Outside Providence



1988 by Peter Farrelly

<第1章>




ディルド、親父は僕のことをそう呼んでいた。ディルド・ダンフィ。このあだ名をつけられた日のことをよくおぼ
えている。そうあれは僕が9歳だった蒸し暑い夏の日で、レモネードを買うために15セント借りようと親父がやってるラ
ジエターショップに駆け込んだ時だった。何か悪いものでも詰まってそうな赤い鼻をした親父は額に汗をかきながら、
手を後ろに組んでカウンターごしにかがんでいた。親父はぶっ壊れたラジエターを睨みつけながら僕に言った。「ディ
ルド、いいか、一人前に稼ぐようになるまではここにいるんだぞ」

僕の洗礼名はティモシー・ブライアン・ダンフィー。ロードアイランド州のポウタケットという町で生まれ育った。ポウタケ
ットは州都のプロヴィデンスの北に位置していて、小さな川が流れている寂びれた町だ。親父はポウタケットを香りの
ある町だと言っていたく気に入っていた。確かに香りはあるけど、それは川の上流にあるスナック菓子の製造工場の
せいで、そこで作られるサワークリームオニオン味のポテトチップスの匂いが町じゅうに立ち込めていた。そうポウタケ
ットはアメリカの工業都市としてよく知られていた。

親父と僕と弟の3人はブラックストーンリバーの川辺にタイヤや樽を埋めた上に作られた三階建ての築70年の古いア
パートの1階に住んでいた。アパートの屋上はこうもりでいっぱいだった。昔からブラックストーンリバーには、工場が
建っている付近に3つの頭のカエルがいたとか、頭が2つの鯉が泳いでいるのを見たとか、いろいろな噂があった。だ
から僕はブラックストーンリバーでは泳いだことがない。

母親とは1963年の11月22日までは一緒に暮らしていた。その日、ガレージで脳みそを吹っ飛ばして自殺した。日々
の暮らしにうんざりしていたわけじゃない。死にたいっていう気持ちでいっぱいになっただけだ。家の玄関にはハンド
ガンの形をしたステッカーが貼られていてそのステッカーにはこう書かれていた。「番犬がいます。飼い主にもご用
心」

近所にも問題のある家族が多かったように思う。同じ通りに住んでいた女性も自殺したし、僕らの隣人は殺人の共犯
者だった。両親の3分の1は離婚してたし、離婚はしてなくても浮気をしていた夫婦はたくさんいた。虐待されていた
妻や子供、もしかしたら夫だっていたかもしれない。気のいいアル中の連中もいたな。通りの角にはボーイスカウト達
に向けて発砲した保護観察処分中の馬鹿な男が住んでいた。

僕らの家の前の交差点はロードアイランド州の中で最も危険な交差点だった。5つの道路が交差する地点で、それぞ
れの方角の信号はずっと急かすような黄色の点滅信号になってて、ラッシュアワー時には我先にと急ぐ車がわんさ
かと集まって、交差点で毎日バトルを繰り広げていた。1年の事故件数は50件以上。でも間一髪で命が助かる事故
が多く、死亡事故はなかったので、大きな事故を期待していた親父はいつもくやしがってた。

僕は身長180cmで赤い巻き毛の髪をしている。そばかすはない。小さい時に親父からは赤毛の男はガタイのいい屈
強な男になるって誇らしげに言われたことがある。親父は僕が短気でワイルドな男になることを確信していたようだっ
たけど、そうはならなかった。僕自身もそうなりたいと思って、一所懸命お祈りしたし、夜、寝る前には風呂場の鏡の
前に立って、手足を曲げてボディビルダーみたいに唇をとがらせてポーズをとっていた。でも人から怖れられるような
屈強な男だと自分でも思えなかった。もし誰かがけんかをふっかけてきたとしても、男らしく中腰になって拳を構えて
相手をにらめつけはするけど、自分のふやけた顔と小さな拳が目について、相手に殴られることを想像してしまうよう
な人間だった。屈強な男じゃなかったから、何年もさんざんに殴られて、僕の顔は結局親父の期待したようないかつ
い顔になってしまった。ほとんどの女の子は僕のことを気にもかけなかったけど、前歯が1本欠けたキュートな男の子
って思ってくれた女の子もラッキーなことに少しはいたようだ。3つ年下の弟のジャッキーは、それほどからかわれるこ
とはなかったけど、出っ歯が目立つことを悩んでた。更に悪いことにジャックの2本の出っ歯は少し欠けていた。

