあって、最後はまた喜劇で幕を閉じます。全編を通してルビッチは複雑に入り組んだプロットの糸の一本一本を掛け違えることなくつなぎ合わせ、これまでで最も完成度の高い脚本を作り上げました。
ルビッチはこの映画に前作「街角の店」と同じテーマを取り入れています。巧みな感情表現を持つ登場人物達を物語を通して成長させ最後に大きな前進を遂げさせます。団結力がありながら絶滅の危機に瀕した共同体。お互いがまず第一に信頼しあっている兄弟のような小さなグループ。トゥラ夫妻や劇団員達は俳優としてはお粗末かもしれませんが、互いに良き友人であり、商売道具である演劇という武器を使って自国を守り、そのために命が危うくなることさえ気にしません。
いつものようにルビッチは登場人物達をより明解に特徴づけるようなキャスティングをしています。ベニーの悲痛に満ちた不変の虚栄心、ロンバートの輝くばかりの快活な優雅さとどこまでも現実主義的な人間臭さ、そして驚くべきセリフ回し。彼女の陽気な「Bye!」はベルがチリンと鳴るような軽さがあり、ラヴィッチ役のライオネル・アトウィールの安っぽいハミングと絶妙にマッチしていました。
ルビッチはこの映画を注意深く構成しており、笑いは登場人物のおかれたシチュエーションよりもむしろ彼らの持つ個々のキャラクターから引き出されています。シチュエーションというのは登場人物達のキャラクターを強調する役目を担っており、例えばナチのふりをしていたヨーゼフがエアハルト大佐に「みんながあなたを”収容所のエアハルト”と呼んでますぞ」というシーンがありましたが、ここで自分のことを偉大なる俳優であるという賛辞を求めることをがまんできず、最悪の事態が起こりうることをわかりつつも虚栄心をパッと燃え上がらせてしまうのです。結局「彼の芝居はナチの行為に劣らず壊滅的だ」と言われ、賛辞を引き出すことは不成功に終わりますが、ヨーゼフはどんな緊張感の中でも抑えようのないぐらいの強い虚栄心を持っており、その彼のキャラクターが笑いへと結びつくのです。
死につつあるシレツキー教授の血に染まってテカテカしたコートは、スタジオで用意された衣装のひとつでありながら奇妙にリアルな印象を与えます。ヨーゼフとマリアは自分達の主たる活動場所である舞台では与えられることのなかった栄誉を戦争中に手にするのです。「生きるべきか死ぬべきか」は首尾一貫して陽気で笑いを誘う映画に仕上がっていますが、このセンスは登場人物達のキャラクターに支えられています。不平不満を言うことなく、自分自身をなげうち美徳に殉じる彼らの姿勢に感動させられるのです。滑稽ではあるけれどもそれは本物の勇敢さであり、彼らは演技を通しては決して到達することのできなかった崇高さ、高潔さを手にするのです。
ジェームズ・ハーヴェイが指摘するように、「ヨーゼフ・トゥラのシェークスピア劇はナチがポーランドにしていることに劣らず壊滅的だ」というセリフはこの映画をブラックコメディたらしめていて、レベルの低い風刺のようにみえるこのセリフは当てずっぽうの偶然に生み出されたものではなく、ナチの権力礼賛の態度を意図的に揶揄したものです。映画の中のナチは怪物でもあり一般大衆でもあるという風に描かれました。ルビッチは当時悪魔のように見られていたナチに対して、観客が身構えることなくありふれた親近感のある存在に感じるようなシチュエーションを映画の中で作り上げたのです。
ルビッチに対する批評家達の辛辣な意見は過去20年以上の間このようなタイプのブラック・コメディはなかったという単純な事実から引き出されていました。ジョージ・スティーブンスが「The More the Merrier」で、レオ・マッケリーが「Once Upon a Honeymoon」で戦争を陽気でありながらもセンチメンタルに描いていたときに、ルビッチはあえて迫害者と犠牲者を同じように風刺的に扱ったのです。
批評家達にどれほど酷評されようとも、ルビッチとジャック・ベニーの互いへの賞賛には何ら影響はありませんでした。1942年11月の第1週、ベニーの魅力を見事に引き出した映画「The Meanest man in the World」の撮り直し分と追加の撮影をルビッチは依頼されます。ダリル・ザナックに対する配慮もあってクレジットこそされませんでしたが、ルビッチはベニーへの好意から喜んでこの仕事を引き受けました。ルビッチによって演出されたベニーとエディ・”ロチェスター”・アンダーソンとのからみはこの映画にあって欠くことのできない魅力的なシーンになりました。後年ベニーは自分の本当に好きな映画として「Charley's Aunt」「george Washington Slept Here」「The Meanest man in the World」の3本をあげ、そしてもっとも愛すべき1本は「生きるべきか死ぬべきか」だと言っています。



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