とぜんぐさ(不定期雑記)

a@029  奈良公園に行きました

  3連休でしたので、金曜日に奈良公園へ行きました。「鹿」の奈良公園です。と言っても、一番の目的は「奈良国立博物館」で開催されていた「厳島神社国宝展」を見ることでした。
  かねて見たいと思っていました「紺糸威鎧(こんいとおどしよろい)」を見ることができたのは、収穫でした。また、「友成銘 太刀」もすばらしいものでした。 …なんて、美術品なんてよくわかんないくせにねえ。
  ただ、「紺糸威鎧」は確か教科書かなんかで見たことがあって、実物が見られるのであれば、是非見てみたいと、これは本当に思っていたのでした。

  ところで…

  奈良と言えば「鹿」ですが、興味深い話を教えていただきました。興福寺の「菩提院大御堂」にあります「伝説三作石子詰之旧跡」についてです。

  昔、三作という13歳の少年が、この堂で習字の勉強をしていました。ところが、一匹の鹿が庭へ入り、三作少年の書いた紙を食べようとしたのでした。三作少年は怒って、文鎮を鹿に向かって投げたところ、うまく命中し、鹿は死んでしまいました。ところが、当時、鹿は春日大社の神鹿とされていましたので、鹿を殺した者は、石詰の刑に処されることになっていたのです。三作少年は死んだ鹿を抱かされて、井戸に入れられ、石と瓦で生き埋めにされたのでした。
  この三作少年は、母一人子一人のあいだがらで、母親は大変悲しみ、三作の霊をとむらうため、明けの7つ(午前4時)暮れの6つ(午後6時)に鐘を、毎日ついたそうです。そして、母親は、その地に紅葉の木を植えました。
  今、私たちが知っている「花札」の鹿と紅葉の図案は、この話に基づいているのだ、とのことです。

  昔は寺社の力がとても強かったので、このようなことも実際にあったのだろうと思います。情け容赦ないのですね。

  ちなみに、興福寺の五重塔は、高さ50.8mで、これは五重塔では、日本で二番目の高さなのだそうです。一番目は57mの京都は東寺の五重塔なのだとか。奈良で教えていただきました。

(H17.02.13 記)





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