No28



<シャルル・アズナブール 82歳芸の盛り>


 
さすが名優にして名作詞・作曲家である。シャルル・アズナブールの最終来日公演が、心の奥深くに数多くの歌を残して幕を閉じた。彼の歌が放つ生命力は力強く、その動きは名優ならではの物語性をもち、観客は涙、笑い、平和への祈りを共有し、彼の人生に感謝した。

コンサートは自身が作詞した「移民たち(みんな一緒に)」で始まった。彼の両親もまたアルメニアからの移民だった。彼は言う。「私は外国にでるときはフランス人としてふるまうが、国内ではアルメニア人の代表として行動する」。「コメディアン」では彼が幼いころに演技をしていた、旅芸人一座の生活を歌で見せる。手の動きが情熱的で、会場を指さすとき、そこに色っぽさがともる。続く「ラ・マンマ」ではこの世を去ろうとしている母親について、切々と歌う。その涙を誘うメロディーを書いたのも、アズナブールだった。



       
 「シャンソンは3分間の演劇」と言ったのは、誰だったか。まさに1曲1幕。「昔かたぎの恋」では彼が自身の肩に手をまわし、ほおよせ踊る熟年カップルを一人芝居で再現する。その歌のあたたかさ。

映画「ノッティングヒルの恋人」のテーマ曲にも使われた「忘れじの面影」も、アズナブールの作曲だった。「声のない恋」では手話をまじえて、ことばの不自由な恋人に恋心を伝える。

大ヒット曲である「ラ・ボエーム」ではハンカチーフがリラの花になり、主人公の画家が筆をふく布になる。アズナブールは素晴らしい歌い手であるばかりでなく、見事な演出家でもあった。

バイオリン、フルートを加えたサウンド構成もよく、15人のバックバンドを使い切っている。緻密(ちみつ)にねられたはずなのに、まるで「初演」のようなフレッシュさで歌が差し出される至芸。アズナブールにとって82歳は、男盛りなのだった

2月9日、東京国際フォーラム。(音楽ジャーナリスト・中川ヨウ)

毎日新聞 2007年2月22日 東京夕刊


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