ルビッチ・タッチについて
− Laughter in Paradise − *9*
ジャック・ベニーとシグ・ルーマン
バラエティ誌は「生きるべきか死ぬべきか」を『典型的なルビッチ作品。長年にわたって作られてきた彼の映画の中でもベストのひとつで、好評をもって迎えられるであろう魅力溢れる作品』と評しました。ナショナル・ボード・オブ・レビュー・マガジンはこの映画に好意を寄せましたが、『この映画の持つ温もりと真摯さの混合は多くの人には受け入れられないものだ』として最高の評価を下すことを躊躇しています。『穏やかで気品ある演出がこの映画のテイストにあっていないという意見が出るのは避けられないことでしょう。この演出のために耳障りに感じたセリフもありました。』
ニューヨークのモーニング・テレグラフ紙はこのように評しています。『ルビッチは巧みなアプローチとキュートなアイディアで工夫を凝らしました。もしこれがワルシャワ以外の他の場所が舞台であったなら、ルビッチのこれまでの映画の中で最良の1本になっていたでしょう。』これまでご婦人方のプライベート・ルームで起こる些細なことを表現するのに専念し、しばしばあざけられてきたルビッチですが、この映画では真摯な題材を選び病的なまでに自分自身を追いつめたばっかりに酷評されていました。特にニューヨークタイムズの硬派で信頼の厚いライターだったボズレイ・クローザーは手厳しく、このように評しています。『無情なるコメディ。リアリズムとロマンスのぞっとするような融合。率直に言って、妄想と事実を並置したこの映画のユーモアはほとんど理解されないであろう。不自然なまでに気取ったプロットと私たちの時代の大きな悲劇である国家の苦悶との接点はどこにあるのか?ルビッチは笑いのためなら何でもやるという態度でこの映画を作っているにちがいない。』
「それは悲劇でした」ロバート・スタックは述懐します。「マスコミの連中はルビッチはポーランド情勢をからかっている傲慢な奴だと悪評ばかり言っていましたが、彼自身がドイツからやってきたユダヤ人だったのです。この映画はこれまで作られた映画で最も風刺に富んだものであり、ナチズムに対する強烈な反発でもありました。しかし当時の批評家達はルビッチのやっていることを理解できるセンスを持ち合わせていなかったのです。」
悪評はマスコミだけではありません。ウェストウッドのビレッジシアターでの試写会ではエアハルト大佐がヨーゼフ・トゥラに対して言うこのきわどいセリフのシーンになると重苦しい沈黙に包まれました。「ヨーゼフ・トゥラのシェークスピア劇はナチがポーランドにしていることに劣らず壊滅的だ」
試写会の後、ルビッチと妻ヴィヴィアン、チャーリー・ブラケット、ビリー・ワイルダー、アレクサンダー・コルダ、ベンリー・ブランケ、ウォルター・レイヒの7人は映画の感想会のためにサンセット大通りのナイトクラブへ行きました。多くの咳払いととりとめのない会話の後、ヴィヴィアンが口火を切ってこのセリフを削除することを提案し、他のみんなもそれに同意しました。ウォルター・レイヒはこの時のことを憶えています。「エルンストは映画のテイストの不足を指摘されたことにひどく驚いて顔面蒼白になり、口にくわえていた葉巻は震えていました」
親しい友人達の満場一致の反対意見があったにもかかかわらず、このセリフは映画の中にそのまま残されました。映画公開後、ルビッチはこのような酷評に傷つけられ、ニューヨークタイムズ紙の記事に対しては自ら反論を寄せました。『私はナチの恐怖を描写するのに普通とは違うやり方でやったことは認めます。しかし実際の拷問部屋は映画の中には出てきませんし、鞭打ちの描写もありません。、欲情して鞭を振り回す興奮したナチのクローズアップもありません。そんなやり方はとうの昔のもので、私は別のやり方をしたのです。鞭打ち、拷問などの野蛮な行為はナチの兵士にとっては日常のルーティン・ワークとなっていました。ナチはハンドバックを売るセールスマンのような自然な感じで自分達のしている残酷な行為について話をしていました。彼らのユーモアは犠牲者達の苦しみによって支えられていたのです』
ルビッチはいつも自分の作品の持つ気品にプライドを持っていました。あまり知られてないことですが、ポーランドという国の強奪とそこで行われる戯曲の検閲との相似性を題材とした「生きるべきか死ぬべきか」のアイデアは救いようがないほど厭世的で人間嫌いだったW.C.フィールズの作品にインスパイアされたものなのです。
1年あまり後の次作「天国は待ってくれる」の公開前、前作の悪評の傷が十分に癒されたこの頃になってようやくルビッチは最も好きだったこの映画の元ネタについて話をしてくれました。「盲目は人間が味わう苦痛の中でももっとも恐ろしいことなので、私は映画の中で盲目者をギャグとして扱うことを禁じていました。しかしある日パラマウント社でW.C.フィールズの「It's a Gift」という映画を見たのです。それは盲目の男のコメディでしたが、私はおかしさのあまりずっと笑いっぱなしでした。それから映画を作るのにルールなんてないってことがわかりました。大事なのは物事をどのように描くか、それにつきるってことを」
「そうしてポーランドの悲劇を人々に訴えかける唯一の方法がコメディを作ることだって考えるようになりました。悲劇的な状況の中でもまだ笑うことのできる登場人物達を見て観客は同情と賞賛を感じるのではないだろうかってね」
それからいつものようにルビッチは当代きっての口やかましい毒舌を交えながら「私は自分が作った作品の本当の価値をわかっている」と示唆しました。「第一次世界大戦後に公開された映画で一番印象に残った映画とは?私にとってそれはグリフィスの「世界の心」や他の悲劇的な映画ではなくチャップリンの「担え銃」なのです」
チャーリー・チャップリンとルビッチ
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