部員にとっては何気ない言葉が、深町の呼吸を一瞬止めた。 目の前が暗くなったが、暗転している場合ではない。深町は既にうっすらと白くなり始めた道を駆け出した。 鞄の中に残されたたった一つの包みが、かそこそと音をたてたので、慌ててスピードを落とした。 急ぎたいけれど、せっかくのチョコが崩れてしまってはいけない。もどかしさを堪えながら、まだ捕らえられない卓の後ろ姿を追いかけた。
「真壁くんっっ!!!」 やっと見えた金色の髪を見つけた時、反射的に深町は叫んだ。はたして卓はゆっくりと振り向いた。 「深町?」 白い息を切らせて駆け寄り、深町は卓のコートの袖口を掴んでいた。気がついて慌てて離し、後ずさる。 陽が落ちていることに感謝した。今なら見なくてもわかるほど赤くなっているはずの頬が、きっと卓にも見えていないはずだから。
「あ、あのね、さっきみんなにも渡したんだけど」 かじかむ手と逸る気持ちが鞄をなかなか開けさせてくれない。冷たい風が目に滲みて、涙を誘う。 待って、泣く訳にはいかないのと、強い意志で涙を引っ込める。 「真壁くんの分よ」 まるでタオルを渡す時のように、ごく自然に手渡そうとした。傘をささずに走ってきたから雪が頬や鼻先で溶けて冷たい。 でも笑顔は凍えていないはずだ。さあ、卓の手に届くまであと一歩の距離。
しかし卓の手は動かなかった。さっき後ずさりした時は感じなかった距離に、あらためて深町は気づく。あと一歩。それがこんなにも遠い。
「ごめん、深町」 深町は動けなかった。声すら出なかった。 「深町がおれたちの為に作ってくれたっていうのは、知ってる。だけどおれが欲しいのはたった一人からのチョコなんだ」
だから、貰うわけにはいかないのだと卓は言った。そして深く頭を下げる。深町はただ呆然と立ち尽くしていた。
確かに見た目は他のみんなと同じかもしれない。だけど違う。言葉は深町の喉の奥で凍って出てこなかった。 その『たった一人』が自分ではないのなら、何を言っても同じだからだ。 頭の中で何度も卓の言葉が繰り返され、その都度打ちのめされる。
「そっか、貰う前からいらないなんて言えないよね。やだな、気にしないで」 笑顔のまま固まっていたのが幸いして、勢いでまくしたてるようにして喋り終えるたその後は覚えていない。 じゃあまた明日ね、とかそんな感じのことを言ったような気がする。
ふと気づいた時、深町はバスの中だった。結露で曇る窓の向こうをぼんやり見ている自分に気づいた。
「何やってんだろ、あたし」
冷たいガラスに人差し指がそっと触れると、ガラスに映ったもう一人の自分の頬に、雫が伝って流れた。 後を追うように一拍おいて、深町の頬にも同じように雫が伝って流れた。
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