大阪 南の大火
1912年(明治45年)1月16日の未明、南区難波新地4番町の貸座敷「遊楽館」に近くの風呂屋百草湯の煙突から出ていた火の粉が燃え移り、
西からの烈風にもあおられて一挙に燃え上がり、東のほうへ燃え広がりはじめた。 …火勢を止めるために、千日前を第一防火線としたが勢いは止ま
らず、第二防火線の日本橋筋、第三防火線の中寺町筋も突破され、ようやく同日の午前11時になって、第四防火線とした谷町九丁目でようやく
火勢の広がるのを防ぐことができた。この大火は明治42年の火事が北の大火と呼ばれたのに対し、南の大火と呼ばれた。
(新修大阪市史第6巻第4章第3節「南の大火」より)
ブログ版はこちらです
大火消失略図
火元遊楽館鎮火後の惨況
難波新地鎮火後惨状の光景
大阪南区大火猛火中の生魂町付近
高津掘割川より難波方面焼失後の惨状を望む
戎橋筋付近の惨状
南区陳列所の残骸
電気館焼跡