初めて韓国に行ってきた!by Yappy

2005年11月3日(木)〜6日(日)Yappy韓国へ行ってきました。写真を交えた報告です。
ソウルのホテル1泊、高陽市ホームステイ1泊、道高ユースホステルHippo合宿1泊の3泊4日


韓日友情年 2005


私にとって初めての韓国であったが、とても中身の濃い充実した4日間となった。

2005年は、韓国と日本にとって、日韓国交正常化40周年を記念する年である。
そこで、日本の外務省と韓国外交通商部では、2005年を「韓日友情年2005」と定めて、
進もう未来へ、一緒に世界へ」をテーマに交流事業の推進を奨励している。

ヒッポファミリークラブとしても多くもメンバーが韓国に参加するよう、ホームステイだけでなく、
韓国ヒッポメンバーとの合宿交流
を企画した。
例年行っている家族交流は35人程度で、すぐに定員に達したため、急遽40人もの日本のオヤジを追加募集し、
総勢70名あまりが参加することになった。
赤いTシャツ、日本のオヤジ38人

日程 は、

11月3日(木・祝)関西、東京、名古屋の各地から韓国仁川空港へ、ソウルのホテル泊
11月4日() 午前、対面式、ホームステイ
11月5日() 午前、ホームステイ終了、午後、ヒッポ合宿(道高ユースホステル)へ
11月6日() 昼、合宿終了、午後 仁川空港へ、夕方、仁川より日本各地へ帰国

であり、1日休暇を取れば参加できる日程であった。

関西からの8人と見送り隊(関西空港)

ほとんどの参加者は東京からで、関西からは、せきのくんトントンこもちゃんマサ
それに私ヤッピィというオヤジ5人と、豊中のピーチ親子3人の、8人だけ。
そして、東京、名古屋は夕方から夜に韓国到着の便だったのに対し、
都合の良いことに、関西は、朝早く家を出て、7:30関西空港集合、9:30出発の早い便で、半日余裕があった。

実際、韓国仁川空港には昼前に着いた。旅行会社の宋さんが迎えに来ていて、早速ソウルのホリディインホテルへ。



初日
 ソウルの午後カルビ

  ホテルには、チョンナムトリプナムドテハク(全南科学大学?)建築学教授のチョ先生が来られていた。
チョ先生は、大学生であった1990年に、大阪花博に来日したとのこと。そのときに困っていたのを、
トントン
が声をかけ家に泊めてやったことがあったらしい。どこかで聞いたことがあるなぁ。
 それで、今回講義を休講にして、わざわざ飛行機に乗ってソウルまでトントンに会いに来てくれたんだって。
午後はバスをチャーターして半日観光を試みたが、チョ先生にも同行していただいた。
まず、昼食ということで、早速カルビのおいしい「金剛山」という店に直行。

鉄板の上で肉の塊をドサッと置いて、店のオンニィ(お姉さん?、実際はアジュマ(おばちゃん))が
はさみで適度な大きさに切りながら焼いて
いく。マヌル(にんにく)もたくさん。
テーブルにはキムチナムル(和え物)がたっぶり。メクチュ(ビール)もマシッソ(旨い)。

我々は最初、1人用の小さなチゲネンミョン(冷麺)など、ほんの軽い昼食を考えていたのに、
先生はそういうのは焼肉と一緒に食べるもの、と言って、いろいろなものを注文してくれた。
おかげで最初から韓国料理の醍醐味を味わった

そして、さあ、1人当たりいくらかな、と思ったら、先生が1人で9人全員分をすでに支払ってくれていた。
あまりにも悪いと思ったが、トントンは、これが彼らの思いやりで、断れば迷惑がかかると言う。
大変な出費と思うが、ご相伴に預かるしかないのかな。感謝(カムサ)ハムニダ
チョ先生
ともいろいろお話したが、先生は私と同じくコンクリート工学が専攻だって。
まだお若いのに、日本の建築にも詳しい。

