ルビッチ・タッチについて
− Laughter in Paradise − *3*
会議中のルビッチとキャロル・ロンバート
1941年8月5日、「生きるべきか死ぬべきか」に関するユナイテッド・アーチスト社とルビッチとの契約が結ばれます。その契約内容は、先に存在していたルビッチとフォックス社との契約がこの映画の製作の妨げとはならないという条件付きで、ルビッチはアレクサンダー・コルダあるいはコルダの後継者となるプロデューサー以外のいかなる会社、従業員の監視・命令を受けることはないというものでした。
こうしてルビッチは再びこれまでの給料より少ない報酬で働くこととなったのです。今度は前金で6万ドル、今度5年間にこの映画が稼ぎ出す全利益からさらに5万ドル、利益が13万ドルあった場合はその25%を受け取ることになっていました。(ルビッチとメルチオール・リンゲルは1941年の10月にオリジナル脚本の報酬として1万5百ドルを受け取っており、リンゲルは物語作者としてのクレジット料としてさらに7千ドルを受け取りました。エドウィン・ジェスタスメイヤーは撮影用の脚本料として週給2千5百ドルを受け取っています。)
ルビッチは脚本家、キャストの選択権、そしていつものように最終編集権を握っていました。契約書の第14項にはこのように記されています。「監督はこの映画を完成させるにあたり、カット、編集にいたるすべての事柄に渡って最終決定権を持つものとする」ユナイテッド・アーチスト社はただ上映の際に検閲から変更の要請があった場合に限り例外を認めるとしています。
偉大な監督ルビッチと仕事をすることを熱望していたジャック・ベニーは12万5千ドルの出演料とこの映画の全世界における収益が125万ドルを超えた時その10%を報酬として受け取るという条件でこの映画に出演することになりました。契約書にサインする前、ベニーが使えるかどうか不安だったルビッチは、ベニーにヨーゼフ・トゥラがスパイするシーンを演じさせるためにナチの服を着てテストしてみたいと言いました。ベニーはためらいなくテストに応じ、見事に演じきり、なんなく合格したのです。
ジャック・ベニーがこの映画に出演したがったのは多額の契約金に釣られたからではありません。ベニーは脚本さえ書かれていなかった製作の1年前からルビッチに「もしあなたが私のために映画を作ってくれるならその作品に出演するつもりです」と伝えていました。ベニーは後にこのように述懐しています。「当時私のようなコメディアンにとって優秀な監督による良質の映画に出演するのは不可能なことだった。お粗末な映画にばかり出演させられていた頃、なんとルビッチから誘いがあったんだ。脚本がどんなものになるか気にする奴なんているかい?」ベニーはルビッチを生涯出会った監督の中で最も偉大なコメディ映画の監督だと言っています。そしてルビッチ以外で映画に誘われて無条件でOKと返事する監督はレオ・マッケリーだけだとも。
ルビッチはベニーの相手役にミリアム・ホプキンスを考えていましたが、彼女とコメディ映画との相性は良くありませんでした。しかしながらホプキンスはルビッチが自分に興味を持っていると聞くやいなや、役をもらおうと必死で圧力をかけ始めました。べニーはキャロル・ロンバートを候補にあげていましたが、コルダは決定権をルビッチに任せ、ルビッチはまたそれをコルダに任せるといった具合でなかなか決められずにいました。結局、ある夜、べニーとコルダはニューヨークに出掛け、二人でしこたま酒を飲み、すっかり酔っぱらったコルダはうまくベニーの甘言にのせられ、ロンバートはユナイテッド・アーチスト社に雇われることとなったのです。
ルビッチとロンバートはパラマウント社でのロンバートのデビュー当時からの知り合いで、ずっといい友人関係を築いていました。ルビッチが自分の映画で彼女をキャスティングすることはありませんでしたが、パラマウントで製作の重役になっていくにつれ、この良き友人関係を公言さえするようになっていました。当時のパラマウント社はクローデット・コルベール、マリーネ・デートリヒという2大看板女優とだけ長期契約していたにもかかわらず、ルビッチとロンバートは良き友人であり続けていたのです。ロンバートは「Love for Breakfast」と題する映画をルビッチに監督してくれるように頼んだことがあると映画監督シドニー・サルコーにもらしています。しかし彼女の嘆願にもかかわらず「この映画が成功するとは思えない」と言ってルビッチは断ったのです。
やけになったロンバートは彼女なりのやり方でルビッチに逆襲します。「もしこの映画がつまらないものになったらあなたは私を思い通りにしていいわ」ルビッチの顔に満面の笑みがこぼれます。ロンバートは机の上に身を乗り出し、彼の口から葉巻をひったくり、「でも、もしこの映画がヒットしたら・・、この黒いものをあなたのお尻に突っ込んであげる」
ロンバートの夫クラーク・ゲーブルは「生きるべきか死ぬべきか」の脚本にも興味を示さず、ルビッチを冷ややかな目で見ていました(ルビッチはゲーブルを好色なドイツ兵として起用するつもりでした)。ロンバートは出演料として現金で7万5千ドル、プロデューサーの利益の4.0837%として追加で7万5千ドルの報酬をもらう契約書にサインをしました。ロンバートの契約で普通の契約と違うところがあるとすれば、それは衣装担当者としてアイリーンを起用する旨を明記することでした。「アイリーンの都合がうまくつけられれば」という文言通り、彼女はこの映画のためにスケジュールを調整し衣装を担当することになります。
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