徳本峠・上高地・美ヶ原






美ヶ原の西、薄川沿いの標高1,000mの地点に
建つ静かないで湯。現在、立派な旅館が二軒ある。






保福寺峠1,345m
峠の茶屋の"鶉の丸焼き"は有名


 サイクリストに最大の魅力を与える峠越えのサイクリングはツーリングの醍醐味を満喫させる。
旅を愛するサイクリストにとって、峠は限りない魅力をかきたててくれる。一踏み一踏み踏みしめるマシンの足応え、また押し上げる足には未知に対する期待と一種の征服感が裏打ちされている。
ツーリングの一つの頂点としてサイクリストは峠を指向し、それに挑む。いずれにしても、サイクリストは高い所に自転車を乗り入れる事を覚えたら、その魅力に取りつかれる傾向がある。一つの峠を越えて向こう側に下る時、未知なもの、新鮮なものに対する期待に胸が弾む。山に上下と書いて峠と読む、見事な表意文字である。

 積み残しのでる松本電鉄の始発を尻目に颯爽と野麦街道を行く、待ち時間二時間という超クレージ的な人種を横目に島々谷を進むに霧はいつしか深くなり、
登山者と抜きつ抜かれつの六時間、乳白色の流れるかっての上高地の玄関口~徳本峠2,135M"に立つ!
日本アルプスの開祖ウェストン表意の様な大パノラマが実現するべくもなく我々は峠の小屋で一畳五名という殺人的な睡眠を強制させられた。

 明けて「八ヶ岳」から昇る陽の出、深紅に染まる穂高、驚異のまなざし、十二分に魅力を堪能後、現在の物質文明の利器によって運
ばれてきた人間という種によって静寂を破られた明神へ下る。
しかしながら何台の自動車が上高地へ来たことか。彼らは一様に
河童橋の上で一刻止まり『何と空気の旨いことか、何と美しいことか』と言って排気ガスを放散しながらエンジンの音を響かせ同じようにただ下っていくばかりである。これが本当に自然に親しみ、自然を巡る事なのであろうか。ただ在る地点へ来たというばかりで、旅の心など何処にもありはしない現代社会の一つの象徴であろう。

 松本へ下り美ヶ原へ行くべく扉鉱泉へと轍を印す。宿泊客我々二名というひなびた鉱泉は最上にもてなしてくれた。
 扉峠より茶臼山、さらに美ヶ原に至る「夢のハイキングコース」は訪れる人も無く忘れ去られている。自転車乗りにとってやっと自転車の通れる径の方が似つかわしい。何に煩わされることなく、それがとてもきつくて、やっと押し上げるような径でも自然の持っている良さがひしひしと感じられ『やっと来た、やっと着いたんだ』という実感が率直に感じられる。 そこにこそ本当の自然が、人間が自然に逆らうことなく、自然と共に生活した径があるから我々は、それらと接する為にやってくる。
 武石峠より、落石のため通行止めの蝶ケ原林道を最悪の路面、北アルプスの山並みを交互に眺めつつウェストンを魅力した保福寺峠に立ち、四時すぎ上田より文明の利器に頼った。
  
   松本~島々~徳本峠(泊)~上高地~奈川渡~松本~扉温泉(泊)~
   扉峠~美ヶ原~武石峠~保福寺峠~上田

1973(S48).11 
 
事故後(22日目)、初のアタック! 頭の傷は帽子で隠すが、顔はすり傷が残る

徳本峠・徳本小屋


上高地・河童橋


美ヶ原

日本三大峠"雁坂峠"








峠は小屋より急坂を登らなければ
ならない。

 自転車に依るアドベンチャーとは如何なるものか、それは誰にでもできそうで出来得ないものである。なぜならば林道を主とする悪路及び登山道を押し、担ぎとして峠を越えていくものだからである。つまり肉体を越えた精神力の世界である。

