ジェロントロジー・高齢社会の人間学をテーマにしています  家庭生活と病院生活 (2017年のふりかえり)

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              四葉クローバー 家庭生活と病院生活
                  (2017年のふりかえり)

   2017年は、1月末より「ガンちゃん、良い子だねんねしな」から始まり、
  「あっ」という間の一年でした。
  入退院を繰り返し、家庭生活の有難さ、人々のこころの有難さ等々多く
  のことを考えたり、悲しんだり、イライラしたり、その中から復活と希望に
  つなげることを色々と考える一年でした。
   病のお蔭で多くのことを学びました。
  生きていることにこころより感謝し、2018年の新年を迎えることができます。
    

マーク 1) 2017年(ふりかえり)

   2017年の始まりは順調でした。例年通りに神社参り、お酒やワインも楽しみ
  健康的な1月でした。
  予想もしなかったこと。2月にがんの疑いで検査入院や外来通院が3月まで続き
  精神的に最も辛い日々が続きました。

   4月より本格的にがん治療が始まりました。
  化学療法でしたが、第1クールの苦しかったことは今思い出しても辛い想い出が
  いっぱいです。
   髪は抜ける、だるさが出て気力がなくなる、どうでもいいと言うような無気力感
  の毎日で、今考えて自分が自分でないような日々でした。
  そこから抜け出すことが出来たのは、妻や医師先生・看護師の皆さまの愛情と
  思いやりのこころでした。

   優しさを受け止めることが出来たお陰で耐える力が湧いてきました。
  6月末手術、7月14日退院となりましたが、このころより気力が湧き、
  生きると言う実感が出てきたと思います。

   現在は、通院しながら回復を目指しての日々を過ごしていますが、
  これらは全て妻と担当して下さった医師・看護師のお陰で感謝の念で一杯です。
  私が、最も良かったと思えることは医師に対しての信頼感でした。
  セカンドオピニオン等は全く考えませんでした。妻も同様でした。
      

マーク 2) 予感

   普段から健康には自信があり、2017年正月はそこそこに酒を飲み、初詣をし
  例年どおり過ごしました。
   そのような15日間をすごし、正月もお仕舞と思っているおりに・・・
  ちょうど一年前の身体の異変が、ふっと頭に浮かびました。変な予感です。
  しかし、からだに自信を持っていましたので、気にせずそのままやり過ごし、
  そろそろ通常の活動生活に取り掛かろうと思っていました。

   その矢先に(1月末)やはり身体の異変(血尿)がまた起こりました。
  それでも自分ではそう心配しなかったのですが、今回は日にちの経過とともに
  量が多くなり、病院へ行くこととしました。
  変な予感は、血尿の事だったと今思っています。
  
マーク 3) 本能

    開業医の先生に紹介状を頂き神鋼記念病院にて受診しました。
  本当に苦しい検査の連続が3月末まで続き・・・。
  その結果がガンの告知でした。

   4月より、若い先生からベテランの先生に変更となりました。
  私にとってはそれは幸運だったと今でも思っています。
   余命半年か1年と宣告されましたが、
  何故か本能的に、死は頭に浮かんできませんでした。
  自分の命はまだまだと、こころで叫んでいたような気がします。

   この本能の声を信頼して治療をしようと決心し、けだるい、やる気がなくなる、
  髪が抜ける、その状況でやっと化学療法の第3クールが終了しました。

   その結果は、腎臓・肺・胃の三ヵ所のがんに対して、腎臓は腫瘍が小さく、肺は
  消えてしまい全く想定していなかった胃にも効果があったと医師に告げられました。

   本能の声に従って治療を決断したことが良かったのでしょう。
  その声に従って手術も決心しました。
  腎臓と胃と同時に摘出するとのことで体力的な心配を先生方はして下さいました
  が、自分の本能の声に従って手術を行いました。

   その結果が、手術後6ヶ月の今、こうして文章を書いています。
  先生方、妻、親族や友人の皆さまに感謝の念でいっぱいです。
  手術時の年齢は81歳と3ヶ月。
 
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4) 終りから始まる

    3月中旬より、入退院の繰り返しとなりました。
  病院のベットで治療を受けていますと、あまりいい想像はしません。
  特にがんと告知後は身の始末を真剣に考えていました。
  本能的には死を考えていませんでしたが、気分は良いものでなく、悩みました。
  しかし、それでは増々気分が滅入ってきます。