親父のラジエターショップはポウタケットのシルバ中央通りの角にあって、そこは町ではよく知られた場所になってい
た。というのは親父が昔この店の売り文句を考え出して、いたるところにそのポスターを貼っていたからだ。「PICK A
WINNER」(上手な選択をしろ)というその売り文句は、宝くじの広告にあるようなありきたりの古いジョークに思えて、
僕は恥ずかしかった。店の名前はポップス(Pop's)。それは親父のあだ名だった。親父は子供の頃、たくさんの黒人を
殴り飛ばしたから(pop:殴る)、このあだ名を付けられたと自慢していた。親父はプロヴィデンスのフェデラルヒルという
場所で育ち、そこはイタリア系の移民ばかりが住んでいて、アイリッシュ系の子供は親父一人だった。少年時代のあ
る土曜日の夜、親父は仲間と連れ立ってプロヴィデンスの北の方まで探検に出掛けて、黒人達を殴り倒したそうだ。
「正気の沙汰じゃなかったね。あんな危険なところに行くのは死にに行くようなものだったからな。奴らをさんざんな目
にあわしてやったさ」親父がそんなことを言ったから、僕と弟はそうしないと馬鹿に思われるんじゃないかって思って、
長い間、黒人を嫌いなふりをしていた。でもある時点で親父は僕たちにたくさん嘘っぱちを言ってるんじゃないかって
気が付いたんだ。そう、思えばあの時も嘘っぱちを教えられたな。1年生の時、十字架に書かれてる「I.N.R.I.」("Iesus
Nazarenus, Rex Indaeorum":ラテン語でナザレのキリスト、ユダヤの王)って何の略語なのか尋ねたら親父はこう答
えた。「ロードアイランド州にて」(In Rhode Island)



僕が13歳の時、親父は飼ってた犬を殺した。犬の名前はクロープス。それは避けられない事態だっ
た。クロープスは子猫を襲うのが好きで、近所では猫の首を噛み切る冷血で獰猛な犬として怖れられていた。そして
近所のヘンリー氏が飼ってた猫の首を怖がる6歳の娘の前で引きちぎったのが運の尽きだった。その日親父はクロ
ープスを殺すことを決めた。

クロープスは2年前に弟のジャッキーが発電所の近くで拾ってきた。僕が今まで見た中で一番みすぼらしい野良犬だ
った。大きさは痩せた狐ぐらいで体毛はほとんどなく斑の部分以外は禿げ上がっていた。見つけた時にはすでに片目
で足も右の後ろ足を使わずに3本足で歩いていた。それは右後ろ足が老人のしなびたペニスぐらいの長さしかなかっ
たからだ。それでも恋は盲目とは言ったもので、ジャッキーはクロープスを家出した血統のいい犬だと信じていた。誰
かがクロープスをドッグショーに出場させるために盗もうとしてるんじゃないかって真夜中にジャッキーに起こされたこ
ともあった。ジャッキーはこんなことも言っていた。「クロープスを見てよ。3本足で走ってる犬なんて見たことある?」

親父ははじめからクロープスのことを気に入らなかった。「あんな野良犬は絶対に飼わないからな」って言うだけじゃ
なく「あんな薄汚い犬、殺してしまえ」とまで言っていた。幸いにも親父の友人のキャヴィーチは犬好きだったから「犬
は子供達に成長ってもんを教えてくれる」と言ってくれた。

とりあえず親父は犬を飼うことを許してくれた。片目だったからジャッキーはキュークロープス(ギリシャ神でシシリー
島に住んでいたとされる一つ目の巨人)と名づけて、それでクロープスと呼ばれるようになった。

僕はクロープスが近所の猫を片っ端から待ち伏せして襲うのは昔大きな野良猫に右目をえぐりだされたからじゃない
かって思ってたから、猫たちに警告を与えるためにクロープスの首に鈴をつけた。でもそれはまるで役に立たなかっ
た。クロープスは1ヶ月に1度か2度は口のまわりに血でまみれた毛をつけてノロノロと家に帰ってきた。そしてヘンリ
ー氏のシャム猫を6歳の娘の愛らしい手から引き離して、噛み殺した運命の日がやってきた。クロープス最後の日
だ。ヒステリックになった近所の連中が家まで走ってきて、ヘンリー氏は血だらけになった猫の死体を僕とジャッキー
の目の前に押し付けた。まるで僕らがそんなひどい殺し方をしたかのように。