 まだ残暑厳しい長月の某日、我々“SACC”は秋の気配する秩父駅に降りる。シーズンオフの為ひっそり静かな駅前で愛車を組み上げ、一路、雁坂峠越えを目指す。-----
 軽装のため若干の登りも労することなくピッチは上がり一時間強で夕闇迫る秩父湖へと。湖はこの夏異常渇水のため醜い地肌をさらす。
 十八時過ぎ今夜の宿泊地『川又』の民宿へと着く、主人の温かいもてなしと明日の天気を祈りつつ床に入る。
 明けて午前四時"時間ですよ!"の声に起き、かすかに星を望む秩父の山中をヘッドライトの明かりを頼りに進むに、道はすぐに雁坂越への登山道へと入る。白い息、呼吸の乱れ、チチチ---のフリーの音が辺りの静けさをやぶる。
"押せ!押せ!"ただ押し上げるのみ、やがて東の空が白み始め秩父の山容が現れる。
 自然の驚異の前には必然的に担ぐこともしいられる。 ジグザグの苦しい担ぎ上げが二時間に達しようとする頃 尾根沿いの雁道場に着く。 霧は何時しか晴れ、まぶしい陽光が木々の間から熊笹の生い茂る中に朝霧がキラキラと輝く。 ほぼ中間地点の突出峠迄は緩やかな尾根沿いに進む。
 秩父連山を望み雲海を下に眺める頃、無数の樹木と岩場の為、より一層肩に力が入る。ダルマ坂の最後の登りを越えるとパッと眼前に赤い屋根の雁坂小屋が見えた。時計は、四時間を要していた。
冷たい清水で渇いた喉を潤し、さぁー目指す峠は目前、ファイト!ファイト!
登山者の見守る中我々は遂に日本三大峠“雁坂峠2,082M”に立ったのである。
澄み切った空、緑のジュウタン、一面に咲き乱れたお花畑、遙か彼方に富士山を眺め甲州側の展望は実に雄大である。

 心地良い秋の風が峠を吹き抜け、しばし感激に浸たり、名残を惜しみつつ下山開始。九十九曲りの急坂を愛車を担ぎ一歩一歩確実に下る。 分身でもある愛車を担いでの下山は登りに反して非常なる負担となってくる。二時間もたっぷりであろう頃、道は幾分勾配も緩やかになりこれぞとばかり山岳ツーリングの醍醐味を味わう。 右に左にカーブを切り、忙しげに山道を下る。
                           
     相棒(クレージー永松)と私(マッド緒方)
                                         1973(S48).09

昭和48年10月10日 交通事故
      長野県・志賀高原で乗用車に追突される。
        全身打撲、後頭部七針縫う全治一か月の重傷。自転車大破。
             長野県中野市 北信総合病院へ入院

我 が 青 春

恋人(自転車)と一緒に山登りを致しました青春時代の思い出です。

島本中学校同窓会



自転車で全国を駆けめぐり、排気ガスに苦しめられた後、担ぎながら各地の峠、富士山・北アルプス・中央アルプス・八ヶ岳等を
登頂する山岳サイクリト湘南アドベンチャーサイクルクラブ Shonan Adventurer Cycle Club〝SACC" 結成

       1号車“総メッキ”
 八甲田山をバックに昭和46年、見本市に出品された
 展示車を購入。初のサイクリング
   青森~酸ケ湯温泉~奥入瀬渓流~十和田湖~
       発荷峠~十和田南    
     1972(S47).04.29~05.04
2号車“ピノキオグリーン”
国内最高級部品仕様のオーダーメード
(昭和48年5月完成、給料の約4ケ月分) 
 昭和48年10月の交通事故で大破
3号車
2号車と同寸法