   前向きに「終りから始まる」と独り言をしゃべっていました。
  そのような気持ちになれたのは「痛くもなく・さして苦痛もなく」の生活が
  しばらく続いたからでしょう。
  その間に主治医の先生は、実に木目細かくベットサイドにて、話相手になって
  くれました。今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
  4月から若い先生からベテランの先生と替わりそれも良かったと思います。

   一日も欠かさず来てくれる妻。私の望む食べ物を持って、新聞を持って、
  殆どベットの生活で体のあちらこちらに痛いようなだるいようなところがあり、
  気怠い感じの日常でしたが、身体をさすってくれる、もんでくれる、
  妻が常に横にいてくれた実感がありました。
  妻、先生方、看護師などなど多くの方にこころを込めて手を差し伸べて頂きました。

   このような病院生活の中で自分が滅入ってしまうことはできません。
  「終りから始まる」このガンと言う難病をきっと克服できると少しずつ自信を持つ
  ことが出来る心境となりました。

   ガンが難病で大変な病気であればこれを終わりと考えて、必ず克服し、新しい
  人生が始まると独り言をつぶやいていました。
  現状は、どうか良く判りませんが、順調なようですし、新しいことを考えはじめ
  ました。後は「神のみぞ知る」悪いことは考えないように笑顔で日々を過ごす
  ことを心掛けています。

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5)つながり Gerontology

   私たちが仕事中は、多くはタテのつながりという上司と部下のつながりが、
  多かったように思います。
  2017年は、ガンの治療に明け暮れる一年でした。その折に感じたことは友人関係
  というのでしょうか、損得のないヨコのつながりのお蔭で本当にこころが救われま
  した。

   医師との関係もタテのつながりという感覚はなく、ヨコのつながりといえる程
  休日や休診日に病室に来てくださいました。
  開業医の先生は街中でお逢いするとその状況を聴いて下さり、こころ強いもの
  でした。

   高齢者問題の勉強をわたしが始めましたのは「Gerontology」が課題でした。
  ジェロントロジーとは、高齢者問題をヨコのつながりとして解決し、高齢者の
  自立を目的とした学問です。
  即ち、医学・生物学・心理学・社会学・政治・経済・工学等で問題点を
  解決するためにヨコにつなげて解決しようとする学問です。

   今回の病気では、このヨコにつながる関わりを意識して多くの方が私を助けて
  下さいました。
  利害関係なく多くのヨコのつながりの重要さを痛いほど感じ取る日々でした。

   がん哲学外来・メディカルカフェを偶然に知り参加させて頂いています。
  手術前の勇気を笹子先生ご夫妻に頂き、参加者の皆さまからは生きる喜びを
  共に分かち合っています。
  今後の人生はこのようなヨコのつながりを大切にし、自分自身の生きるを
  歩みたいと考えています。

マーク   6)
病床にて考える

   がんを告知され多くの方々よりこころを寄せて頂き、ただ、感謝あるのみです。
  当初やはり死を考えました。このまま死をむかえるとすればどのように始末をする
  べきか。当初の入院中の検査の苦しさ、抗がん剤の副作用などなど、苦しみの中で
  は良いことは考えません。
  自分が亡き後の妻の生活等々。相続・遺言等など・・・。

   それらから脱却できましたのは、妻や先生方・看護師の方々の励ましという、
  私を主役としてこころを尽くして下さった皆さまのお蔭です。
  少しずつ生きる勇気がでてきました。

   必ず、がんを克服して元の生活に返ると気持ちも前向きになりました。
  そんな折に大阪のNPOより成年後見制度の講演依頼があり、大変とは思いながら
  退院後まだ一ヶ月半の時でしたが、その行事をひき受けました。

   今後は、元の身体の時のように長い先の約束はできませんが、日々を計画的に
  過ごすことが残り少ない自分の人生にとっては、最も大切なことだとこころに決め
  て動き出しました。
  現状は、近隣の活動より、無理せずに計画を立てています。

   がんについての文章は、2017年12月30日付けで掲載したこの文章で
  ひと通りとし終了と致します。
  2018年からは明るい日々を目指して文章を書き続けたいと考えています。

                        シニア ライフ アドバイザー
                               岡島 貞雄


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