夜、親父が地元のソフトボールの試合から帰ってくると、ヘンリー氏から電話がかかってきて親父に事の顛末を話し
た。そして親父はヘンリー氏に一言だけ言った。
「心配ない。あの犬はもう死んでいる」
電話を切った後、僕とジャッキーをにらみつけた。
「猫殺しの禿げ頭の犬はどこに行きやがった?」
僕ら二人は何も答えなかった。
「おいっ!あのくそったれ犬をどこにやったんだ!」
「外…」ジャッキーが言った。
親父は玄関に出て口笛を吹いた。するとクロープスは走ってきた。でも親父の影を見て急に立ち止まった。クロープス
は首をかしげながら僕らを見ていた。親父は捕らえようと手を伸ばしたけど、クロープスは後ろに飛び上がって歩道ま
で後ずさった。親父はジャッキーにクロープスを呼ぶように命令した。
「いやだよ。ひどい目にあわせるんでしょ」
親父はジャッキーのシャツを掴んで、上に持ち上げてつま先立ちさせた。
「さあ、あの野良犬を呼ぶんだ。さもないとお前をひどい目にあわせてやる。あいつをほっといたら俺が訴えられること
ぐらいお前もわかってるはずだ」
ジャッキーは泣きはじめた。「クロープス、もどっておいで」小声でつぶやいた。
クロープスは少し後ずさりして立ち止まった。僕は親父の後ろに立っていたから、こっちに来たら最後だぞという警告
を込めて頭の後ろで手を振ってクロープスに合図した。
「もう一度呼ぶんだ」親父は言った。
「おいで、クロープス」ジャッキーは言った。
尻尾を弱々しく振って、クロープスは家に入り始めた。親父はクロープスの首がドアに入ったところで、ドアを思いっき
りしめて、首をはさんだ状態ですごい形相でドアに力を加えた。クロープスの目玉は飛び出しそうだった。30秒もの
間、親父は真っ赤な顔でうなりながらドアに力を加え続けた。ジャッキーは泣きながら部屋から出て行ったけど、僕は
その場にいた。カチッというビリヤードの玉がぶつかるような音がした後、ボキボキッという低い音が聞こえた。
親父がようやくドアから手を離すとクロープスは玄関のマットの上にドサッと倒れた。
「こいつを猫どもから遠ざけとくようにお前にも言っといたはずだ!」親父は言った。
「俺の言うことを聞いてなかったのか?だからこんなことになっちまったんだ。さあこいつを川まで捨ててこい」
僕はクロープスを抱き上げて外へ歩いた。腕の中で動きこそしなかったけど死んでるふりをしてるんじゃないかってか
すかな希望があった。
「ちゃんと遠くまで行って捨ててくるんだぞ。このへんで死体の臭い匂いがしちゃたまらんからな」親父の声が後ろで
聞こえた。

歩道に出ると、街灯があったのでその下にクロープスを置いて容体を調べてみた。横たわったままで目は見開いてい
たけど、お腹のあたりでグルグルというかすかな音が聞こえた。そういえば今夜はまだ餌をやっていなかった。僕は
申し訳ない気持ちになった。尻尾を振るかなにかしてくれるんじゃないかと思ってずっと撫で続けたら、ようやくキュー
ンと鳴いてくれた。よしまだ大丈夫だ。親父が風呂に入ってる隙にこっそりと家の中に入れた。寝室に運び込んだら
ジャッキーは泣きやんだ。
「死んでるの?」
「いや、まだ大丈夫だと思う」
「隠したほうがいいよ。パパに見つかったらきっと殺されちゃう」

その夜、ベッドの上で僕とジャッキーの間にクロープスをはさんで毛布をかけて眠った。翌朝僕は5時に起きて、マット
レスの下に隠していたペンライトでクロープスの顔を照らしてみた。目は開いたままだった。まだ息があるかどうかを
見るために口の中に指を突っ込んでみたけど下あごは冷たく閉じられていた。ジャッキーを照らしてみた。死んだ犬の
頭をテディ・ベアのぬいぐるみみたいに抱きかかえて眠っていた。シャツにはクロープスの口に付いていた血がべっと
りと付着していた。

