ルビッチ・タッチについて
− Laughter in Paradise − *7*


キャロル・ロンバート


1942年1月16日、キャロル・ロンバートと母親はインディアナポリス空港から17時間後にロサンジェルス空港に到着する多目的地停着の飛行機に乗り込みました。しかし数分後の午後7時にその飛行機はラスベガスから数マイル西のオルコット山に撃落し、同乗していた22人すべてが即死しました。
大変危険な状況でした。飛行機は山頂から120フィートの下の地点に衝突したのです。本来ならこの飛行機はアルバカーキからボールダーへ向かう予定でした。しかしボールダー空港には夜間照明がなく、飛行機が到着する頃はもう日が暮れていたので、パイロットのウェイン・ウィリアムズはラスベガスへ向かうように指示したのです。後にわかったことですが、この飛行機がコースを離れてさまよっていた理由は、ボールダーへ向かっていた間のロスタイムをなんとか縮めて予定通りの時間にロスに着こうとしていたからだとされています。
ルビッチの元養子だったエディは当時TWA航空で気象学者として働いていてパイロットの親友でもありました。ウェイン・ウィリアムズは優秀なパイロットとして広く知られていたので、この事故のニュースはパイロット仲間の間でも肝をつぶすほどの驚きを引き起こしました。120フィートの高さが足りなかったのはウィリアムズが飛行機に乗っていたロンバートと話をしていてこの事態に気付かなかったからだという噂まで出る始末です。連邦空港管理局で定められた飛行機の必要とする高度は最低1000フィートで、それはパイロットの常識でした。
クラーク・ゲーブルのこの事故に対する反応は、悲しみと罪悪感が入り混じった複雑なものでした。「クラークは事故の後、自分も死にたいとは言いませんでしたが、ほとんどそれに近い感情を持っていたと思います。」ロバート・スタックは当時を振り返ります。「クラークはひどい罪悪感にさいなまれ、自分が死のうがどうなろうがどうでもいいという態度をとるようになりました。かなり後になって彼はケイ・スプレックスと結婚しましたが、彼女もまたキャロルに似た素晴らしい女性でした。」
ロンバートの死は映画「生きるべきか死ぬべきか」に追加の編集をさせることになります。それは「飛行機の中で何が起こるっていうの?」という不幸なセリフを削除するためで、この再編集のために3万5千ドルの費用がかかりました。そしてこの映画の最終的な製作コストは102万2千ドルになったのです。
ルドルフ・バレンティノの「熱砂の舞」、マリリン・モンローの「荒馬と女」がそうだったように、映画公開前のスターの死は興行成績に悪影響を及ぼす前触れというジンクスがあります。ロンバートの死はユナイテッド・アーチスト社を困惑させました。ロンバートの取り分だった映画の収益の1%の半分を映画救済基金に寄付する契約上の条項が有効であるかどうかをめぐって、おびたたしい量の手紙がやりとりされています。



メインページへ戻る/ 前頁へ/ 次頁へ/