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![]() (81歳の挑戦) はじめに 2月の初めに血尿がでました。主治医に神鋼記念病院を紹介して頂き、 神鋼病院にて2月3月と入退院を繰り返しながら検査が始まりました。 この時期が肉体的にも精神的にも最も苦しく辛い日々でした。 膀胱と腎臓にカメラを入れての検査は精神的にも肉体的にも苦しみました。 特に管を入れての検査は辛く、もうこのまま検査も中止しようとさえ思う 日々でしたが、ある日、腎盂の検査後、精神的にも治療を止めようと思った時、 車いすで検査室に迎えに来てくれた看護師さんが、私の背中に両手をあて耳もとで 優しく「岡島さん、大丈夫皆さんが通る道であり、きっとよくなります」と励まして くれました。その時ほど嬉しかったこと、安心感を頂いたことはありません。 この看護師さんのお陰で手術の決断をし、手術が成功し現在在宅で養生生活を送る ことが出来ています。 人の優しい言葉や行動がどれだけ人々に勇気を与えるものかと実感し、 感謝の気持ちは忘れることはできません。 ![]() 検査の結果、腎盂ガンが発見されました。胃カメラによる検査で胃にもガンが 見つかり、更に肺にもガンが見られると言うことでした。 4月より、主治医が変更になり、化学療法を実施するための気持ちや肉体的な 症状につき説明を受けました。丁寧に優しく飾りなく。安心感を持って化学療法を 受けることにしました。 化学療法の副作用について説明を受けて覚悟はできていましたが、副作用に よる、無気力感、脱力感、脱毛に悩まされる入院生活が続きました。 化学療法を受けながら、手術の説明も色々として下さいました。ただ、手術迄に 時間的な余裕があり、自分なりに考えることができました。 入院中は、点滴の袋を2つも3つもぶら下げての日々。自分が惨めに見えて お見舞いに来ると言う友達や親族は殆ど断りました。 病院生活で最も困ったのが食事でした。ほとんど妻が毎日持ってきてくれる 副食や果物で過ごしたようなものでした。私の我儘でしょうが、困りました。 入院生活で本当に助かったこと嬉しかったことは看護師さん達の優しさでした。 老人ホームと同じように高齢者も多いのですが、介護施設と病院との違いを 考える日々が続きました。その違いは、病院は、系統的にしっかりと教育されて いることと、一人一人の看護師さん達にプライドがあることだと思いました。 勿論、老人ホームにも素晴らしい介護士さんは大勢います。 しかし、使命感とプライドに差があるように感じました。 入院中に手術について多くの説明を受けました。 その時点で覚悟していました、 ![]() 化学療法の結果は、造影CT、胃カメラの結果で腎盂のガンも胃のガンも 先生方がびっくりするほど小さくなっている言うことでした。 肺の方は処置をしなくともいいと言うほど消えていたようです。 何故、胃がんにまで効果があったのかと言われました。 ここまで効果が出て、小さくなったから、手術をと言う判断を先生方がされました。 先生の判断の通りにお願いすることとなりました。 泌尿器科の先生と外科の先生の説明をいろいろと受けました。私自身は、手術の 覚悟はできていましたので聴くだけと術後の身体の状態が心配でしたが、 妻は、メモをし後日私に再説明をしてくれました。 覚悟はしていると言いながら、平気な顔をしていてもやはり不安な気持ちだったと 思います。妻の説明で随分こころが安らいだようです。 81歳と言う年齢として、術後の体力が心配でした。 泌尿器科の先生は、飾ることなくメリットもデメリットも淡々と話して下さり、 その話しぶりでこころが落ち着き安心を頂きました。 外科の先生は、説明を受けるためにベットより起き上がり治療室までご一緒し ましたが、治療室に入るなり、「ベットよりの起き上がりとここまでの歩き方で 充分に手術に絶えることはできます」と話して下さり、 手術の内容と術後の話を懇切丁寧にして下さいました。