ライトを消して、ベッドから出て、2枚のダンガリー布とクマの絵柄のついたジャージを用意して、ジャッキーの腕からク
ロープスの頭をそっと引き離そうとした。なんとかクロープスを取り出したけど、ジャッキーが驚いて目を覚ましてしまっ
た。
「心配ないから」僕は言った。
「ねえ、何をしてるの?」
僕はクロープスを床の上に置いて、スニーカーの紐を結んだ。
「田舎の方へ連れて行って、農家の人に預けようと思うんだ。クロープスを起こしたくないから静かにしてて。昨夜は
だいぶん苦しい夜だったからね」
「クロープスは田舎に行きたがってるの?」
「ああ。こいつは外にいるほうが好きだからな」
ジャッキーはクロープスの口のまわりの唾液をきれいにぬぐってあげていた。
「パパには知らせないで。きっとカンカンに怒るから」
「わかってる。なんとかするよ」
僕はクロープスの体を腕で抱きあげた。
寝室から出て行くとき、ジャッキーはすすり泣くような声でつぶやいた。
「さよならクロープス。きっと会いにゆくからね」

家を出てから、白いキャンバス地の新聞受けの袋にクロープスを入れて、それを肩にしょって通りに向かった。クロー
プスの4本の足は硬直したまま袋から突き出ていて、ペニスのように短い後ろ足も硬くなってまるで勃起しているよう
だった。

ジャンクション通りの橋を渡って、窓が黒く塗られた薄気味悪い工場の横を通りすぎると、川のムッとするような匂いと
ハイウェイから流れてきたもやが道の上に立ち込めた。僕は丘に登り、95号線に出るためにガードレールをひょいと
またいで飛び越えた。ポウタケットは7月に入ってから熱波のせいで酷暑になっていて、朝なのに気温は27度もあっ
た。親指を立ててヒッチハイクの合図をしながら30分ほど歩いていると、白い乗用車に乗った中年のイタリア人2人組
が止まってくれた。
「坊主、調子はどうだい?」僕が車に乗り込むと助手席の男が声をかけてくれた。
「いいよ。どうもありがとう」
彼は袋から動物の足が出てるのをチラリと見たけど見知らぬふりをしてくれた。
「どこまで行くつもりだい?」
「カンバーランド」
「よし、じゃあ途中まで連れてってあげるよ」
1マイルほど走った頃、運転している男がバックミラー越しにはじめて僕のことを見て、クロープスの足に気づいた。
「おい、坊主、その袋には動物が入ってるのか?」
助手席の男が言った。「おい、シャーロック。そいつはこの子の犬だ。何を言ってるんだ、お前は」
運転席の男は忌々しく隣の友人を見て、また犬の足を肩越しに見た。
「言わせてもらうけど、その犬はもう死んでるよ」
僕はミラーに映ってる運転手の眼を睨みつけた。
「馬鹿野郎!この子はお前に言われなくてもそんなことわかってるんだよ」
助手席の男がそう言って、僕に同情の目を向けてくれた。
「どうした?この犬は車にひかれたのか?」
「うん」僕は窓の方を見ながらそう言った。
運転席の男がまた聞いてきた。
「ちょっと聞いていいかな?その死体はいつから持ってるんだ?」
「ちょうど今朝から。カンバーランドに埋めに行くんだ」
「どうしてゴミ箱に捨てなかったんだい?」
助手席の男は隣の男にだまるように命令して、どこでも僕の行きたいところに連れて行ってやると言ってくれた。
僕は二人にお礼を言ってトウモロコシ畑の前で降ろしてもらった。
2時間ほどかけて、手で深い穴を掘った。
穴に埋める前に、袋から取り出してクロープスの頭にキスをした。
死臭はまだしていなかった。

家に戻ったら正午になっていた。ジャッキーは家にいなかった。午後からはずっとジャッキーを捜し続けた。でもいくら
捜しても見つからなかった。思えば不吉な日だった。ラッシュアワーにトンネルの中で追いかけっこしてた日のように
ツンと鼻につく空気がまわりに漂っていた。太陽は照っていたけど、薄青の空はグレーがかっていた。車のクラクショ
ンが猥雑に鳴り響いて、犬は吠えまくり、爪はほこりで真っ黒になって、腹の底から不快な気分になっていた。

教会の鐘が鳴り響く6時に知らせを聞いた。ジャッキーはフラフラと歩いて誤って送電線に引っかかったそうだ。爪を
焼き切るほどのひどい感電ではなかったものの、ジャッキーはバランスを崩して10メートル下の発電所に転落。新聞
配達の少年が金属の骨組みのそばに倒れていたジャッキーを発見した。

