The Comedy Writer


1998 by Peter Farrelly


<第六章までのあらすじ>

主人公のヘンリー・ハローヤンはハリウッドで脚本家になることを志望している若い男で、大学卒業後、ボストンで営
業の仕事をしていましたが、自分には向いてないと思い、仕事をやめて脚本家になるという大きな夢をもって車でカリ
フォルニアに向かいます。その途中、ビルの屋上から飛び降りようとする女性を目撃し、やめるよう説得しましたが、
そのかいもなく彼女は飛び降り自殺しました。ヘンリーはこの経験を元に短い記事を書き、それが運良くロサンゼル
ス・タイムズ紙に掲載されます。その後、この記事を読んだ自殺した女性の風変わりな妹がヘンリーに近づいてき
て、まとわりつくようになり、脚本家としてなんとか映画業界に入り込もうという彼の試みをことごとく邪魔するようにな
ります。





<第六章>


ビバリーヒルズ警察の窓口でコリーン・ドリスコールの名前で照会してもらったが、少なくともこの1ヶ月の
間、警察のリスト上にコリーンの記録はなかった。そしてそれを聞いてがっかりしている自分に驚いた。自分でも意外
なことに、今はもうなんとしてもコリーンを見つけ出したいという気持ちになっている。警察を出て行く途中でばったり
出くわした警官にも聞いてみた。コリーンの特徴を説明していくうちに、その警官はその娘の名前はコリーンでなくド
ヘニーではないかと教えてくれた。ドヘニー、まるで通りの名前みたいだ。ドヘニー・ドヘニーじゃなくて、マドンナやス
ティングやシェールのように単にドヘニーって呼ばれてるらしい。その後、多くの部署にかけあってドヘニーのことを調
べてもらい、ウィルシャー地区の中心部にある女性保護施設の住所を教えてもらった。

この地区は愛想のないセメント色で同じ形の高層建築が建ち並んだロシアのような地域で、自然もほとんどなく、通
りを歩く人にも笑顔はなかった。女性保護施設はその一角にあったが、ドヘニーはそこにいなかった。街の東にある
別の保護施設にいるんじゃないかと言われた。

通りで道を尋ねても無視されながら運転しているうちに、体の中にアドレナリンが湧き出して、ゾクゾクと興奮してくる
のを感じた。道に迷いはしたけど、目に見えない矢がピンっと胸にささるような素晴らしい直感が当たって、細長い路
地の奥にある保護施設にたどりついた。駐車禁止の看板が貼られているその建物の前に駐車して、中に入ってスタ
ッフに彼女がいるかどうか聞いてみた。待っている間、まわりを見渡していると、配給キップを求めてウロウロしている
人やじっとテレビに釘付けになってる人達がいた。薬品の匂いがかすかにただよい、スタッフと住人はきっちりと分け
隔てられていて、精神病院のような雰囲気で、保護施設というより吹き溜まりという感じだった。

すると驚いたことにコリーンが出てきた。こぎれいな身なりでずいぶん落ち着いているように見えた。
「さあ、荷物をまとめて、ここから出て行こう」

コリーンはたぶんびっくりしたはずだが、迎えを待ってたかのように努めて平静を装っていた。施設から出る手続きを
済ませた後、荷物を持って、車の助手席に乗り込んできて、タバコに火をつけ、窓を見やり、ラジオのチューナーをい
じりながら、まるで毎晩決まった時間に迎えに来てもらっているかのように無関心を決め込んでいた。こぎれいな身な
りからは学校の食堂のような良くも悪くもない匂いがした。

「ちゃんと自活できるようになるまでは家にいていいって言ったはずだ。だからこれから家に帰るからな」ハンドルをコ
ツコツと軽く叩きながらそう言った。コリーンは窓に腕をもたれていた。二人ともお互い隣にいることを意識していない
ような感じだった。
「ルームメイトを持つのを嫌がってたじゃない?」
「ルームメイトじゃない。ゲストとしてだ。それにさっきも言ったようにちゃんと自活できるようになるまでのしばらくの間
だ」
「あなたが大事にしてるパーソナルな生活はどうつもり?台無しになるんじゃない?」
「もともとパーソナルな生活なんてないさ」
「ふんっ、何言ってんだか。じゃあ冷蔵庫はどうするのよ。今から買って持って行けばいいのかしら?」
「冷蔵庫を使っちゃいけないなんて言わないさ。ただノートにはさわらないで欲しい。あれこそ大事なパーソナルなも
のだから」
「わかったわ。どうもありがとう」驚いたことにコリーンがお礼を言った。
「とにかく、お互い嫌な思いをしないように心掛けよう。だから君にはこれだけは勘弁して欲しいっていうお願いがある
んだ」
「それって何よ?」
「孔雀の羽のついたブラジャー姿でアパートの中をウロウロするのはやめて欲しい」
コリーンは苦笑いした。
「ゲイじゃないんだ。わかるだろ?」
「もちろん、わかるわ。ゲイじゃなくて女装趣味があるんでしょ」
「そうさ。それに孔雀のことを気遣う愛鳥家でもある」
そう言って笑ったらコリーンも笑った。
「ヘンリー、あなたってとってもノーブルな人ね。立派だわ」
そう言って窓から吸殻を投げ捨てた。
「だからたぶんこんなことも好きじゃないのよね」



あれは60年代後半の出来事だった。80歳になるアイリッシュ系のじいさんは日曜の午後にはいつも夕食
を食べに家にやってきて、たびたび一騒動を起こしていた。そうあの時も、じいさんは家でアイリッシュ民謡を歌いだし
て、親父に「この酔っ払いめ。出て行きやがれ!」って言われてた。この騒動をめぐって両親の間でちょっとした諍い
があったけど、母さんはじいさんが千鳥足で一人で家に帰るのを心配してたわけじゃない。近所では犬は紐でつなが
れず自由に走り回ってたし、裏庭でガラクタを燃やしたり、子供がヘルメットをかぶらずにバイクに乗ることや、飲酒運
転をとがめるような人間はどこにもいなかった。ただ母さんは自分の父親が孫達の前で酔っ払い呼ばわりされたこと
に腹を立てていたのだ。でもじいさんはいつも酔っ払ってるわけじゃなかった。造園業をやってたじいさんは、草刈り
機のついたダンプカーを1台所有してて、熊手や草刈りばさみなどありとあらゆる庭師に必要な工具を持っていた。だ
から自分の歳の半分の40代ぐらいのがっちりした体格をしてて、見た目は近所で最もきつい力仕事をする労働者の
ようだった。でもあの日じいさんが酒を飲んでいたのは事実で、じいさんが歌い始めるまで親父はほとんど酒を飲ま
せなかったから、じいさんは不機嫌になって怒り出した。だから親父はじいさんに出て行くように言ったんだ。

