ルビッチ・タッチについて
− Laughter in Paradise − *6*


キャロル・ロンバートとジャック・ベニー


翌年の1月初旬、ルビッチが映画の編集を始めた時、ユナイテッド・アーチスト社は「生きるべきか死ぬべきか」というタイトルを変更するように命じました。シェークスピアの戯曲「ハムレット」からの引用であるこのタイトルは小難しすぎて、観客に映画の内容を誤解させ、興行にも差し障るのではないかと不安に感じていたからです。ルビッチはよく考えた後、「The Censor Forbid」(検閲機関は禁止する)という代替のタイトルを提案しました。このタイトルの変更がすぐさまベニーとロンバートの怒りを買うこととなり、主役二人に以下のような電報を打たせることになったのです。
『この映画の出資者、そして出演者として映画の利益のために申し上げたいのですが』ロンバートは1月13日にユナイテッド・アーチスト社の社長グラッド・シアーズ宛に電報を打ちました。『私はこのタイトルの変更によって自分のこの映画に対する投資が危険な状況になると感じています。「The Censor Forbid」というタイトルは劣情を誘発するようなきわどいものであり、この映画の素晴らしいテイストにそぐわないと思います。この映画の精神を何も呼びさまさないし、このタイトルの変更が御社がにとって重要であるとも思えません。私はこのタイトルの元で映画が公開されることに強く反発を感じます。もしタイトルが変更されれば私は自分の投資した金額の返却を求めます。私はオリジナルタイトルの「生きるべきか死ぬべきか」を変えることのないよう強く主張します。私のこの主張は物語の内容に則したものです。どうか願いをお聞きいれ下さいますようお願いします。』
ジャック・ベニーの抗議は更に激しいものでした。『私はタイトルの変更に断固として抗議します。この「The Censor Forbid」というタイトルはきわめて劣情を誘発するものであり、私の雇用契約の条項にも反するものだと考えています。私はこれまでにラジオや多くの映画で自分の名前と映画のタイトル、ラジオの番組名を結びつけ、長年の間、健全でクリーンなユーモアの持ち主というイメージを培ってきましたが、このタイトルと私の名前を一緒にすると私は取り返しのつかないダメージを受けることになります。私は率直に御社に意見を申し上げます。この映画の健全なユーモアをそのまま反映させるようなタイトルをつけることをご再考下さい。観客を煽るためにセンセーショナリズムに身を落とすようなことは決してあってはなりません。どうかこの願いをお聞き入れ下さい。』
ユナイテッド・アーチスト社の社長グラッド・シアーズは「生きるべきか死ぬべきか」では絶対に興行的に成功しないと内心は思っていましたが、ロンバートとベニーの電報を読んだ後、「The Censor Forbid」というタイトルはルビッチの考えたもので、現在このタイトルに代わるタイトルを検討中であるという内容の手紙を二人に送りました。
同じ日にルビッチはシアーズに代替のタイトルの件で電報を打ちました。『投資者で出演者でもあるロンバートとベニーはこの映画を価値あるものにしてくれた功労者なので、二人の多大な協力に応えるためにも二人の言い分について考えなければならないと思います。二人は単にこの「The Censor Forbid」というタイトルが気に入らないわけではなく、映画館主達がふしだらなセックスを宣伝する目的でこのタイトルを使うことを恐れているのです。そして私はそのような可能性が存在することを否定できません。ジャック・ベニーのラジオ番組にはとてつもない宣伝力があります。彼は自分の番組で「The Censor Forbid」を口にすることをきっぱりと断りました。ユナイテッド・アーチスト社の営業部は「生きるべきか死ぬべきか」というタイトルについて抗議してきましたが、変更を命じられても私は決して譲歩はしてません。普通と違うことをやろうとするといつも抗議されることを私は知っています。私は「生きるべきか死ぬべきか」というタイトルが映画にマッチしているだけでなく、映画のいくつかのシーンの意味を拡張し、強調するものだと信じています。』
『もし”暗黒街の顔役”の俳優であるポール・ムニが「独裁者」というタイトルの映画に出演すれば、観客はチャーリー・チャップリンが同じタイトルの映画に出るのとは違う期待を持って映画館の中に入るでしょう。もしジャック・ベニーが「生きるべきか死ぬべきか」というタイトルの映画に出演しても、誰もベニーがジャック・バリモアやジョン・ギールグッドのライバルとは思わないだろうし、アメリカ全土にわたるラジオの聴取者は説明不要の面白さを期待して映画館へ向かうはずです。』
ルビッチが提案した「The Censor Forbid」という代替のタイトルは実際恐ろしいぐらいに大きな波紋を投げかけました。主演二人の息の合った反感を買うことになり、自分のラジオ番組で宣伝を差し控えるというベニーの脅しまで引き出すことになり、結局ユナイテッド・アーチスト社は「生きるべきか死ぬべきか」というオリジナルタイトルで公開するという決断をせざるをえませんでした。
しかしこの映画をめぐるトラブルはまだまだ続きます。映画に音楽をつける作業に入った時、ルビッチはウェルナー・ハイマンがドラマチックに盛り上げなければならないシーンにミッキーマウスマーチのような音楽をつけたことを知り激怒しました。それは役者達の肉体の動きを表現した音楽でしたが、シーンが安っぽく見えてしまったのです。ナチを風刺した脚本を読んで弱気になり音楽担当を断ったものの、この映画の音楽監督になっていたミクロス・ローザがスタジオに呼ばれ、怒り狂ったルビッチに直面しました。彼は音楽監督として管理が不行き届きだったことをルビッチから責められ、一体どういう意図があってこんな音楽をつけることを許したのか問いただされました。
朝10時、ミュージシャン達はレコーディング用の舞台で待機していました。夜の6時までしか時間はなく5分の超過時間の予算さえもありません。ローザはシーンを見て時間を計り、オフィスへ戻り、譜面書きと管弦楽編曲者を呼び作曲を始めました。4時までにこのシーンの曲が書かれ、レコーディングは3分間で終了。ルビッチは喜び、ウェルナー・ハイマンはローザのおかげでトラブルから救われた感謝のしるしとして、拳闘用の子犬をローザにプレゼントしました。



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