医者は首の骨がこなごなに砕けたのに助かったのは奇跡だと言っていた。誰が何と言おうととりあえずジャッキーが
死ななかったことに僕は感謝した。「これは悪魔の仕業だ!悪魔の仕業に違いない!」ばあさんは泣き叫んでいた。
でも20分後にはこう言っていた。「神よ...どうしてあなたはこんな仕打ちをされたのか…」

3日後に面会が許された。ジャッキーはロードアイランド病院の病室でうつ伏せになって寝ていた。金属のボルトが頭
蓋骨にねじ込まれていたようだけど、僕には元気だと言った。親父が医者と話すために離れた隙に、ジャッキーは誰
も聞いていないことを確認して僕に聞いてきた。
「ダンフ、いい農場は見つかったの?」
「もちろんさ」
僕はかがんでジャッキーの顔を見上げるようにして言った。
「10匹ほど犬を飼っている農場を見つけたから、そこに住んでる人にもう一匹飼うつもりはないかって聞いてみたん
だ。これまでの顛末を説明したよ」
「それで?」
「クロープスに関心を持ってくれたけど、もうすでにたくさんの犬を飼ってるし、羊や他の家畜もたくさんいるから、この
犬の餌代まで面倒を見れないかもしれないって言われた。だから、クロープスが猫を食べる話をして、餌はほとんど
やらなくてもいいって言ってあげた。丁度その時クロープスが向こうから走ってきて、じゃれ始めたんだ。それでその
人も喜んで、目を輝かせてクロープスの相手をしてやってた」
ジャッキーは笑った。僕は夢中になって話を続けた。

「クロープスはすぐに気に入られて、ドッグショーに出すか、キツネ狩りに使うか、どっちにしろ飼うつもりだって言ってく
れた」
「キツネ狩り?!」
「そうさ。キツネ狩り用の犬に使えるって言ってたよ。見かけがキツネみたいだから、馬鹿なキツネの群れに混じっ
て、ハンターのいるところに導くことだってお手の物だって」
ジャッキーは興奮して頬を真っ赤にした。
「クロープスはドッグショー用の犬だったかもって、僕、前にも言ったことあるよねっ!」

面会時間は終わった。看護婦が僕にジャッキーが病院に運ばれた時に着ていた服が入ったビニール製のバッグを手
渡した。家に着いてから僕はジャッキーが着ていた染みのついたシャツをボォ〜ッと見つめていた。それはクロープス
と僕と一緒に寝た夜に着ていたものだった。クロープスの口のまわりについていた血は乾いてチョコレート色になって
いた。



ジョゼ・ディチェンゾとモージー・タウンに誘われてスーサイドへ行った。スーサイドはポウタケット
で一番の急勾配の丘だ。冬には頂上まで登って雪そりで滑る男達がいたけど、滑り始めたら止まらないから、それ
は気違いじみた行為だった。いったん滑りはじめたら最後、ふもとで車に轢かれないように祈るしかなかった。60年代
にそりの上に二人乗りした少年達がふもとでダンプカーに轢かれて、まったいらになったという話もある。でもここの誰
もがこの度胸試しに夢中になっていて、みんなはロードアイランドルーレットと呼んでいた。

ディチェンゾはまともな神経の奴じゃないから、あいつと一緒にそりに乗ったことはない。あいつがブラックストーンリバ
ーの浅瀬で18メートルの高さから飛び降りて脚の骨を折ったのを見たことがある。脚の骨を折らずに飛び込めるかど
うかを試すためだけにそんなことをやったのだ。とあるパーティでは奴は壁際に立って、ドラッグ・デラニーに5メートル
も離れた場所から自分の頭の上につけたダーツの的へ矢を投げるように頼んでいた。その時も、あごに矢が突き刺さ
るまで、瞬きすらしなかった奴だ。