あの日曜日、じいさんはヨタヨタしながら家から出て行ったけど、両親はこのことで諍いの途中だったし、子供達も別
のことで口喧嘩してたから、じいさんが出て行くのをあまり気にとめてなかった。その時、ふいに窓の外の裏庭をダン
プカーが横切って、ドンッっていう衝突音が聞こえた。みんな慌てて外へ飛び出したら、ダンプが庭のオークの木にぶ
つかって、後輪が空回りして庭の中に置かれていたオレンジや黒のレンガをあたり一面に吹き飛ばしていた。血まみ
れになったじいさんは酔っ払って気持ち良さそうに運転席に座っていた。ふいに左を見たら、サイドウィンドー越しに家
族みんなからじっと見られていたもんだから、じいさんはまるで夢から醒めたみたいにびっくりしてた。

知らないうちに揺るぎようのない明確な意志を持つことがあるけど、コリーンを見つけ出そうとした動機も今になって思
えばそんな風だった。一体どうすればいいんだって考えたときに、神様から啓示を受けたのかもしれない。どれだけ
の人間が神様から啓示を受けるのかわからないし、あの啓示が真実かどうかでさえわからない。でもコリーンがあの
目の前で自殺した女の妹だということについては、確かに罪の呵責があった。あの自殺した女が背後に立って、コリ
ーンを捜せと命じたから、全力を傾けてコリーンを助け出そうとしたんだ。そう、無意識のうちにコリーンを自殺させちゃ
いけないって思うようになってた。目に見えない力が働いていたからこそ、あの状況でコリーンを見つけ出すことがで
きたんだ。

コリーンとの最初の夜は、妻とのつまらないしがらみのためにきれいな愛人を捨てるようなもったいない気分だった。
ノーブル。確かに立派ではあったが、プールサイドで1本のビールを分け合うようなみじめな気分でもあった。

「アタシの人生は最悪だわ」
「そんなことはない。今は単にスランプに陥ってるだけさ」
「ううん、ずっと最悪な人生を送ってきたわ」
「コツコツやってけばそのうち良くなるさ」
「アタシって何でこんなにヒドイ人生を送ってるのかなあ」
「コリーン、君はわかってないかもしれないけど」
「ドヘニーよ」
「ドヘニー、人生ってのはマラソンみたいなものなんだ。始めはつらいけど、気持ちが乗ってくるとしだいにいい感じに
なってきて、苦痛を感じずに走れるようになる。壁にぶち当たって、やめたくなることもあるけど、そこを乗り切ってなん
とか前に進んでいけば、最後には壁を突き抜けて、また楽な気分になれるんだ」
「それで結局どうなるのよ」
「無事ゴールすれば、頭の上に花輪をのっけて祝福されるだろ?」
「なんでそんなにまでしてつらい思いをしなきゃならないの?」
「そんなこと言われてもわからないよ」
「どうしてアタシだけこんなつらい思いをしなきゃならないのよ」
「それほどつらいわけじゃない。自分にふりかかる災難はことのほかつらく思えるものなんだ。俺だってつらいことは
ある」
「本当にそう思う?」
「ああ」
「わかったわ。じゃあアタシの話を聞いて比べてちょうだい。6歳の時、幼馴染みの親友が車に轢かれて、30メートル
も宙を飛んだのを見たわ。その子は8ヶ月の昏睡状態の後に死んだ。9歳から14歳までの間に週2回義父にレイプさ
れてた。10歳の時、兄貴がバイクの事故で死んだ。それが10歳の誕生日だった。それ以来、アタシは自分の誕生日
を祝ったことなんてない。母さんは自分の夫がアタシをレイプしてるのを見たとき、アタシを責めたわ。そして14の時に
…」
「わかった。俺の負けだ」
「わかった?」
「ああ、君の勝ちだ」
「どう最悪の人生でしょ」ドヘニーはタバコに火をつけて言った。
「ああ俺よりずっとひどいね」
「ありがとう」
ドヘニーの肩に手をかけた。泣き出しそうだったけど、ちょっとした勝利を感じてるようだった。確かにひどい人生を送っ
てきてる。
「畜生」 
うつろな作り笑いを浮かべてドヘニーはつぶやいた。

6パック入りの缶ビールを買いに行くためにドヘニーと一緒に外に出て通りを歩いた。その時、別に女優になりたいわ
けじゃなくて、何になりたいのかわからないのだと打ち明けられた。何でもいいから自分が好きなことをすればいい、
そう助言したら、好きなことなんて何もないとドヘニーは答えた。
「そんなことはないはずだ。もし何でもできるとしたら、何になりたいのか、もう一度よく考えてみろよ」
「わからないわ。好きなことってパーティーぐらいかしら」
「金を稼げる仕事を考えるんだ。シェフとか衣装デザイナーはどうだ?老人の介護も悪くないぞ。スケートが好きならス
ケートリンクの上でやる仕事だってあるはずだ。好きなことがあれば、それがなんであろうと自分の仕事にするのが
一番なんだ」
「何でもいいの?」
「ああ、何でもいい。だってそれを仕事にしたいって思ったら、得意にならざるをえないしね」
「医者になりたいわ」
「他には?」
「どうして医者は駄目なの?病院で仕事をしたいのに」
「医者にはなれない。それは問題外だ」
「どうして無理なのよ」
「まず第一に本が読めなきゃならない」
「本ぐらい読めるわよ!」
ドヘニーは俺の腕をひっぱたいた。
「それに高校は卒業してなきゃならない。医者に興味があるのなら、動物病院で働くのはどうだ?犬の毛を刈ってあ
げたりお風呂に入れたりするのはきっと楽しいぞ」
「わかったわ。アタシが相手にできるのはせいぜい動物止まりで、どうやっても人の命を救う医者にはなれないってい
うのね」
「ああ、だから他のことを考えてみるんだ。多少ハードでも将来への希望があって、生活できるぐらい稼げる仕事だ」

ドヘニーは小説家になりたいと言い出した。もちろん思いとどまるよう説得を試みた。小説家ってのは退屈な仕事で、
孤独で、お金を稼げる見込みもほとんどないし、たとえ稼げるようになったとしても、それがずっと続くようなことはあり
えない、右脳を使うクリエイティブな仕事はプレッシャーで鬱や心配性のような心の怪物を頭の中に飼うことになるし、
ちょっとやってみたいぐらいの中途半端な気持ちでは絶対に続かない、やめたほうが身のためだとまで言ってやっ
た。きれいな髪の毛をしてるんだから、理容師の学校はどうだいって聞いてみたが、答えはノーで、スケート、女優、
医者を除けると突然ではあるけど小説家が一番やりたい職業になったらしい。確かに小説家は始めやすい仕事だ。
学歴も資格もいらないし、ペンとノートさえあればいい。明日からでも小説家になったって言い張ることだってできる。
そう俺みたいに。



