ルビッチ・タッチについて
− Laughter in Paradise − *5*


ロバート・スタックとキャロル・ロンバート


俳優達はこの映画をめぐる金銭的なトラブルを心配していましたが、そんな彼らの不安を見透かしていたかのように数々の不安な前触れがありました。警備隊が街を演奏しながら歩くシーンの撮影日、占領されたポーランドからやってきたばかりの一人の女性がセットを訪れたのですが、彼女はそのあまりのリアルさに卒倒しました。プロデューサーのコルダから音楽担当に命じられたミルコス・ロンザはこの映画のスコアを書くことになっていましたが、ナチを風刺した脚本を読んで弱気になり、きっぱりと仕事を断ったので、代わりにウェルナー・ハイマンが音楽担当に命じられました。
ロバート・スタックはあるシーンでルビッチの意図することがうまく飲み込めなくて悩んでいました。ルビッチは背中の後ろに手を組んで少しの間あちこちと歩き回り、またセットに戻ってきます。「ボビー、こうやってみるんだ」と言ってスタックの役を自分自身で演じて見せるのです。
「ルビッチは大袈裟に誇張した感じでそのシーンを演じました」スタックは述懐します。「その風刺的な演技を見て、私は彼の意図をすぐに理解し、気分的に楽になりました。そうして思い通りに演技ができるようになったのです。」
ルビッチはすべてのことをうまく管理し続けてゆく能力を持っている、スタックはそう考えていました。「ルビッチはルネッサンス的教養人で、何でも自分でやりました。彼は俳優であり、脚本家であり、カメラマンであり、監督でもあったのです。 決してそれぞれの仕事を分けて考えることはありませんでした。皆さんご存知の通り、当時そんなやり方は珍しく、脚本家は脚本だけを書き、美術はセットだけを任されるという具合に、それぞれの与えられた持ち場の仕事さえすればよかったのです。例えば私は「The Mortal Storm」という映画で監督フランク・ボルザッジと一緒に仕事をしましたが、フランクは何もしませんでした。撮影現場にやってきて、うまくいってるか確認するとパイプに煙草を詰め、背中をこちらに向けて煙草を吸い始め、俳優達に演技させたのです。ほとんど役者まかせでした。でもフランクのキャスティングは完璧だったのです。もし才能のない人間がそんなことをしたら、とてもじゃないですがうまくできなかったでしょう」
「でもルビッチはエゴむき出しという人物ではありません。どんな時でもオープンで俳優達を愛していたことは私の目から見ても明らかでした。ジャック・ベニーは俳優になり切れてない部分があったので、彼に対してはちょっと荒っぽくなることはありました。ベニーが家に帰ってきて私がベッドで眠っているのを見つけるシーンがありましたが、その直後のシーンを含めて少なくとも30回は取り直しましたね」
時にはルビッチの厳しい要求もありましたが、映画は穏やかで温かみのある愛情に包まれた雰囲気の中で作られます。キャロル・ロンバートは自分の出番のない日もサンフェルナンド・バレーの自宅からハリウッドへ車をとばして撮影現場にやってきてルビッチの仕事ぶりを見ていました。「みんながルビッチを敬愛していました」ジャック・ベニーは述懐します。「みんなおかしくて笑ってばかりいました。脚本会議などで撮影が中断していた時でさえ、俳優と裏方のスタッフ達は実際みな騒々しく笑っていたのです」
脚本は極めて神聖なものとして扱われましたが、ルビッチは撮影中にいくつかのギャグを思いつきます。映画を終わりに頭が混乱したナチ軍人エアハルト大佐が閉められたドアの向こうで自殺を図るシーンで、部下シュルツの名前を叫ぶというギャグがありました。キャメラが数秒間ドアをうつした後「シュルツ!」というエアハルトの叫び声で沈黙が破られるこのワンショットをルビッチは撮影中に思いついたのです。
ルビッチはもはや以前のように作品の仕上がりに対して妥協することはありませんでした。ある日、ルビッチはジャック・ベニーに撮り終えたばかりのシーンの3つの編集版を見て欲しいと頼みました。ベニーはコメディ映画に対して専門的な意見を述べることをはじめは躊躇していましたが、このシーンはもう少しよくすることができただろうと率直に感想を言いました。するとルビッチはこのシーンを撮り直しするためにすぐさまスケジュールを変更します。「すべてのシーンはそうならなければならないものになった、それだけのことです」ベニーはそう述懐します。
撮影はちょうどクリスマス前に終了し、キャロル・ロンバートは1月半ばに公債売買ツアーから戻ったらジャック・ベニーのラジオ番組に出ることを約束してベニーを喜ばせます。ロンバートとクラーク・ゲーブルの夫婦生活はその時困難な状況にあったので、ロンバートはこの映画の撮影後はゲーブルと二人で過ごす時間を持とうと決めていました。
「二人の結婚生活はなんとかうまくやれたんじゃないかと思います」両者をよく知るロバート・スタックは言います。「私はロンバートが公債売買ツアーに出る前に二人が喧嘩していたことを知っていました。でも誰もがロンバートがゲーブルのために尽くしていたようにできたとは思えません。ロンバートはゲーブルの言うことならなんでも聞き入れる男達の一人となって、撮影を学んでゆき、厳しいショービジネスの世界に入っていきました。それがすべてです。」



メインページへ戻る/ 前頁へ/ 次頁へ/