でもディチェンゾはポウタケットによくいる頭のイカレた奴じゃない。身長195センチもあって、毛むくじゃらで、100キロ
の体重がある巨漢だけど、根は無邪気ないい奴だった。ある日、僕ら5、6人で雪合戦をしていた時に、耳に雪の固ま
りをくっつけた男が車から出てきて、手にバットを持って僕らの方に向かってきた。手榴弾を投げたわけでもないのに
奴はカンカンに怒っていた。僕らは誰も身動きできかった。でも威嚇目的でやってきた男は、途中で巨漢のディチェン
ゾに気付いて、大きな見込み違いをしたようだった。男はディチェンゾをめがけて、野球選手のように大きなスィングを
ぶちかました。バットは宙を切り、自分の肩の当たってひび割れた。僕らはじっと息を殺して、ディチェンゾがどう出る
か見守っていた。まわりの野次馬連中もディチェンゾに味方して、襲ってきた男をなじり始めた。ところが奴は男の肩
をマッサージし始めたのだ。「おい、大丈夫か?お前さん馬鹿だなあ」みんながっかりした。奴は男を背中で背負っ
て、車のところまで運んで、車の窓から押し込んだ。男は泣いていた。殴られるよりも恥ずかしかったに違いない。自
分以外の人間を決して傷つけない。ディチェンゾはそういう奴だった。

モージー・タウンは来たるべき核戦争でみんな早死にする運命にあるから、この時代に生きているってことは自分を
自殺に追い込んでるのと同じだって言ってた。そして僕らの仲間のほとんどがその考えを信じていた。ニカラグアの大
地震や火山の噴火、戦争、飢饉、中近東問題などたくさんの不安をあおる兆候があった。昔を懐かしんでノスタルジ
ックな気分になるのは目の前に危険が近づいているからだともあいつは言ってた。ハーレー彗星がやってきた時、モ
ージーはどこか遠くで音を立てて爆発する音を聞いたそうだ。今になって思えば、だから奴はあんなに早く死んだんじ
ゃないかな。

ドラッグ・デラニーはモージーとは違う考えを持ってた。1978年のはじめに巨大隕石が地球に落ちてきて人類は絶滅
するって従兄弟から聞いたらしい。その従兄弟はロードアイランド州立中学校の先生からその話を聞かされたそうだ。
「でもこの話はまだまわりに広めてないんだ」ドラッグは言った。「だってみんなが知ってしまったら、もう最後だって思
って街を歩いてる女の胸をわし掴みする男達が後をたたなくなるだろう?」

親父とキャヴィーチはモージーの面構えを嫌っていた。モージーはあご髭を生やしていたから二人は"むさ苦しい髭野
郎"と呼んでいた。「ああいう洒落たことする奴はみんなホモだ。いかがわしい奴だって思われないためにこじゃれた
真似をしやがるんだ」ってキャヴィーチが言うから、「アブラハム・リンカーンはどうなの?」って僕は聞いてみた。「あい
つもカマ野郎だ」

ナンツィオ・キャヴィーチは親父とは子供の頃からのつきあいだった。かなり太った巨漢の大声の持ち主で、人生にま
ったく興味を失った偽善者のふりをしていた。本人は3メートルはあるはずだってふざけて言ってたけど、身長は175セ
ンチで体重計の上にのれば、針は160キロのあたりを大きく揺らしていた。頭はツルツルに禿げて輝いていた。何の
仕事をしていたのかわからないけど、いつも三つ揃えのスーツを着ていて、きっちり取り付けられた胸のボタンは釣り
糸で固く結ばれていた。

僕はモージーをかばおうとはしなかった。親父とキャヴィーチの二人は僕らがずっとスーサイドにいるのを面白く思わ
なかっただけだ。実際毎晩のように一杯15セントで飲める頂上のヒルトップ・カフェで酒を飲んで、給水塔に登ってい
た。ロードアイランド州では飲酒できるのは18歳からだけど、ポウタケットはそれほど厳しくなくて、ディチェンゾやモー
ジーのような常識外れの奴らは13歳から酒を飲み始めていた。75メートルの高さがある給水塔は空に向かって垂直
にそびえたっていて、夜遅くになると頂上には霞がたちこめていた。

切るのが面倒くさくて長髪にしてたから、僕は親父からホモ呼ばわりされていた。親父は僕が学校の教科書をベッド
に放り出して、グデングデンになって酔っ払って帰ってくるのを苦々しく思っていた。でも僕を寄宿学校に入れたほうが
いいというキャヴィーチの画策を親父が真剣に考えてたなんて思ってもみなかった。あのメイプルの木の事件が起こ
るまでは。