エージェントのレヴァインから悪い知らせがあった。TVドラマ『となりのサインフェルド』の脚本がボツにな
ったらしい。「悪性の腫瘍です」って医者に言われたような最悪の気分だ。ラリー・デヴィッドとはきっといつかは知りあ
えるような気がしてて、そのきっかけが『となりのサインフェルド』になるんじゃないかって考えてた。でもいい感触は
得られなかった。ボストン・レッド・ソックスとニューヨーク・メッツ、贔屓にしてる野球チームが違うから?いいや、メッツ
は勝ってる。レッドソックスのファンのことなんかラリーは気にしないはずだ。あるいは、俺がユダヤ人じゃないからショ
ービジネスの世界に向いてないって思われてるのかも。いや、そんなはずはない。それもきっと考えすぎだ。確かに
ショービズの世界にユダヤ人は多いけど、それは奴らが面白いからであって、この世界でスウェーデン人がたくさん
雇われることはまずありえない。いろいろ考えてはみたけど、この知らせにはやはりがっかりした。
「誰も書かないような変わった物語はどうかな?」レヴァインに聞いてみた。
「ラリーはそういうのが好きだけど、ただ変わってるってだけじゃダメだ」
この悪い知らせだけじゃなく、今週行なわれる予定だった他のミーティングもすべてキャンセルになった。


あらゆる鉄は火から取り出された後にまず冷却される。たまたまそういう時期なのかもしれないけど、最近レヴァイン
のことを信頼できなくなっていた。楽天的なトーンで話かけてくるけど、電話して留守だった時でもすぐに返事がかか
ってこない。それが恐かったし、怒りも感じてた。でも大事なことは、レヴァインにはいくらでも10%の採用される可能性
を持った脚本家の顧客がいるってことで、別にヘンリー・ホローヤンに頼らなくてもうまくやっていけるのだ。

「テッド・ボウマンと仕事がしたいって言ったら軽蔑するかい?」
「いいや、なんとかしてあげるよ」
「じゃあ、なんとかしてテッドに会わせてほしい。前に言ってたサイコキラーのラブストーリーについていいアイデアが
あるって伝えてくれないか」
「ヘンリー、それは難しいよ」
「セッティングしてくれるだけでいいんだ」
「大丈夫なのか?」
「全責任は持つよ。別に失うものなんてないんだし」
「自信があるのか?」
「ああ、ちょっとした考えがあるんだ」
「それを聞かせてくれよ」
「どうして?」
「だって、聞いておきたいじゃないか」
「冗談はよしてくれよ。君のそばには俺以外に3人の脚本家が待機中だろ?もしうっかり話したらどんなことになるか」
「ヘンリー…」
「レヴァイン、頼むよ。会わせてくれるだけでいいんだ。万一の場合の切り札も用意してる。頼むからテッドに会わせて
くれ」

ボツにはなったけど、ラリー・ディビッドにいい印象を与える自信はあったし、自分の書いた『となりのサインフェルド』
の脚本はまだ採用される可能性があると思ってたから、テッド・ボウマンと仕事をする前に、数日かけて『となりのサ
インフェルド』を急いで書き直しすることにした。

一方、ドヘニーは自分の小説にとりかかろうとしていた。仮タイトルは『母に憎まれた娘』。シド・フィールドの書いた
『脚本入門』を貸したけど、自分は別に映画の脚本を書きたいわけじゃなくて小説家になりたいのだといって読みもし
ないで、『英語文章ルールブック』もほっとらかしで、いきなりペンを持って原稿用紙に何かを書こうとしてた。そして30
分ずっと白紙の原稿用紙を睨みつけた後でこう言った。
「もうやめ。こんなの宿題するよりやっかいだわ」
「じゃあアイススケート場で働いたらどうだい?まだ滑れるんだったら、コーチぐらいできるんじゃないのか?」
「アタシは小説家になりたいの。手伝ってよ!」
俺は自分のノートを閉じた。
「手紙は書けるか?」
「もちろんよ。手紙ぐらい書けるわ」
「じゃあ本も書けるはずだ。同じテーマで1日に2ページだけ書いてみるんだ。そうしたら1週間で14ページになる。1ヶ
月で56ページだ。9月まで続ければ1冊の本が出来上がるはずだ」
「そんなの本として短すぎるわ。いい本っていうのは少なくても400ページはあるものなのよ」
「そんなこと気にしなくていい。何でもありなんだから、自分のやり方でやればいいんだ」

2日後、家に戻ると、床に散らかっていた衣服が洗濯されていて、ベッドカバーが新しいものに取り替えられていた。
床はピカピカに磨かれ、カーペットもちりひとつなく、台所の皿は全部きれいに洗われていた。部屋のまわりには小さ
なピンクの花が入った紙コップがたくさん置かれていて、ドヘニーは壁紙を貼り替えてる最中だった。

「おやおや、こいつは信じられない光景だな」
ドヘニーはローラーを持った手を背中に回して、得意そうにこっちを見てる。
「これ、全部やってくれたのかい?」
「そうよ」
壁紙をじっくり見てみた。色はバタフライイエロー。好きな色だ。
「この壁紙どうしたんだい?」
「家主が置いていったの。だからやってあげようと思って」
コリーンは笑いながら壁紙を指差した。
「どう?この壁紙」
「いいよ。とてもいい。どうやって貼り方を覚えたんだい?」
「お姉ちゃんが引越しした時に手伝ったことがあるの」
「ふーん、そうだったんだ。でもびっくりしたな。部屋全体が見違えるようになったよ」
「いいのよ。ふさぎこんでる時に掃除するのが好きなの。リラックスできるしね」

部屋はすっかりきれいになって、折りたたみベッドの修理までしてくれてた。洗濯のとき、俺のズボンの中に入ってい
たお金を見つけて、買い物に行ったらしい。冷蔵庫には皮が剥かれたオレンジがボール一杯に入っていた。
「どうして食べる直前に皮を剥かないんだ?」
「食べたい時にすぐ食べれるから、皮は先に剥いといたほうがいいのよ」
「じゃあ、リンゴを食べる時は、あらかじめ適当な大きさにかじっておくってわけだ」
「あはは。それじゃあ、今度はあなたにやってもらう番よ」
ドヘニーはノートを開いた。
「ねえ、これ読んでくれない?」

丁度『となりのサインフェルド』の書き直しの最中だったから、その作業を中断されたくなかった。だから「全部完成し
てから読んだほうがいいんじゃない?」って言った。

「あなたの心に響くようなものを書きたいの。完成してから第三者の意見を聞くんじゃ遅いと思わない?」
「心配ないさ。僕の影響なんて受ける必要ないし」
「ちょっと不安なの…」
「じゃあ、まず書いたところを読み直して、今から言うようにノートに書き込んでいくんだ。いいと思った箇所は横にチェ
ック印を入れて、面白いって思ったところは感嘆符(!)を入れる。すごく良く出来てるって思った部分には○印を付け
て、登場人物がよく描けてるところには注釈をつける。ノートが読みにくくなっても気にするな。助言するためにそのあ
たりをよく知っておきたいんだ」

