「スクリューボール」
−映画における最もロマンティックな瞬間とは?− *2*


「赤ちゃん教育」(1938)


スクリューボールコメディの世界には「憎しみは二人の関係を破綻させる理由にはならない」というひとつの約束事があります。男女がお互いに罵りあっているからといって二人が恋人ではないとは言えません。憎しみは激情的なやりとりを交わすことによって愛の喜びを確かめあう逆説的な証拠としてみなされているのです。それまでのアメリカは映画の中で理想的な愛の形を提唱してきましたが、1930年代に入って「愛とは挑発的な怒りの表現によってのみ深まってゆくものである」というややひねくれた考え方が出てくるようになりました。スクリューボールコメディの世界においては、とがった関係になるほど二人の関係はよくなるのです。男と女が映画の最初のシーンにおいてお互いに好意を持ってるようなら、二人が結ばれる運命にあるのもわかります。一方、互いに凄い剣幕でやかましく罵りあっているのであれば、この絶え間ない喧嘩を繰り返すことによって、最終的に自分たちが愛し合っているのだということを確認し、これまで以上に幸せになるチャンスがあるのです。
「赤ちゃん教育」(1938)のケイリー・グラントを見てみますと、彼はキャサリン・ヘップバーンのきれいなコネチカットの邸宅のまわりをボア付き衿の白いガウンを着て神経質そうにうろうろ歩き回っていて、この男が幸せになるであろうとはこのシーンからはまったくうかがえません。古生物学者としての彼のこれまでの人生はさえないものであり、攻撃的で自立心の強いヘップバーンは彼に対して終わることのない苦しみを与えるだけです。ケイリーの変身ははじめのうちは苦痛を伴うものでしたが、目に見えてそれは回復の道を辿ってゆきます。スクリューボールコメディの中では、苦しい試練に耐えることによってのみ本当の進歩が起こりうるのです。そんなお約束事の罠にかかった登場人物にとっても、そのお約束事の世界に進んで足を踏み入れる観客にとっても、これはカタルシスに対する一種のセラピーとも言えます。



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