モージーとディチェンゾと僕の3人が真夜中の2時くらいに車を運転してる途中で、市から雇われた二人の男たちが傷
ついた大木を切り倒そうとしている現場を通り過ぎた。モージーは車を停めて、後ろの現場を振りかえって言った。
「まったく、これまで聞いたことないぐらいふざけた話だぜ」

僕は別に驚かなかった。市長の片腕だった男が正月の朝5時にこのメイプルの木にぶつかって、ぺしゃんこになった
キャデラックの中で血まみれで横たわっていたことは話題になってたからだ。その後、こんなところに木が立ってたか
ら事故が起こったんだと言われるようになって、男は飲酒検査もされず、1週間で無罪放免となり、樹齢100年のこ
の木をみんなが寝ている間に切り倒すことが決まった。

「見てみろよ」モージーはハンドルを握りしめて言った。僕とディチェンゾは排気ガスで曇ったリアウインドー越しに後ろ
を見た。
「よく考えてみろよ。こいつは金門橋から飛び降りる気狂いがいるから橋を壊そうってことと同じ理屈なんだぜ」モージ
ーが言った。
「そうだな。でも曲がり角って場所がよくないんじゃないかな」ディチェンゾが言った。
「曲がり角だから悪いって?ディチェンゾ、そいつは違うよ。そもそも木が立ってるところに曲がり角を作るほうがおか
しいんだよ」
僕は向こうにある倉庫を指して言った。「あの建物を取り壊して道路を作るべきだったんだろうけど、市があの倉庫を
所有してるわけじゃない。だからこっちに道を作ったんだよ」
「そうかもしれないな」ディチェンゾは言った。
「いいか、誰が計画したのかはともかく、みんな市長が何をしたのか知ってる。さあ奴らに反対しようじゃないか」モー
ジーは言う。
「でも市役所とけんかなんてできないよ」ディチェンゾは言う。
「いい加減にしろよ。お前のそんな姿勢がここに住んでる人間の問題でもあるんだ。みんな市役所の言うことを丸呑
みにして言いくるめられてる。ディチェンゾ、お前は間違ってるよ。俺たちなら奴らと喧嘩できる。だって俺たちは本当
に市のことを考えてるんだから」

翌朝親父は交番まで僕を迎えに来た。帰りの車の中、堅くハンドルを握りしめて、言いたいことをかなり我慢している
ようだったけど、僕を2度ほど前科モノ呼ばわりして、お咎めなしだったことについてはキャヴィーチに感謝するように
言った。そしてどうして僕らが木のまわりを取り囲んだのかを尋ねた。
「木が切り倒されるのを阻止しようとしたんだ」
「頭がどうかしてるんじゃないか?やめさせられるわけないだろうが。それにしても、お前らがそんなにあの木のこと
が好きだったなんて思いもしなかったぜ。畜生、これから家に帰った後、市長のところへ行って事情を説明しに行かな
きゃならないんだよ。まったく、とんでもないことをやらかしてくれたな」
僕らがやったことが無駄だという親父の意見は正しかった。現場でうっとおしい奴等に事情聴取された時には、すで
に木は切り倒されていた。
「木を守るって行為は僕らのシンボリズムでやったんだ」
「シンボリズム?ふ〜ん、シンボリズムとはねえ。ディルド、お前がロードアイランド州立高校の生徒として最後にやっ
たことがこれか?シンボリズムだとっ?けっ!」

次の日、親父は僕にコンウォールアカデミーというプロテスタント系の私立高校のパンフレットを手渡した。「こいつが
お前の新しい家だ。うまくいけば来週には引越しすることになる」パンフレットには"1845年にコネチカット州のコンウォ
ールで設立された立派な私立教育学校"とあった。"1958年に女子校も新設し、女子寮は男子寮から10キロ離れた
ところにある"とも書かれていた。創立者はボストンの神学者セオドア・クーリッジで、将来世界を担う指導者に繰り返
し道徳を説くために作られたという。
親父は"繰り返し道徳を説く"という文字を指して言った。「ディルド、見てみろよ。"繰り返し説く"って書いてあるけど、
道徳なんて何度も言われないとわからないようなことか?」