ドヘニーは言われた通りにやった。本は母親への手紙という形式だった。12章あって、それぞれの章は子供時代の
出来事を詳しく描いていて、姉と一緒に楽しく遊んで、母親からは虐待を受けたスケートリンクが主な舞台となってい
た。傷つけられた気持ちと怒りでいっぱいだったけど、子供の世話をしないひどい母親の物語という印象ではなく、ス
ケートリンクでメソメソ泣いている女の子の物語になっていた。うまくできてる部分があるとすれば、スペルのミスと言
葉の間違った使い方が多すぎて、本当に子供が書いたように思わせるところぐらいだった。

3ページ読んで頭痛がしてきた。7ページ目から立ち上がってウロウロしながら読んで、最後の3ページはトイレの中で
読んだ。
「どうだった?」
「おい!ドアを閉めてくれよ」
「ねえ、うまく書けてる?」
「素晴らしいよ」
「本当?」
「面白い。かなりいい出だしだ。この調子で続けていけばいい」
「それぞれの章が"親愛なるイレイン"から始まるってアイデアはどう?いいと思う?」
「そいつはギミックだけど、うまく作用するんじゃないかな」
ケツを拭きながら言った。

『カッコーの巣の上で』に出てくるビリー・ビボットを励ましてるような感じだったけど、ドヘニーが真剣に何かに興味を
持ってくれたのがうれしかった。小説が長く続かないことはわかってるし、書くことはこの憐れな娘の一時の気休めに
すぎない。この数日のうちにまた別のことに興味を持つかもしれないけど、それでもいいじゃないか。



テッド・ボウマンとのミーティングへ出掛けるために車を運転している途中、数ブロック離れたところ
からアイスクリーム屋の鐘の音が聞こえた。近くに車を停めて、アイスクリームを買う子供達の列に並んだ。並んでい
たのは5歳から12歳の子供達で曲がり角に2、3人、通りの向こうにはすでに10人以上並んでおり、奥には太い腕に
バチを握って、アイスクリームを掬い上げてる男が見えた。おい、なんなんだ、あいつは。ちゃんと許可を得てアイスク
リーム屋をやっているようにはとてもじゃないが見えない。公園のベンチに座って変な目的で女の子をジロジロ見てる
ような見たこともない怪しげな奴がアイスクリームを売ってるのをどうして近所の人間はみんな不思議に思わないん
だ。

子供達が順番にアイスクリームを買っていき、俺の番になったのでフローズンレモネードを注文した。両腕には刺青、
耳にはイヤリングをしてて、鼻、舌、眉毛にも輪っかをつけたスキンヘッドの男は手首に断ち切った手錠をしていても
おかしくない胡散臭さを漂わせていた。向こうもそういう風に見られているのを察知してか、そっけない笑顔を返した。
「レモネードってどんな味なんだい?」俺は聞いてみた。
「レモン味」
奴はへこんだステンレスの容器に手を伸ばして、1カップ分のアイスを掬い上げた。ライム色のTシャツを着てたけど、
袖の先の部分の糸がほつれていた。並んでいた子供達の家までついていって、母親や父親達に奴の怪しげな容貌
を教えてやりたかったけど、そんなことをして怪しまれるのはアイスクリーム屋じゃなく俺のほうだということもわかって
いたから、しぶしぶ奴に1ドル支払って、テッド・ボウマンと会うために車でパラマウント社へ向かった。


「さて、今日はどういうわけでここに来たのかな?」テッド・ボウマンが尋ねた。
「この前に聞いたサイコキラーのラブストーリーについていろいろ考えてみて、あっと驚くような奇抜なアイデアを思い
ついた。脚本としてまとめてるところだけど、正直に言うと仕上がるまでにあと3日ぐらいかかりそうなんだ」
「なんだ、まだ出来てないのか」
「いや、頭の中ではもう出来てる。ただ話をするのにはちょっとばかり早い段階なんだよ」
テッドの顔が曇った。
「じゃあ、お前は一体ここに何をしにきたんだ?電話で済ますとかミーティングを延期するべきだったんじゃないのか」
「ぜひ聞かせたい別の話があるんだ。まだ誰にも話してない物語だ」
「わしは違う物語なんぞ聞きたくもない。別の物語なんて他にいくらでもあるからな」
「ちょっとだけでも聞いてくれないか。これは今まで考えた中で最もいい出来の物語なんだ。きっと気に入ってもらえる
と思う」
秘書のソーニャがミネラルウォーターを持ってきてくれた。
「わしはそういうのは好きじゃない」
「頼むよ、テッド。本当にいい物語で、話をするのはこれがはじめてなんだ」
「じゃあ3分間で説明しろ」
「わかった。これは境遇の違う二人の男の奇妙な友情についての物語なんだ。ホームレスを扱った寛大さをテーマに
したこれまでにない話で、アクションシーンもたっぷりある」
「要点だけ話せ」

「二人の男は黒人と白人で、デンゼル・ワシントンとアンディ・ガルシアだ。黒人の名前はギャビン。マンハッタンで一
番大きな法律事務所で弁護士をやっている。恵まれた家庭で育ち、父親は医者で自身もプリンストン大学を卒業。美
人の妻は出版社で編集者の仕事をしてる」
「女は白人か?」
「いや、彼女も黒人だ」ミネラル・ウォーターをグビリと一口飲んだ。
「二人は大恋愛の末に結婚して、裕福な暮しをしてる上流階級の人間だ。一方のミグは...」
「そいつは白人の方か」
「そうだ。ミグの本名はトニー・ミグリアッシ。30代前半でギャビンとほぼ同い年だが、ギャビンほど恵まれた人生を送
ってない。ミグはロードアイランド州の州都のプロヴィデンスでかなり羽振りのいいピザ屋を経営してた。でもその店の
共同経営者が悪徳金融業者にだまされて、多額の借金を背負い、二人は利子を払うことができず、店を手放すこと
になった。その後、その共同経営者はすべての責任をミグになすりつけて、ミグは追われるはめになりニューヨークへ
逃げた。そこに行けば大学院生のガールフレンドにかくまってもらえると思ったからだ」
「それでピザ屋も大学院生の彼女も失うんだろ?」
「さっきも言ったように、これは普通とは違う物語なんだ。ミグはこれまでずっと彼女の学費を払っていて、二人は婚約
までしてた。でも列車を降りたミグは精神的にも追い込まれて、街を歩いてるあらゆる人間のことを追っ手だと疑いに
かかるようになった。だからガールフレンドのアパートに辿り着いた時も、入り口にいた怪しい身なりのカップルを見
て、神経を尖らせて、自分の身を守るためにひとまず非常階段で待機することに決めた。その非常階段を上がってい
くと、窓から彼女の部屋の中が見えて、婚約者が別の男とベッドにいるのを見たんだ」
「女は浮気してたわけだ」ボウマンは笑いながら言った。
ソーニャがまた入ってきて近くに座った。
「言うまでもなく、ミグは打ちひしがれた。ショックのあまり非常階段でけつまずいて、その音に気付いた追っ手から追
わることになり、なんとか逃げきったけど、途中で全財産が入ったかばんをどこかに落としてしまった」
「今どの辺だ?」
「舞台になってるのはニューヨークだ」
「違う。物語が始まってからどれくらい経ってるか聞いてるんだ」
「わからないけど、ポップコーン1箱食べるくらいの時間だ」
ボウマンはため息をついた。
欠点をあら捜しされるのはハリウッドではよくあることだ。
でもすかさずソーニャは勇気づけるように尋ねてくれた。
「何幕目ぐらい?」

