大辻 宰(オオツジ ツカサ)  

1979年京都生まれ。2004年より神戸市在住のタブラ奏者Kul Bhushan bhargava氏 に師事、デリー流派のタブラを学ぶ。
2010年より関西を中心にライブ活動を開始、北インド古典音楽のイベントも企画しつつ、演奏活動を行う。
インド古典音楽はもとより、多ジャンルの様々なアーティストと交流しタブラの可能性を追求しつつ活動を広めている。
現在、和歌山県有田川町在住。

【タブラとKul Bhushan bhargava氏の出会い】

僕は少年時代、ロックに影響を受けギタリストを目指していました。友人達とバンドを組んだり、ライブハウスでライブをしたり、ロック好きな少年として青春時代を過ごしてきました。
やがてロック以外の音楽にも興味を持ち始め、コンピューターミュージックやワールドミュージック、さらにその他の様々な音楽や楽器に関心を持つようになりました。そしてライブハウスだけでなく、ダンスミュージックが流れるクラブや野外フェスティバル、ジャズバー、ワールドミュージックのイベントなど様々な音楽シーンにも足を運ぶ様になりました。
そしてその中で、とても気になる打楽器のようなサウンドがありました。その時はまだそれがタブラのサウンドである事を知りませんでした。後に音楽好きでインド旅行帰りの友人よりそれが『インド打楽器のタブラ』という事を教えてくれました。僕はそれを聞いてすぐさまインターネットで検索しました。何故か僕はタブラという打楽器がとてもやってみたくなり、当時住んでいた神戸にKul Bhushan bhargava氏がタブラ教室をされていたので門を叩いてみる事にしたのです。

【僕にとってのKul Bhushan bhargava氏】

はじめてのコンタクトは電話でした。僕は英語も話せず、グルジ(師匠の意)も日本語に不慣れだったので、日本人の奥さんがコンタクトを取ってくれました。
グルジのお宅に訪問すると『あなたは本当にタブラがやりたいですか?たくさん練習しなくてはいけないので時間が必要です。大丈夫ですか?』
とグルジは仰られました。僕は何気なくも『はい』と答えました。
この時、カルチャースクールのような軽い習い事のような気持ちだった僕に対し、グルジは門下生の弟子として受け入れてくれていたのです。

当時のグルジは寡黙で(僕のような日本人にそれほど慣れていなかっただけでしたが…)とても厳しい方でした。僕は外国の人とそれほど交流がなかったので新鮮ではありましたが、文化の違いを常に感じてだんだんタブラが楽しくなくなってしまい、次のタブラクラスまで練習しなくなりました。
なんとなくその後もだらだらとタブラクラスを続けていましたが、案の定全然上達しませんでした。
後から入門してきた生徒さん達にも抜かれて差がついていく酷いタブラライフでした。 当時タブラの練習がどうこうというより全てに無気力で中途半端な状態でした。しかし次のタブラクラスもその次もその次も、グルジはとても困りながら『なんで練習してこない!』と厳しく叱ってくれます。
僕は無気力なままでしたが、一度思いっきり練習してみる事にしました。

次のタブラクラス、どうせ叱られるんだろうと思いながら前回の課題をグルジに聴いて頂きました。 するとグルジは『大辻くんがたくさん練習してくれて嬉しい!君はきっとうまくなる!』と目を輝かせてとても喜んでくれました。僕は上達した事よりもグルジがそこまで喜んでくれる事に感動しました。タブラだけでなくグルジが大切にしている事、考えている事、グルジの周りの事に興味を持ち始めたのです。『グルジを覚る』それがグルジからの初めての学びでした。その後、僕にやる気の火がついたのは言うまでもありません。

『先生と会った当初、インド人ってわけわからんと思いましたよ』

というと

『私もまた奇妙な日本人が訪問してきたなと思ったよ』

と今では冗談を言い合える人生の師匠と弟子の関係になりました。





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