この時点で素晴しい先生と 判断し、全てお願いすることとしました。 化学療法終了後15日後、6月27日再入院し28日手術と決定し、一時退院 しました。久しぶりにゆっくりと家庭で過ごしました。 なんと幸せな時間と言ったらいいのでしょう。この15日間の何と幸せな日々。 ![]() 6月27日再入院し、28日手術をおこないました。 病室から、看護師に先導され、私、妻、弟夫婦と姪で手術室まで歩きました。 何だか楽しい場所に行くような感覚でした。手術室に入る前に「行ってくるよ」 と言って中に入ったのが午前9時ころでした。 手術台に上がるまでは覚えていますが、それ以後は全く意識はありませんでした。 目覚めて人の気配を感じたのは、午後5時ころ(妻の話)妻が、私を覗き込み 「大丈夫」と声掛けしますと「怖いおばさん」と言って周りの人達を笑わせた そうです。私は、覚えていません。この約8時間は全く意識なく、私にとっては 「無」の世界でした。 それ以後は、集中治療室へ運ばれましたが、身体は動かない、動かそうとすれば 痛いし、また、動かしにくい状態で29日の朝までの時間でした。 この間は手術の状態を見ることさえできませんでした。看護師さんは付ききりで お世話をしてくれたと思います。小さな声や身体の動きのたびにベットサイドに 来てくれました。有難いことです。28日は、8時間は全く意識なく、変な気持ち です。 ![]() 病室に帰り、次の日から、看護師さん達に励まされて歩き始めました。 ベットより起き上がる時の変な痛み、それを辛抱し、病院内を歩き、徐々に増やし 頑張りましたが、痛みと気力喪失でやる気がなくサボることもありましたが、 面会に来る妻の励ましと看護師さん達の優しい声掛けで随分元気が出たものでした。 7月14日予定より、4・5日早く退院することができました。 家庭生活に於ける注意事項をしっかりと守ることを条件として、主治医の先生には 多くのご指導を頂きました。 7月14日午後1時より、自宅での生活が始まりました。 日常生活が始まり、最初に目にしたのは妻が、 購入していた「がん研有明病院の胃がん治療に向きあう食事」という本でした。 妻の心遣いが身に沁みて嬉しさで一杯となりました。 先ず、退院後の最初の1ヶ月より始まりました。よく噛むこと、1日を数回に 分けて食事をすること、等などはドクターにお話を聴いていましたが、それを 実行するために本を探し、毎日実践的に手配し、料理を作り、 1日に5~6回の食事を作ってくれました。 医師は家庭生活でこの点が最も心配してくださったことなのでしょう。 予定より早い退院を心配してくれていました。 一度失敗したことがあります。帰宅後、2日目の朝、親しくしていた高齢の方が、 朝7時頃にメロンを持って来て下さいました。果物好きの私は食後にメロンを沢山 食べましたところ、しばらくしてお腹が痛み出しとても苦しみました。 早速、妻の指摘で食べ物は消化の良いものより食べることと指導されました。 現在は、消化の良いものから順番に食べ、よく噛み、5~6回に分けて食事をして います。 退院後14日目に外来で受診し、良好と診断されました。 手術後、約1ヶ月過ぎましたが、体重もキープでき、食欲も少しづつ増えている 日常生活を送ることが出来るようになりました。 妻の大変さには頭が下がるとともに感謝の日々を過ごしています。 ![]() 妻の日々に於ける愛情や兄弟や親族の優しさをこころに一杯受けて、 これほど幸せな人生はないとさえ思っている毎日です。 多くの人々の優しいこころ遣いを受けて回復しているのです。元の体には復帰 できなくとも、この幸せを少しでも社会に返したいと考えています。 年齢より、多くのことはできませんが、高齢者でなければ高齢社会のことは 判らないこともきっとあると思っています。 高齢者でなければできない何かをし、社会貢献をすると言う目的を持って 回復に務める日々を努力したいとも考えています。 シニア ライフ アドバイザー 岡島 貞雄 Top page |