「1幕目の終わりで、2幕目の始まりくらいだ。そうミグは無一文で行くあてもなくニューヨークをさまよってた。帰る家も
ないし、友達もいない。だからホームレスの収容施設に行った。でもあいにく真冬だったので、施設はいっぱいだっ
た。ミグは路上で生活せざるをえなくなり、貧しく落ちぶれて、打ちひしがれていた。その時偶然...」
喋ってる途中で、机の電話が鳴り、ボウマンは受話器を取った。

「ああ、いいや、いい気分じゃない。どうしてかって?だってあれはつまらん話だったからな...ああ、わかってる。今
ミーティング中なんだ...わかってるって言ってるだろうが!今ミーティング中だから後でかけ直せ!」
ボウマンは受話器を叩きつけた。
「畜生め!」
ボウマンは机の上にあった脚本を壁に向かって投げ捨てた。
「おまえのエージェントが持ってきたくだらん脚本だ」
ミネラル・ウォーターを飲んで一息入れて、ボウマンが落ち着くのを待った。

「こいつは『ちびっこ刑事』っていうプロジェクトの脚本だ。二人の子供が悪徳刑事を脅して一日だけ刑事になるって話
だ。『チャイルド・コップ/僕は刑事志願』(1992年:日本未公開)みたいな話だけど、あの映画は見たか?」
「『チャイルド・コップ』?いや見てない」
「バート・レイノルズ主演でロン・ハワードがプロデュース。ヘンリー・ウィンクラーが監督をやった。本当は大人向けの
作品にしたかったのに、仕上がったのは子供向けのちゃちな映画だ。もっといい出来になるはずだったのに」
「大人向けっていうアイデアは面白そうだ」
「そうなればワシが考えてたように権力とその誘惑を暗示させるようなもっと魅力的な作品になってたはずなんだ。そ
う思わんか?もし一日だけ刑事になれたらみんなどうすると思う?ワシだったら、女たちにフェラを強要して、嫌がった
女は銃でぶっ殺す」
ソーニャはポーカーフェイスを決め込んでいた。

「子供ならどうすると思う?」ボウマンが言った。
「なるほど、それは面白い話になりそうだ」俺はそう言ってさっきの話の続きを切り出した。
「それからミグは無一文のホームレスになって―」
「3分間は過ぎた。もううんざりだ」
「まだメインパートまで話してない」
「じゃあ残りを2、3行で話せ」
「ことは単純さ。一方のギャビンは金持ちであらゆるものを手中に収めてる。ある日、神様がギャビンに言うんだ。"こ
の見知らぬ人間を助けよ。そうすればこれからもずっと金持ちでいられる"ってね。でもギャビンはミグを助けなかっ
た。そしてそれを境にギャビンも破滅の道を進むことになり、持ってるものすべてを失った。そしてそこからなんとか這
い上がろうと今度は自分からミグを捜し始めるんだ」

「つまり金持ちの黒人が貧しい白人を助ける話だな」
「その通り」
「その理由はなんだ?」
「理由はない。ただ白人が黒人を助けるのはよくある話だけど、その立場の逆転を狙ってみたんだ」
「なるほど、逆転か。『猿の惑星』みたいなものだな」
その言葉がジョークなのかどうかわからなかったから何も言わなかった。たぶんジョークではなかったように思う。

「ちょっと趣向を凝らしてるけど、これは"償い"をテーマにした物語なんだ。アクションシーンもたくさんあって飽きさせ
ないし、二人とも悲劇的な境遇に置かれるから観客の同情を買うことができる。笑いは少ないけど、満足のいくエン
ディングで、"心に響く気持ちのいい映画を見たわ"って、見終わった観客を幸せな気分にする映画なんだ」

ボウマンは考えをめぐらせていた。窓際へ歩いて、じっと外を見つめていた。
1分が過ぎた。
ソーニャの方へ目を向けると、視線をそらされた。
ボウマンは突然こっちを向き、俺の顔を見た。
「だめだ、だめだ。あまりにも見え透いた薄っぺらい話だ」

「そんなことない。話を急がされたから、一番いい部分をとばしてるんだ」
「いいや、それでも馬鹿げた話だ」
「ギャビンがどうやってすべてをなくしたのかを聞いてくれ。ある夜、ミグは凍えて助けを求めた時、ギャビンは5番街
にある家の窓からミグを見たけど、何もしなかった。それからミグはその建物の地下に侵入して、暖をとっていたら、
火がまわりに燃え移って、大火事になって、ギャビンの妻が死ぬんだ」
「ワシはそういうのは好かん」

「わかった。じゃあ別の物語にしよう。『7人兄弟と6人の花嫁』はどうだ?」
ボウマンは無表情で瞬きもしなかった。
「面白いタイトルだろ?今度のは掛け値なしにいい物語だから」
ボウマンはため息をついた。
「わかった。もういいから、ここから出て行け。ワシは忙しいんだ」
俺は立ち止まっていた。
「早く出てけ!」
「わかった。2、3日したらまた来て今度はまた別の話をしよう」
「ほう、まだ来る気なのか?」
「あなたが望むならね。とにかく今日は貴重な時間を無駄にしてすまなかった。でもいいところまでいっただろ?あの
映画は絶対ひとやま当てられるよ。どうだい、明日また会うっていうのは?」
ボウマンの冷たい目線が胃に突き刺さるようだ。
「じゃあ、また今度、都合のいい時にしよう」

ハリウッドでは、最悪のミーティングがいいミーティングってこともある。だからひどいミーティグの後でもこれまで絶対
落ち込まなかった。神様、でももう俺はうんざりしてきた。今日もいいところまでいったけど、冷たい視線にさらされてし
まった。ボウマンに興味を持ってもらったのはほんの一瞬だった。

家に帰る途中、電話ボックスのそばに車を停めて、レヴァインに電話した。アシスタントのシェリが出て、レヴァインは
会議電話中だと言ったから、俺はこのまま待ってると伝えた。しばらくしてレヴァインが電話に出た。今日はいいところ
までいった、もう少しでボウマンを落とせそうだと言った。レヴァインは俺に落ち着くように言った。そんなに真剣になる
なよと。「でももう少しなんだ。何をのん気なこと言ってるんだ!」

