ルビッチ・タッチについて
− Laughter in Paradise − *4*
劇中劇「ハムレット 」撮影風景(右端がルビッチ)
「生きるべきか死ぬべきか」のような厄介で込み入った事情の映画から手を引きたがっていたユナイテッド・アーチスト社ですが、ついにこの映画の製作を引き受けることに同意しました。これは今でも変わらないことですが、映画の配給というのはお金を稼ぐための実質的なライセンスである一方、金銭的破綻をたやすく招くものでもあったのです。
8月26日にユナイテッド・アーチスト社はロメーヌフィルム社を組織し、アメリカ銀行から120万ドルの融資を取り付けました。映画の製作は11月6日から始まり、42日間で終了。キャロル・ロンバートにとっての最終日はその年の大晦日で、彼女はロバート・コバーンの撮影するスチール写真のために一日中ポーズを取っていました。
最初に製作の妨げとなったのはジャック・ベニーの神経質さでした。ベニーは謙虚な男だったので自分はこれまでお粗末な映画にばかり出ていたと言っていましたが、実際はまずまずの出来の作品に出演していたのです。晩年には「私は20本の映画に出たが、ほとんどいい作品に恵まれた」と自ら認めています。にもかかわらずこの映画の製作時には、なぜルビッチが自分をヨーゼフ・トゥラ役に選んだのかわからなくてずっと悩んでいました。
「君は自分のことをコメディアンだと思っているだろう」悩むベニーむかってルビッチは言います。「君はコメディアンではない。君は道化者ですらない。君は30年間おどけながら大衆を楽しませ夢中にさせてきた。今、君は自分自身にまでおどけてみせようとしている。道化者というのは面白いことをするパフォーマーで、コメディアンというのは面白いことを喋るパフォーマーだ。でもジャック、君は俳優なんだよ。今、君はコメディアンを演じる俳優なんだ。そして君はそれをとてもうまくやっている。心配することはない。君が悩んでいることは私だけの秘密にしておくよ」
ベニーはそれまで自分がコメディアンを演じる俳優だと考えたこともありませんでしたが、ルビッチの言うことの正しさを認めざるをえませんでした。ひどい演奏のバイオリンを弾く安っぽいうぬぼれの強い男というベニーが入念に作り込んだキャラクターは(バイオリンの演奏のひどさを除いては)実際の彼とは似ても似つかないものでした。
ベニーはヨーゼフ・トゥラ役を気に入っていたし、監督であるルビッチを敬愛していました。「父はルビッチのために何でもやりました」ベニーの娘ジョアンは述懐します。「父はルビッチが監督したこの映画で自分の最高の演技ができたと言っていました」ベニーは映画の撮影中いつも極端に不安定な状態でした。キャロル・ロンバートの若い恋人役という難しい役を演じたロバート・スタックは当時を振り返って言います(ロバートは子供の頃からロンバートとは知り合いでした)。「ベニーは純粋無垢な人でした。彼はルビッチのようなやり方で1本の映画に出演したことがありませんでした。だからいつも私に”これ面白いかい?”って尋ねてきたのです。”お願いだから私に聞かないで・・”と私が言うと”でも君は俳優だろ”って。胸の内ではきっと死ぬほど怯えていたのでしょう」
ベニーはルビッチの言葉通りつまらないコメディアンを演じる俳優の視点でコメディシーンを演じるのに慣れてくると次第に悩みから解放されました。「ルビッチはまさに私をディレクトした唯一の監督でした」ベニーは脚本家のミルト・ジョセフバーグにこのように語っています。「私の初期のすべての映画では監督は”ジャック、君はコメディについては私よりよく知っている。君のやりたいように演技するんだ”と言っていました。確かに私はラジオのコメディについて多くのことを知っていたし、舞台のコメディのことも少しは知っていた。だけど映画については何も知らなかった。これこそが私の唯一の悩みだったのです」
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