「スクリューボール」
−映画における最もロマンティックな瞬間とは?− *4*
「ヒズ・ガール・フライデー」(1940)
「この物語全体が明らかに容認しがたい雰囲気を持っていて、あらゆる観客に対して非常に不快なものになるであろうというのが私たちの公明正大な判断による結論です。」これは映画倫理規定(プロダクションコード)委員会の委員長であるJoseph I. Breen氏がRKO社に対して「My Favorite Wife」の脚本の却下を告げる手紙です。
スクリューボールコメディへの典型的な議論はまずどんなスクリューボールコメディが好きかというリスト作りから始まります。そう「或る夜の出来事」(1934)、「特急20世紀」(1934)、「My Man Godfrey」(1936)、「新婚道中記」(1937)、「Nothing Sacred」(1937)、「街は春風」(1937)、「赤ちゃん教育」(1938)、「ミッドナイト」(1939)、「ヒズ・ガール・フライデー」(1940)、「My Favorite Wife」(1940)、「レディ・イブ」(1941) 、「パームビーチストーリー」(1942)など次から次へと映画のタイトルをを挙げてゆくように・・・。ほとんどの批評家はどの映画を古典的名作とみなすべきかを知っています。しかし何をもってスクリューボールコメディとみなすかという定義となると彼らの論調はやや正確さに欠けるようになるのです。例えば、ある批評家はスクリューボールコメディを金持ちを風刺する映画だと言っていますが、あまりにも洗練されていて風刺一辺倒というわけではないとする批評家もいます。結局、娯楽として多くの人に賞賛されている一方で、「ちょっとした面白い話」だとか「真実となりうる本質的なものを含んだひとつの考察」だとか「二人の男女がめでたく結ばれるまでの混乱、失敗をまじえた顛末」などと定義が決まっていないのが実情なのです。
スクリューボールコメデイの起源について考えてみるとき、批評家の意見に耳を傾けるよりもスポーツの世界に目を向けて”スクリューボール”という言葉の由来を知るのが一番良い方法かもしれません。野球の世界においてはスクリューボールは「故意に投げられる突飛な投球」とされています。ピッチャーは中指をはずして手首を横に返しつつ豪速球でこの球を投げるのです。右投げ、左投げ、それぞれのピッチャーにはいろんな種類の変化球があったなかでも、これはバッターを混乱させる投球と言えます。
この投球は1900年代のはじめにニューヨーク・ジャイアンツのクリスティ・マチューソン選手によって編み出され、それはフェイダウェイ(fadeaway)と呼ばれていました。しかしこの投球を野球史においてスクリューボールとして完成させたのは同じくニューヨーク・ジャイアンツのカール・ハッベル選手で、これはスクリューボールという言葉が1930年ぐらいに生み出されたとする語源学者の意見とも一致します。それまでのピッチャーはスクリューボールを変化球の一種として使っていましたが、ハッベルは手首が自然にねじれるほど頻繁にこの球を投げていました。1934年のオールスターゲームでは、殿堂入りすることになる5人の強打者−ベーブ・ルース、ルー・ゲーリック、ジミー・フォックス、アル・シモンズ、ジョー・クローニン−をこのスクリューボールで連続三振にしとめたのです。そうスクリューボールコメディが生まれたのもこのオールスター戦と同じく1934年でした。
”スクリューボール”という言葉は1930年代に生まれた言葉で「野球における変化球の一種」という意味だけではなく「狂気の」(insane)、「風変わりな」(eccentric)の形容詞的用法、あるいは「気違いじみた」(lunatic)の名詞的用法などの意味も持っています。1800年代のはじめに英国では酔っぱらいをあらわす言葉として”スクリュイー”(screwy)という言葉が使われていました。これが酔っぱらいの悪態をあらわす言葉へと発展していって、1920年代半ばには「風変わり」もしくは「気違い」をあらわす表現となったのです。その結果1930年代のはじめには”スクリューボール”という言葉は「気違い沙汰」「スピード」「予測不能」「めまい」「酩酊」「幻覚」「つむじまがりのスポーツ」という多くの隠喩をもったスラングとして飛躍的に知られるようになりました。
ピッチャーマウンドから離れて、スクリーンの話へ戻ってみましょう。優れたスクリューボールコメディにおけるロマンスや人間関係の混乱を描くセンスはたいていはののしりあい(ときには殴り合い)によって表現されていました。これらの映画の中では喧嘩は二人がより深く愛を確かめ合うことに役立ってるわけです。しかしマルクス・ブラザーズの映画はスクリューボールコメディではありません。同様にローレル&ハーディ、アボット&コステロ、リッツ・ブラザーズ、ホイラー&ウルジーもそうです。彼らの映画にも気違いじみたラブストーリーはありますが、そこに出てくる男女は彼らスターを引き立てるだけのつまらない脇役です。愛と狂気という精神はスクリューボールコメディが生まれる前のロマンティック・コメディにもありましたが、そこでは愛と狂気は常にあい反するものとして描かれていました。これらの映画では主役の男女の愛の関係を第一に描いて、体を張ったコメディは脇のキャラクターまかせでした。
メインページへ戻る/
前頁へ/
次頁へ/