レヴァインは言った。
「おいおい、ここは1年中太陽が輝いてるのに、街角のいたるところに日焼けサロンがある馬鹿げた町なんだぜ。そん
なにカッカするなよ」



ドヘニーがアパートの壁紙を貼り終えたら、お礼をしてあげようと思ってたので、一緒にディナ
ーに行くから着替えるように言った。「それって、デートね!」そう言って、大慌てでバスルームに入っていき、1時間待
たされた後、オゾン層を破壊する強烈なスプレーの匂いを撒き散らしながら、ピンクのホールターネックの上着にジー
ンズという姿で出てきた。前髪は軽くロールされていて、すぐには気付かなかったけどガチガチに固められていた。

夕陽は上半身を照らし、下半身は影で暗くなっていて、彼女の姿を引き立たせていた。またその光の加減が胸を途
方もなく大きく見せるようになってて、俺はなっちゃいけないはずのよこしまな気分になってしまった。

レストランへ向かう途中、車の中でドヘニーは精子サンプルを入れるコップを手に取った。
「ねえ、これ何?」
「君がさわるようなものじゃない」
「えっ?」
「そのまま置いといてくれ」
ドヘニーは匂いを嗅いで、バックシートへ投げ捨てた。

アブソリュート社のウオッカボトルをコラージュした看板を通り過ぎた。
「ねえ、どこへ行くの?」
「それは着いてからのお楽しみさ」


ちょうど角を曲がったところにある『ドミニク』という名前のレストランに入った。自分へのご褒美にしたり、他人に行った
ことを自慢したくなるようなレストランだ。ここは『アーネスト』で働いていた時に知った。ゆったりとした厨房で、バーテ
ンダーはきびきびしてる。強い食前酒を2杯、胃の中に流し込んだら、すっかりいい気分になった。ひとつひとつ赤いビ
ニールで仕切られた席は、暖かい、上品な雰囲気を醸し出していた。こんなレストランには今まで来たことがなかっ
た。ドヘニーもどんなお洒落な人間が来ているのかまわりをキョロキョロ見回して、山盛りになったトレイが通り過ぎる
たび驚きの声をあげていた。『ドミニク』はただのいいレストランでなく、ドヘニーに「今夜、貧しい人たちはいったい何を
食べてるのかしら?」って言わせるような現実離れしたうっとりした気分にさせてくれる場所だった。眼鏡を上にあげ
て、クスクス笑っているドヘニーをよく見てみた。なかなかキュートだ。それにナイスバディ。でかい胸をしてる。何を恐
れているんだ?女性保護施設で見た彼女の健康診断書には"HIVネガティブ"ってあった。いや確かあの病気は6ヶ
月の潜伏期間があったはずだ。でもゴムをつければ大丈夫。俺は独身、彼女も独身。とがめる人間なんていやしな
い。いいや、それは間違ってる。そんなことしてはいけない。俺はいったい何を考えてるんだ! 二人でミックスサラダ
と前菜とチキンコロッケを食べて、年代物のワインを飲んだ。そしてちょっと失礼と言って、俺はトイレへ行った。

席へ戻る途中、二人のウェイターが金を踏み倒した客を追いかけてドタバタ走り過ぎるのを見た。こんなレストランで
もそういうことがあるんだと奇妙な感じがした。メインディッシュが運ばれてくるまでに、二人ともお腹いっぱいになって
幸せな気分だった。

「ひとつ聞きたいことがあるんだけど、まじめに答えてくれる?」
「まじめに?」
「そう、正直に答えて」
「そんなの約束できないな」
「アタシは真剣なの。ねえ、アマンダって名前のガールフレンドいる?」
たくさんの食べ物や酒のせいで俺の気が緩んでるのを見透かされてるようだった。
「いいや」
「アタシ知ってるのよ。アマンダなんて安っぽいTVドラマに出てくるような名前の知りあい、アタシにはいないもの。嘘
つかないでよ」
「いや嘘はついてない。アマンダのことは知ってる。でももうガールフレンドじゃない。別れたんだ」
「本当?本当に別れたの?」
「ああ」
「どっちが別れようって言い出したの?」
「俺が彼女にふられたんだ」
「どうして?」
「理由なんてわからない」
「ヘンリー、ちゃんと思い出してよ」
「ちゃんと真面目に答えてるさ。アマンダを騙したわけじゃないし、ひどい仕打ちをしたわけでもない。心変わりもしな
かったし、ドラッグにもおぼれてない。アマンダも別の男とつきあってない。ただ二人ともバラバラになっただけだ」
「どうしてなの?そんなのおかしいじゃない。なにか隠してるでしょ」
「いや別に隠してるわけでは…ただ彼女はもう俺を…」
俺はしどろもどろになって、当惑した表情を見せてしまった。
「何?彼女がどうしたのよ」
「アマンダはもう俺のことを好きじゃなくなったんだ」
「ええっ!そうなの!ちょっと待ってよ、それってすごく悲しい話じゃない!」
「そう、やっとわかってくれたようだね」

ドヘニーはフィレミニョン、俺は舌平目のメインディッシュをなんとか詰め込んで、二人でもう一本ワインを注文した。小
説家というのは副業でハンバーガー屋みたいなありきたりな仕事をするものだと教えたあげたら、ドヘニーはそれもよ
さそうねって言って、ちょうど新しい本を書き始めたところだと話し出した。それは子供向けの物語で、猫が集団自殺
する話らしい。面白そうだけど、実際に猫たちが自殺をするのはよくないんじゃないかって言ったら、そんなのは無責
任だ、子供達は現実を知らなければならない、自殺は実際に起こりうるリアルな出来事で、ハッピーエンドなどなく、
ひどい挫折感に対してちょっとした勝利を味わうだけのものなのだと反論してきた。もしハッピーエンドの話にしたいな
ら、自分で書いてみたらと言われた。かなり酔っているようで、俺の手を握りしめてきた。この娘は将来どうなるんだろ
う。そんな悲しい気持ちになった。
会計を済ませようとしたら、ウェイトレスがもう支払い済みだと言った。
「えっ、誰が支払ったんだ?」
「隠れファンが払ってくれたんじゃないの」
部屋のまわりを見渡してみた。
「隠れファン?」
ウェイトレスが笑顔で去って行った。ドヘニーがこっちを見て笑っているのに気付いた。
「君が払ったのか?」
ドヘニーは顔を赤らめた。
「でも、どうして?」
「さあ、行きましょうよ」
立ち上がったドヘニーの腕を掴んだ。
「ちょっと待てよ。どっから金を手に入れたんだ?」
「心配しないで、アタシ持ってたから」
俺は目をしばたかせた。
「心配しないでだと?そもそも無一文だから家に泊めてやってるんじゃないか。無一文っていうのは嘘だったのか?」
「泊めてくれてるのはアタシが無一文だから?何よ、それって慈善事業のつもり?」
ドヘニーは傷ついているようだった。
「じゃあ、どういうつもりで家に泊まってるんだ」
「今日だけお金を持ってたのよ」
「どっから持ってきた金だ?」
「あなたには関係ないでしょ」
「なんだとっ!関係あるじゃないか。どうして君が金を持ってるんだ!」
「シィーッ、騒がないでよ。恥ずかしいじゃない」
「騒ぐなっだって?どうやって金を手に入れたかを聞いているんだ」
「夕食代だけあったの。今はもうないわ」
ドヘニーは戸惑いはじめた。
「夕食代だけ持ってた?そんな都合のいい話があるか?」

