古絵葉書風景館 〜新おとらのしっぽ

大阪 北の大火(天満焼け)


 1909年(明治42年)7月31日午前4時20分、北区空心町2丁目のメリヤス製造販売業者の家から出火し、またたく間に火の手は大きくなった。火災の
原因はランプの油壷に火が入って破裂し、積んであったメリヤス原料品に燃え移ったためといわれる。当時乾燥状態がが続いていたうえに、低気圧が接近
していたこともあり大阪地方には強い東風が吹いていたため火勢はますます強くなった。 …このため火勢はなかなか衰えず、鎮火できたのは翌8月1日
午前4時頃であったから、まる1昼夜燃え続けたことになる。この大火は天満焼けあるいは北の大火と呼ばれた。
 (新修大阪市史第6巻第4章第3節「北の大火」より)

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大阪北区大火災焼失地域略図



大阪東天満出火地付近一円災害の光景



火元空心町玉田メリヤス工場



天満天神裏焼跡全景



火中の控訴院



猛火包囲中の控訴院



中之島公園より見たる控訴院、猛火益々迫る



未曽有の大火 午後五時の光景



未曽有の大火 午後六時の光景



焼失せし控訴院と北警察署



大江橋荷物運搬



大江橋焼落




半焼失の大江橋より見たる控訴院並びに北署の惨状



大江橋工兵の架橋作業



蜆川下流における焼失前の避難船



未曽有の大火 蜆川左右



大阪北浜銀行堂島支店火災後の惨状



火中の浪速小橋



避難者難波橋を経て中之島公園に荷物運搬の光景



梅田停車場前の罹災者



焼失したる堂島高等女学校



堂島高等商業学校焼失後惨状



大阪高等商業学校火災後の惨況



焼失したる福島五百羅漢



福島方面全焼の惨景



上福島天神社



大阪上福島一円火災後の惨況



大火のその後