解 説 コスタンティーノ・ベルトゥッチは1841年3月12日ローマで生まれ、1931年4月30日にローマで亡くなった著名なマンドリン奏者で作曲家。庭園師である彼の父はマンドリンと現代リュートの熟練した奏者で、息子が5歳のときから教え始め、3年後には公の場で、父子でマンドリン二重奏を演奏していた。12歳のとき、コスタンティーノはマンドリンソリストとしてデビューした。この時期、ベルトゥッチはFinestauri(ファインスタウリ)から理論的および実践的なより高度な指導を受けていた(ファインスタウリは教皇教会の楽長であるCesare
Galantiから芸術を学んだ)。
ベルトゥッチはギターも学び、1860年からイタリアと外国で数多くのコンサートに出演。弟子のLa Marquise Gavaggi(ラ・マーキス・ガヴァッギ)
といくつかの王室の好意を受け、王宮での演奏を推挙された。
ベルトゥッチはマンドリンオーケストラを組織し、1878年にパリのトロガデロ開かれた万国博覧会で演奏した。これは非常に成功し、フランスでのマンドリン流行の始まりとなった。この時、ベルトゥッチと彼のマンドリンオーケストラ演奏は、トロガデロからヴェルサイユに中継されたが、器楽の電話での転送は最初のものだったという。
帰国後間もなく、マルゲリータ王女から、モンツァの宮廷に彼のオーケストラが招かれ、1885年にはトマソ王子の結婚式の際に王立庭園で彼のマンドリンオーケストラを指揮した。
彼は3冊の「マンドリン教則本」を編み(1885年にミラノのリコルディから出版)、当時まだ娯楽的要素を主にする傾向のなかで、彼の教則本は、合理的・実際的な技術向上に資する進歩的なものであった。
そして特筆すべきは、彼がマンドリンの無伴奏独奏曲を創始(*)したことである。
Op.19「椿姫幻想曲」、Op.20「トロヴァトーレ幻想曲」は 1886年にイタリアで出版されたが、その作曲スタイルは、それまで誰も試みなかったもので、マンドリン界の革新だった。
マルゲリータ公女(後の女王)に捧げられた「マンドリンのための18の練習曲」を出版(1902年リコルディ)。24の無伴奏曲を四つのアルバムに分けてリコルディとフォルリヴェジから出版。その他、ピアノ伴奏マンドリン曲、ギター独奏曲などを多数作曲。
*このことはジュゼッペ・ペッティーネの研究論文「マンドリンデュオの起源、発達及現状」でも論証されている。
「マンドリンとギター」第4年(1920)11月~第5年3月号)に掲載。
第一アルバム
1. Marcia funebre di Pulcinella (道化師の葬送行進曲)
2. Preghiera nell’inferno (地獄の祈り)
3. Nella Foresta,Melodia (森で)
4 .Falso Amore,romanza (偽りの愛)
5. Misteri della Vita,elegia (生命の神秘)
6. Danza del Diavolo,tarantella (悪魔の踊り)
第二二アルバム
1. Romanza
(ロマンツァ)
2 .Minuetto
(ミヌエット)
3. La Bergere (羊飼い)
4. Danza caratteristica(Forlivesi版)(特徴的舞曲)
5. Souvenir de Maschar ( Mascarのお土産)
6. Tutti in Festa (すべてを祝って)
第三アルバム
1. Al Chiarore di Luna,serenata (月明りの下で)
2. Notturno (夜曲)
3. Vorrei Amarti!,romanza (君を愛す)
4. Vita Spensierata,bolero (のんきな生活)
5. Mesto pensiero,melodia (悲しき思い)
6. Barcarola (舟歌)
第四アルバム
1. Arlecchino nella Bara,marcia (棺の中の道化役者)
2. L'Abbandono,melodia (絶望)
3. A Mezzanotte,seremata (真夜中に)
4. Danza caratteristica(Ricordi版) (特徴的舞曲)
5. Ballata (バラード)
6. Al Mare! Al Mare!,barcarola (海へ! 海へ!)
|