大声でどなったのでドヘニーはびくびくしてた。でも彼女が何をしたのかわかってたから、彼女を更正させるためにもこ
のまま終わらせるつもりはなかった。
俺は向こうにいたウェイトレスを呼んで尋ねた。
「これまでに伝票をなくした客はいたか?」
「いいえ」
「俺はなくした。これから払うから伝票をくれないか?」
「何をするつもりなの?」ドヘニーが言った。
「もうお支払いする必要はございません」ウェイトレスは言った。

マネージャーらしい背の高い中年の女性がやってきた。
「どうかいたしましたでしょうか?」
「ああ、このテーブルの料金を払いたいんだ」
「どうしてですか?」
「だってまだ支払ってないからさ。だぶん現金で支払われたかもしれないけど、それはそこにいる女が盗んだ金だと
思うから」
「アタシ盗んでないわ!」
ドヘニーが飛び出してきて叫んだ。

俺はマネージャーに近づいて言った。
「とりあえず伝票をもらえないか?」
ドヘニーはテーブルを手で叩きつけて、突然泣き出した。
思ったより大きな騒ぎになってしまった。
マネージャーはかがんで俺に囁いた。
「ご心配ありません。お支払いして頂かなくても結構ですから」
その声はふるえていた。
「やめてよ、ヘンリー!アタシお金なんて盗んでないから!」
「俺は払いたいんだ。この娘はこれまでも盗んだ金で支払ってきた。だから伝票をよこせよ」

「違います。彼女は盗んでません。クレジットカードでお支払いになられましたから」
ウェイトレスがそう言った。

「えっ、本当に?」予想外の展開だった。ドヘニーの方を向いた。
「クレジットカードを持ってるのか?」
「そうよ。今夜二人でディナーに行くってガスに話したら、支払いに使うようにって言って貸してくれたの。自分の請求
につけるようにって。あの人、以前あなたをランチに誘ったけど断られたから」


ドヘニーが店から出てくるのを待つ間、駐車場で背の高い女性マネージャーに俺はこっぴどく叱られた。ドヘニーは店
内でまわりの客に慰められ、気付けの一杯を飲んで、出てきた時にはもう泣き止んでいた。

あなたのせいじゃない、ドヘニーはそう言ってくれた。確かに自分には疑われるだけのたくさんの理由があったと。

マネジャーは俺のことを大馬鹿呼ばわりして、ドヘニーにこんなひどい男の家にまた戻るのかと尋ねた。ドヘニーは一
緒に行く、心配ないと答えた。マネージャーはムカムカした顔で店に戻っていった。


家に帰ってからも、ドヘニーはひたすら謝り続けた。フローズン・ヨーグルトの皿を持っていっても、手をつけず、ベッド
にもぐりこんでしまった。俺も続いてベッドに入った。

「アタシ、馬鹿だからレストランであなたに恥をかかせたわ」
「もういいよ。謝らないといけないのは俺のほうなんだから」
「いいえ、ガスのことを話しとけばよかった。でもあの時はあなたを驚かせたかったの」
「いや、馬鹿なのは俺さ。大騒ぎしたのは俺なんだから。君はちっとも悪くないさ」
「ヘンリー、あなたは馬鹿じゃない。アタシがあなたに信じてもらえるような人間じゃなかっただけ。そうアタシは誰か
らも信じてもらえないの…」

ドヘニーは寝返りをうった。また泣いているようだった。俺は彼女の背中にさわった。「ねえ、ハッピーエンドって本当
にあるの?」ドヘニーはそう尋ねた。俺は彼女を泣き止ませようと思って、後ろから抱きしめた。子供のように丸く小さ
くなって、滑らかできれいな肌だった。

だめだ、こんなことしちゃいけない。心の中で葛藤があった。”ちょっと待てよ”、”いやいや案外悪いことじゃない
ぞ”、”彼女を可哀想に思ってるだけなんだよ”、”いやいやお前はもう愛し始めてる”、体に残っているアルコールが
「さあ、行け!」、良心が「酔ってるからって何をするんだ、この馬鹿野郎!」。でももう歯止めが利かないことは自分
でもわかっていた。

ドヘニーは顔を俺の方に向けてきた。二人は唇を重ねた。俺の手は滑るように背中からパンティの中へ入っていき、
その中にあるものを軽く撫で回した。彼女があえぎ始めると、俺のほうも固くなってきた。そいつを彼女の顔のあたり
に持ってきて、涙を拭いてやると、彼女は口いっぱいにふくんで、濡れそぼったそいつを丁寧に舐め上げていった。二
人の距離は7センチ。ビジュアル的にも申し分のない位置で行為が始まった。俺は彼女の足を開いて中に入っていっ
た。ドヘニーは小さなうめき声をあげた。

暖かくなった彼女の中に入っていくのはいい気持ちだった。ドヘニーは俺の尻を掴んで、中へ引き入れてくれた。俺
のものが出たり入ったりするのをドヘニーは首をあげて見ていた。彼女の片足を上にあげて、前にかがんで、ぴったり
と体をこすりつけて、さらに奥深く入っていった。ヌルヌルした感触を感じながら、彼女を突いていくうちに、こすれあっ
た部分がピチャピチャといやらしい音を立てはじめた。ドヘニーは絶頂に達する直前に大きな声で叫びだした。そうま
るでチワワがキンタマをネズミ捕りの罠にはさまれたようなキャンキャンという泣き声だ。隣のビルの窓が閉まったり、
開いたりする音が聞こえた。俺は声を出させないよう彼女の口に指を押し込み、彼女はそれを受け入れた。

いきそうになって、引き抜いて、彼女の口に入れた。そいつが柔らかくなってからも、最後の一滴までふりしぼるよう
に口にくわえていた。俺は彼女の頭を押して離してやった。

「たくさん出たね」
ドヘニーはグッタリとしたうつろな表情で言った。
「そうでもないよ」
「ふふっ。部屋の壁紙を全部貼りかえれるぐらいたくさんあったわ」



銃口の先の動かない鳥を撃つなんて狩猟とは言えないが、だからって撃たずに済ませられるハンターはいる
だろうか?