「犬のケツの穴は人間の舌よりもきれいだ」ディチェンゾがそんなことを言った。1974年1月17日、僕
がコンウォールに行く前の日だった。僕とトミー・ザ・ワイヤーとモージーは給水塔の上で酔っ払っていた。(ドラッグ・
デラニーは怖がって上まで登ぼる自信がなかったのだ)
「本当にそうかな?」僕は言った。
「犬のケツ穴の方がばい菌が少ないってのは事実だろ?」ディチェンゾは言った。
「じゃあネズミのケツはどうだ?」ワイヤーが尋ねた。
「どうだろう、たぶん人間の舌のほうが汚いと思うんだけど」ディチェンゾは言う。
「わかったぞ。それは人間の舌っていうよりも、お前の舌が汚いんじゃないの?」ワイヤーが言った。ディチェンゾは何
も答えなかった。

「ねえ、鉄の肺(小児麻痺患者などにつかう鉄製の呼吸装置)をつけた弟の生命維持装置をはずして殺人の罪にな
った哀れで馬鹿な兄の話を知ってる?」モージーが尋ねた。
「それって保険金目当て?」ワイヤーが言った・
「いや、鉄の肺をつけた弟は全身麻痺で動けない状態だったんだ。口も聞けず、自分で呼吸もできなくて、目を開ける
ことすらできなかった。チンポのまわりやケツの穴の上にたくさんのチューブがつけられてた。だからある日、兄貴は
弟を見て、こいつは死んだほうがましだって思ったんだ。弟のためを思って奴はそう考えた。ただ生かしておいても二
人ともずっと悩み続けるだけだ。そう思って、生命維持装置をはずした」
「それでそいつは殺人で逮捕されたの?」僕は尋ねた。
「そいつは逮捕されて当然だ」トミー・ザ・ワイヤーが言った。「そんなやつ逮捕されて当然だって誰だって思うし、俺だ
ってそう思う。その弟は回復したら病院を這いまわれるぐらいにはなったかもしれないじゃないか。死にたがってる奴
なんていやしない。そんなことするなんて馬鹿げてるよ」
「でも俺がもしそうなったらやってたかもな」モージーは言った。
「俺も」ディチェンゾも言った。
「お前ら、まったくどうかしてるぜ!」ワイヤーがそう言ってとりあえずこの議論は終わった。

それから、ワイヤーを車で送った後、モージーがまたこの話を続けた。「真剣に考えてみたんだけど、もし俺があの弟
のような状況になったら、人に見苦しいところを見せたくないし、苦痛から解放されたいって思うね。だから神の手で
終わらせてくれたらって思うよ」
ディチェンゾと僕は頷いた。そして数ブロックほど車で走った。

「もし自分がそうなったらすんごい憂鬱になるだろうな」ディチェンゾが堪えきれなくなって尋ねた。モージーは最初何
も言わなかった。信号が赤になって停車した。モージーは言った。「わからない。でも誰だってそうだろうけど、もし自
分の人生が生きる価値のないものだってわかったらきっと最悪な気分になるさ」


次の日の駅での見送りはそれほどおおげさなものではなかった。ジャッキーは病院に外出届を出して、プラットフォー
ムで僕を待っていた。親父は片道切符と30ドルを僕に手渡した。
「いいか、ディルド、俺はお前のためを思ってやってるんだぞ」
僕は怒っていたので何も答えなかった。
「おい、こっちを見ろよ。俺の親父だって、金さえあれば俺を寄宿学校に入れてたはずだ。どうしてだかわかるか?そ
こでは立派な人間になるためのいい勉強ができるんだ」

列車が出る前に、ジャッキーはキャヴィーチから買った立派な腕時計をくれた。10カ国の時間がわかるスキューバウ
ォッチのような形をした2キロほどの重さがある時計だ。コンパス、アラーム、カレンダーがついてて、折りたたみ式の
ポケットナイフも装備されている。ジャッキーは200ドルの値打ちがある時計だって言ってたけど、キャヴィーチはたっ
た7ドル50セントでジャッキーに譲ってくれたそうだ。

「こいつはいいものをもらった。まさか自分の腕につける時が来るなんて思ってもみなかったよ。どうもありがとう」僕は
ジャッキーにお礼を言った。
「どういたしまして」ジャッキーは言った。

うんざりするようなシューシューという大きな音を立てて、列車がガタガタ揺れながら前に進み始めた。僕は慌てて列
車に飛び乗った。車椅子に乗ったジャッキーは走る列車に沿って、僕の窓の下をプラットフォームの端まで追ってき
た。列車に乗る前にあいつをハグしてあげればよかった。僕は後悔した。ジャッキーの姿がどんどん遠くなっていっ
た。



<第1章終わり>




トップへ
トップへ
戻る
戻る