それやこれやで4時くらいになり、観光の方は名所旧跡が11月から冬時間になって早く終わっていたため、
入場できなかった。
せきのくん
はその間一人で、トックントックンしながら新幹線に乗っていたようだ。



初日 ソウルの夜、海鮮料理

その日の夜、ひめちゃんうんちゃんという超イェップン(美人)なアガシ(女性)と一緒だった。
彼女たちは、日本の語学学校や大学留学時代にせきのくん宅にホームステイしたことがあり、
とても日本語がチャレ(上手)である。
ひめちゃんうんちゃん

昼はカルビだったので、今度はヘムル(海鮮)にしようと、彼女らがとても良い店を見つけてくれた。
サンナッチ
(活きたタコ)はぶつ切りにしているのに唇や舌に吸い付くすごい生命力だ。
このナッチを鍋に入れた「ナッチチョンゴル」は見事。見た目も味も超マシッソヨ
それと、ヘムルチム(海鮮蒸し)も海の幸たっぷりで最高
それより何より、ひめちゃん、うんちゃんといろいろ話したよ。楽しく、しかもおいしかった
最後は12時過ぎまで付き合ってくれたけど、ちゃんと帰れたかな。せきのくんがタクシーを手配したと思う。

そのあと、西宮のかまんねから、3日目のヒッポ合宿用に自家製メクチュ(ビール)を1.5リットルのペットボトルに
預かってきたけど、せきのくんと一緒に(胃の中に)ちょっと蒸発させてしまった。うまかった。お休み。

サンナッチ

活きたナッチは手でも唇にも舌にも吸い付く

ナッチチョンゴル

ヘムルチム



2日目ホームステイ

2日目のホームステイは、日本からのオヤジ40人を「アナギの会」というグループが受け入れしてくれた。
アナギの会
は、アジュマ(お母さん)が国の基柱だという意味の韓国語から頭文字をとって名づけられたそうだ。
アジュマが主役になれるいろいろな活動を家庭や社会で行っていくことで、母親の意識向上や家庭・社会での
存在感向上を目指す団体
とのこと。いろいろホームステイの受け入れなどもしている。

朝10時30分から、対面式を某ホテルで行った。日本のヒッポメンバーのオヤジたちと、アナギの会のホスト
一同に集まり、オヤジ側からヒッポの紹介などをした。オヤジが全員、日本で用意した赤いTシャツを着て、
異様な雰囲気に包まれていたようだが、ホストに「言葉の赤ちゃんになるので、お母さんと呼ばせてください
と言ったあたりから、和んできたような気がする。

ホストと対面式で、ジャイム

ジャイムとオンマレジナ


ホスト

私のホストは、レジナお母さんと娘のジャイムの二人が対面式会場に来てくれた。
私の場合、最初に決まっていたホストが、3日前に急遽キャンセルになり、変更があった。
そのために新ホストの写真がない上に、ホスト側も我々の調査表や写真もない状態での対面式であった。
そんな状態で、レジナジャイムは、青森のトンボと共に二人を受け入れして下さった。

どうも家は高陽市らしい。ソウルの西北に隣接した街だ。
近所のエレナかっちゃんぱぱりゅうちゃんの二人を受入れする。
そのエレナの大きな車に乗り、2家族7人で高陽市に向かった。

1時間ばかりの車の中でも片言の韓国語や日本語でいろいろ話が盛り上がった
とにかく東京から来たりゅうちゃんは大声で、よく喋る。

そのあと、一緒に昼食をした。このあたりで有名な麦飯韓国料理の店で、カルビビビンパをいただいた。
さすがに本場のビビンパは違う。
混ぜるナムル野菜やゴマコチジャン麦飯も全部マシッソで、混ぜたビビンパは最高!