ジョン・バースの本でそんな文章を読んだことがある。ドヘニーとやった後、密猟者のようなやましい気分になった。目
が覚めると、ベッドの隣にいたドヘニーはもぬけの殻だった。たぶん昨日言ってたように仕事を探しにでも行ったんだ
ろう。

すると向こうからクスクスという笑い声が聞こえた。顔を向けると、ドヘニーが部屋の真ん中に椅子を置いて座ってい
た。真っ裸で足を組んで、酔っ払ってるようなヘラヘラした表情で俺のほうを見つめていた。

「あなたってとってもキュートね。寝てる最中におならしてたわよ」
俺は恥ずかしくて目を伏せた。
「さあ、起きて、寝ぼすけさん。せっかくの一日がもったいないじゃないの」

ドヘニーはベッドに飛び込んで、抱きついてきた。
「やめてくれよ」
俺はシーツを引っ張って、頭から引っ被った。
するといきなり背中と首を押してマッサージしはじめた。最初は抵抗してたけど、次第に身を任せるようになった。

「筋肉のない男の人ってとっても珍しいわ」
ドヘニーは言った。
「ホーナス・ワグナーって野球選手がいたでしょ。あの人、体重を増やして、体を鍛えるのにすごく気を遣ってたらしく
て、ずっとジム通いしてたそうよ」
「今、何時だ?」
「もう起きなきゃいけない遅い時間よ」
「どれぐらい遅いんだ?」
「もうすぐ7時半」
「まだ早い。もうちょっと寝なきゃ」
「ねえ、もう起きてよ。早起き鳥は虫を捕まえるって言うでしょ」
「そう、早起きする虫は食べられてしまうんだ」
「もうっ!さあ、起きるのよ!せっかくの一日が台無しになっちゃうじゃない!」
ドヘニーはベッドの上でジャンプした。
「頼むから寝かせてくれよ」

不安な気持ちがどんどん膨らんできた。これは一体どういうことだ?俺たちは一心同体だって言うのか?ハネムーン
じゃあるまいし。確かにセックスはしたけど、あの娘は処女だったわけじゃない。処女はあんなところ舐めずに吐き出
すからな。それに「痛いっ!」ってわめくはずだ。あいつみたいに「イイッ」ってあえぐはずがない。そうこう考えてるうち
に俺はイライラしてきた。

ドヘニーのアソコはボウボウに毛が生えてた。朝日がまぶしく思えるくらい毛がウジャウジャと密生していて、ホーム
ベースぐらいの大きさがあった。上半身はまずまずいけてるなのにどうしてなのかわからない。肌はなめらかでツルツ
ルしてるし、腕にもあごにも、乳首にも毛は生えてない。でもへそから下は、アメフト選手で人間芝刈り機の異名をと
ったマイアミ・ドルフィンズのラリー・ゾンカみたいだった。あるいは毛むくじゃらのトルコの人魚とか。

ドヘニーはアパートの中を得意になって歩いてた。ドテのあたりがキンタマでも隠してるんじゃないかって思うくらいピ
チピチにふくらんでいて見るのも辛かった。俺は彼女とやった。ちゃんとした男ならやったことに対する責任をとるもの
だ。ハグしてあげたり、一緒に朝食を食べたり、ベーグル屋でいちゃいちゃしたり。俺にもそれくらいのことはわかって
る。でもそれは後の話だ。今、俺は休息を取りたいんだ。

それから2時間ほどベッドの上で寝転がっていたけど、なかなか寝付けなかった。悪夢にうなされて、10分ごとに目を
覚ますと、ドヘニーは椅子の上に座ったり、窓枠に腰掛けながら、いつも俺のほうを見つめて、大口を開けて笑ってい
た。最後はムッと吐き気をもよおすような匂いで目が覚めた。足元を見るとドヘニーがベッドカバーをかぶっていた。カ
バーをはがすと、その匂いのもとが彼女の口からぶらさがっていた。

「おい、ベッドの上ですることか?」
「ごめんなさい。煙がいかないように気をつけてはいたんだけど」
「捨てるんだ」
「はい、ご主人様」
そう言って手に持ってたコーラ缶の中に煙草を落とした。

「ねえ、この写真のあなたは肉襦袢を着てるの?」
「何だって?」
ドヘニーは妹のベティの結婚式に出席している俺とアマンダの写真を見つめていた。
「どこでその写真を見つけたんだ?」
「引出しの中。これって肉襦袢?」
「それはタキシードだ」
「ふ〜ん」
俺は寝返りをうった。
「この肉襦袢って今も持ってる?」
「何を言ってるんだ。肉襦袢なんか着ていない。そもそも肉襦袢って何だ?」
「知らないの?見かけを太らせる服のことよ」

シーツをかぶり直して、寝たふりをしていたら、今度はシーツの上から俺の耳をつねってきた。やわらかい曲げやすい
ところじゃなく、曲げたら痛い固い軟骨になってる先っぽの部分をだ。そして俺に囁きかけた。
「予感がするの」
「そいつはよかったね」
「ヨ・カ・ン・が・す・る・の」
節をつけて歌いだした。

俺は怒りをとおり越してもう何も言わなかった。
するとつま先から痙攣を起こしそうな、言うのも憚れるとんでもなく馬鹿で恥知らずなことを言い出した。
「アタシたち、今日から1年以内に結婚するかもね」

ドヘニーは、自殺への怖れ、母親からの虐待など、さまざまなコンプレックスを抱えてる。だからと言って、耳を引っ張
って、不眠症に悩まされている俺の頭蓋骨に響くような戯れ言を言っていいわけではない。俺は怖くなってきた。もし
こんな戯れ言を信じて、俺に少しでも疑いを持ったらどうなるだろう?そんなことが頭の中に浮かんできた。きっとどん
なことでも疑わしく思って、俺のことを悪魔だと言うかもしれない。寝てる間に喉を掻っ切られるかも。あいつの方こそ
エイリアンなのに。

「ドヘニー」
俺は努めて穏やかな口調で言った
「君は素敵な女性だし、昨夜は素晴らしいひとときを一緒にすごした。でもすぐにウエディング・ベルを鳴らすようなこと
はないと思うんだ」

「あなたがそう考えるのはわかるわ。当然だと思う。だってあなたはアマンダ・パーソンにふられて傷ついたから。そし
て今度はアタシに恋してまたふられるんじゃないかって不安になってるのよ」

アマンダのフルネームをドヘニーの口から大声で聞かされた上に、このいかれたナンセンスな考えにつきあわせれる
のは苦痛以外のなにものでもなかった。でも、昨夜はよく眠れなかったし、酒が残ったまま張り詰めた気持ちでセック
スをして疲れたのかもしれない。

「後でじっくり話そう」とりあえずそう言った。

「後でじっくり話そう」
ドヘニーは俺の口調を真似て繰り返した。
「あなたっていつも教科書みたいに堅苦しい形式ばった断り方するけど、それって怖いからでしょ?でも、もう恐れる
必要は何もないのよ、だってアタシもあなたのこと愛してるんだもの!」

ドヘニーは俺の背中に嵐のようにたくさんのキッスを見舞った。

「ちゃんと聞いてる?アタシ、ヘンリー・ホローヤンのことが好きになっちゃった。愛してるの。そう愛してる、愛してる、
愛してるっ!この気持ちはずっと変わらないわ!ずっとね!」



(第六章終わり)




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