大東京三十五區

01.「二重橋」
  宮城の正門、即ち俗に言う二重橋であります。長禄元年、鎌倉管領上杉定正の家臣太田持資入道道灌が、武蔵野の荒野の中に築いた城を、後に徳川家康が居城と定めて、幕府三百年の基を開きました。当時は今の丸の内あたりが海辺だったといいますから、その眺望といい、その要害といい、実に好適な居城だったと思われます。



02.「宮城二の丸附近」
  明治元年、畏くも江戸城を皇居と定めさせられ、同六年の炎上後、十七年御起工、二十一年十月に御竣工相成ったのが、今日の宮城であります。このあたり、お濠の水と、石垣の松と、宮殿の甍とが相映じ、千萬年揺らぐことなき大内山の瑞色が漂っていて、我知らず頭の下がる思いがいたします。遙かに聳えているのが二の丸です。



03.「櫻田門」
  櫻田御門の一部。この附近には司法省、海軍省、警視庁などの諸官街が軒を並べております。蔓延元年三月三日水戸の浪士等が、時の大老井伊直弼を要撃したのは、即ちこの附近であります。半蔵門から櫻田門へかけては、お濠端としての情緒がもっともよく残されているだけに、春夏秋冬の眺めはまた格別であります。



04.「赤坂離宮正門」
  赤坂の高台、もと紀州候の藩邸のあったところで、明治六年、仮皇居と定めさせられ、同二十二年に宮城御竣工ありて後は、仮に東宮御所に充てられ、明治四十一年に、現在のような壮麗な宮殿を御造営になりました。



05.「青山御所」
  赤坂離宮のうちの、青山街道に面した西南部を、特に青山御所と申上げます。このあたり一帯は、起伏の多い丘陵地になっていまして、一説によれば、この附近に多く赤草を産したので、赤坂の名を呼ばれるようになったと申します。



06.「明治神宮」
  代々木練兵場に隣接する約二十二萬坪の霊域で、明治天皇及び昭憲皇太后を奉祀してあります。境内はもと御料地であった関係上、黒松、赤松、楢、榎、椋、欅などの大樹が多い上に、全国各地から奉献された樹木が、十萬本以上に達してをりますので、境内の森厳さは申すまでもなく、全国民崇敬の霊域として、まことに尊い限りであります。





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