ナムル野菜やゴマコチジャン麦飯もたっぷり

ビビンパは最高

麦飯韓国料理の店


オドゥサントンイル展望台

食後、ちょっとドライブして北朝鮮(が見えるところ)へ!1時間位かな。
オドゥサントンイルチョンマンデェ
(烏頭山統一展望台)に連れて行ってくれた。
目の前にイムジン河、その向こうにポクカン(北韓(北朝鮮))が見える。近いなあ。
韓国の人はやはり
ハンナラ(一つの国)」を願っているのがよく分かる。
展望台の下は資料館になっていた。ポクカンカクチョンチュリュ(北韓各種酒類)があった。
あまりおいしくなさそう。記念写真を撮って、拉致されないうちに帰ろう。

高陽市に帰って、大きなシュパマキ(スーパーマーケット)で買い物。
4人の日本のオヤジはこことばかり、みやげを買いあさった。
ソジュ
(焼酎)も安い。キム(海苔)や飴などとても安くたくさん買えた。
ここで、エレナたちと別れて、レジナの運転する車で、ジャイム、同宿のトンボと共に、
夕方6時半ごろステイ先へトウチャケッタ(到着した)。

イムジン河の向こうはポクカン(北韓)

ポクカンカクチョンチュリュ(北韓各種酒類)
オドゥサントンイル展望台
北韓を背景に
エレナ宅ステイの二人と
レジナジャイム宅ステイの二人


家にトウチャケッタ(到着した)

家はアパートの8階で、とても広いリビングダイニングだけで50〜60平方メートルはある。
他に4部屋以上あり、バスルームも2つ以上ある模様。全体では百数十平方メートルはあるだろう。
もちろんオンドル(床暖房)。韓国の住宅事情の良さを実感した。

早速、先に帰っていた高校1年の妹、セイムが挨拶をしてくれた。
そこで、こちらも、自己紹介アルバムで念入りな自己紹介やヒッポの紹介、ソンムル(土産)の紹介など。
私は、関西空港で買った日本酒、和紙の手作り名刺入れ漢字トランプ、日本のカレンダー、神戸のお菓子
韓国語で書いた大阪の紹介パンフレットと地図、それから、先週号の娘のファッション雑誌などなど。
みんな喜んでくれたけど、特に、大阪紹介とファッション雑誌、漢字トランプが特に気に入ってもらえたようだ。
私も、ソジュ(焼酎)を始め、チョッカラ(金箸)スッカラ(スプーン)やキム(海苔)などをお土産にいただいた。
トンボもたくさんの土産を持ってきており、とても喜んでいた。

ホストのオンマ(お母さん)レジナとても料理が上手で、チャプチェプルコギをおいしくいただいた。
テーブルの上は手作りの料理でいっぱい。一口サイズのチヂミは焼きたてでホカホカ。
キムチ
ペチュや大根など何種類もあり、どれもこれもおいしく堪能した。

ジャイムと妹のセイム
一口チヂミ
漢字トランプ
お母さんの味、チャプチェ


アッパとジャイム

アッパ(お父さん)は出版社に勤務していて、とてもパッポヨ(忙しい)。
今は「ナクシシュンジャ(釣り春秋)」という雑誌のたぶん編集長だと思う。
それで、月刊誌の締め切りに当たり忙しく、前日は夜中の2時に帰るほどだったのに、
この日は無理に夜9時半に帰ってくれた。そして、一緒に酒をおいしくいただいた
飲んだのはなぜか、サントリーの最高級ウイスキーの「響」だった。
そして、アッパといろいろな話ができ、全く同世代(同じ辰年)でもあり、楽しいひと時を過ごせた

娘のジャイム日本文学専攻の大学生で、日本語がとてもチャレ(上手)だ。
アッパの言うことをうまく伝えてくれ、こちらの話もよく分かってくれた。
それだけに、アッパとも中身の深い話ができたと思う。
ジャイムとても気の利く頭のよい子で、ずーっと一緒に付き合ってくれ、オンマと共に最後のホテルまで送ってくれた。
それだけに、最後は感激の別れとなった。

アッパオンマジャイム

アッパと同世代で手をつないで親友の印


全体から部分からをやったよ

ステイ中に、ジャイムと妹のセイム自然習得のことをデジタル写真を使って説明してみた。
(全体から?部分から?のページ参照)