昭和48年12月完成
青春の轍

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我 が 青 春 Ⅱ
我が青春 Ⅲ

男鹿半島 『なまはげ』と記念写真
1973(S48).05

岩手県・渋民
  『やわらかに柳あおめる‐‐』
  1973(S48).05

那須高原(栃木県)
   1973(S48).08
箱根杉並木(神奈川県)
  1973(S48).04

毎年のトレーニング
    冨士山頂

南アルプス・野呂川林道
     1973(S48).12

雲取山 2,018M 東京都最高峰
     1974(S49).05

南アルプスの麓“寸又峡温泉”
      1974(S49).04

鉄道日本一高所、小海線・野辺山駅
(長野県)
1972(S47).05

奥入瀬『銚子の滝』
1971(S47).05

『あゝ野麦峠』
 自慢の愛車【総メッキ】
 1972(S47).08

南紀串本・橋杭岩
1973(S48).01
懐かしの山岳サイクリング
 木曾御岳(御嶽山)
3,067Mを縦走



車道終点 2,210m田の原自然公園


田の原登山道


御岳山頂


国内最高地点の火山湖 二ノ池
 急に“御岳”が見たくなった。例の如く夜行列車で木曽福島着。登山者で混雑する駅を尻目にまだ夜の明けやらぬ駅前で愛車を組み上げる。思わず身震いを感じさせる寒気の中、バイパスの完成により通る車もほとんど無い中山道を一路御岳へと向かう。
 小一時間になろうとする頃、ようやく東の空がしらみ始めるロックフェルダムの御岳湖沿いを走る。
木曾山中の朝焼けが美しい。
午前六時 王滝村着、早朝のため食料品の調達も出来ずやむなく民宿に飛び込み食事と弁当の補給後、七時 一路山頂を目指して出発。
王滝口道路はかっての霊場の産物でもある無数の石碑を眺めながらだらだらの舗装を登る。
三合目の料金ゲートを過ぎると道はヘアピンとなし高度を増す。御岳を右に左に観ながら1,650mの五合目八海山大神着、小休止後、道はうって変わって砂利道となり勾配も増す。木曾の谷間を下にみながら三笠山の最後のカーブを曲がると御岳がパッと眼前に広がった。 僅かばかり観光客が居る標高2,210mの七合目、田ノ原小屋でペダルを外しアタックの装備にチェンジ。

 針葉樹のトンネルが続く登山道を通り抜け視界が開けると、そこは金剛童子の彫造物が無意味に鎮座している七合目。遙か彼方、雲海の上に中央アルプスを望む。心地よい風が山頂へと吹き上げる。紺碧の空、紅葉をなしてきた木々、それに針葉樹の緑のコントラストが美しい。
疲れのため小休止を繰り返しながらただ頂上を目指し、愛車を担ぐ。いつしか木々も無くなりガレ場に変わり一層バランスを失う。頂上は目前 だが苦しい。
 二時間に達しようとする頃九合目着。あと頂上まで僅か、空腹と疲労のために精神力で担ぎあげ十二時十分、王滝口頂上へ到着。最高峰・剣が峰は眼前に迫る。

焚き火に当たりながら無心に握り飯を胃袋に流し込む。山小屋の主に勇気づけられ出発。右手に地獄谷を眺め時折吹きあげてくる硫黄の臭気に悩まされながら最高峰・剣が峰と向かう。
 頂上近くの「旭館」を過ぎると最後の石段、一歩一歩担ぎ上げる。時はまさに一時十分、我々は遂に木曽谷第一の高山“御岳”に
立ったのである。
 
"オー!ブルースカイ御岳"360度のパノラマ。
 ---十二分に感激を味わった後、一路 飛騨側に下山開始。二の池、賽の河原を過ぎ剣が峰を最後に望む。岩場にへばりつくようして渡り三の池を望む飛騨口頂上着。 遙か下に濁河温泉を望みながら下山。疲労と緊張感が一気に押し寄せ、もはや話す気力も無く、己との戦いに挑み一刻も早く車道に出ることをいちずに望みながら下る。
三時間になる担ぎの下りが終わり疲労困憊して濁河温泉に着。 時はすでに遅く飛騨小坂に下る気力も無く、倒れ込む如く温泉に宿泊したのである。
                                 1973(S48).09


三合目・料金ゲート

御岳・剣が峰 3,067m
Cyclo Alpinisme
警察庁認定  
通商産業省認定
自転車安全整備士
自転車組立整備士 
昭和55年資格修得

九州横断道路
1974(S49).08

故郷“鹿児島”を走る! 桜島
      1974(S49).08

谷川岳・蓬峠
    1975(S50).07

上高地
1976(S51) 11