全体を見てぼんやりからだんだんはっきりさせていく方法と、端っこの部分から少しずつ見ていく方法を対比して、
視覚的に説明したが、人間が言葉を習得するプロセスも同じだ。

200万画素の写真を全体としたら、たった1%の2万画素の情報でも、全体から見るとほとんど200万画素と
変わらないし、少しぼやけているだけで、人間の想像力を発揮するから大体理解できる
けれども、部分から見た1%の情報では、大多数の99%が不明な部分であるから、
いくら想像力を働かしても全体が分からない

言葉も、赤ちゃんのように自然習得していけば1%の習得でも全体が分かるが、
学校で習った1%の英語では全体が分からないから話せないし、話そうとしない
。」

ということを話しました。とても感心して、自分の日本語習得もそうそう、そうだった、と言っていた。
妹のセイムも頷いて感心してくれた。二人が理解してくれたのがチョンマルキッポクナ(とても嬉しかった)。
 
朝食もご馳走がいっぱい

ホームステイのお別れ


ホームステイのこと

ジャイム感想も「今まで何度か受けたホームステイゲストの中で一番楽しく素敵なゲストだった。
特にお父さんがこんなに楽しんでくれたことが一番嬉しい
兄が二人できたみたい。もっともっと話をしたかったのに、とても短すぎるステイだ。」と書いてくれたようだ。
アッパ
オンマも感想を書いてくれたが、ハングルマル(韓国語)で全く分からないのが残念……

家族みんながヒッポのことをとても理解してくれたと思う。
特にレジナオンマは「ヒッポは素晴らしい。どうしたら入れますか。」と言っていたような気がする。

「今回韓国に来たのはどうしてアッパ(親父)ばかりなのか」と最初は疑問視していたが、
「ヒッポではいろいろな交流をしているし、我が家の場合も、妻や子供たちがたくさんいろいろな国に
ホームステイして楽しかった
こと、受け入れも20か国くらいから50人以上して、黒人も白人もアジア人も
たくさん来てくれて楽しかった
こと、心の交流ができた」ことなどを話したので、理解もより深まったようだ。

我が家のHome Pageに、ヒッポのことや我が家の国際交流を載せているので、ジャイムも見てくれることと思う。
掲示板にも書き込むと言ってくれた。アナギの会との交流は大成功だったと思う。

今回の韓国は、たった1泊であったがアナギの会とのホームステイ交流が最高であった。





韓国メンバーと一緒に「ヒッポ合宿」 11月5日(土)〜6日()



3日・4日目のヒッポ韓国合宿は、予想通り楽しかった。
日本から40人近くの親父(アッパ)30数人の家族連れが韓国に行き、韓国のヒッポメンバー150人も全国方集まって、
総勢220人が一同になったイベントだ。
会場は、道高ユースホステルで、ソウルから南に2時間くらいの所だった。

司会は日本と韓国のフェロウが担当

韓国ヒッポのフェロウ家族集合

関西メンバー、馬の場面を韓国語・フランス語、日本語で

SADAは日本も韓国も同じ

全体から?部分から?を韓国人ムュチゥにやったよ

そしたら隣の韓国人にもっと詳しく説明してくれた

韓国のフェローやメンバー、アッパイェップン(きれい)なオンマともたくさんチング(友だち)になれた。

ここでも、自然習得の目で見る画像の話少しのハングルマルと日本語で何回もやってみた
私が説明したら、少し日本語を分かるイェップンなオンマのムュチゥが、他のメンバーに韓国語で説明してくれたりして、
韓国メンバーも理解してくれたようだ。とても嬉しい。

日本では講演会などで何度かやってるが、外国の方にも分かってもらえたのが、今回の大きな収穫だった。
マニマニハングルサラムド、イルボンサラムド チング、マンドロッソヨ(友達できたよ)


韓国人と韓国語がとても近くなったような気がします。


カムサ
(感謝)ムニダ

 

 

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