2011/02/01
"生臭坊主悟りを開く"
肝臓の何とか値が高すぎる、麻酔で更に悪くなるとの理由で点滴に降下剤を混合する。

手術の日が二転三転したが、2月1日に決定。
前日、なにげなく小学校唱歌「ふるさと」を口ずさむ。
「志を果たして いつの日にか 帰らん、山は青き故郷 水は清き故郷。」
志半ばでリタイヤーするのかと思えば、無性に涙が出てくる。しまいには、
2時間にわたる大手術?
声を出して泣いてしまった。大人に成ってから泣いたのは、父の死(余りにも若い死に対する悔しい涙)
母の死(父の死後苦労を掛けっぱなしで申し訳無い、懺悔の涙)である。
手術台に上がると早速顔面に麻酔のマスクを被せられる。ひょっとして麻酔から覚めず,あの世行きになる
かも知れないと思ったその時、「妻と一緒になれて良かった。」「お父さん、お母さん、この時代に生んでもらい
有り難う御座いました。妻と出会う事が出来ました。」
妻には、「結婚してくれて有り難う、許されるなら、来世も一緒に成ろう。」死を覚悟した時、感謝、感謝、感謝で
締めくくる事が出来た。
後日、電話でこの話を妻にしたら、(来世も一緒に成ろう)のくだりで電話を切られた。
電話の向こうで、嬉しくて泣いていたのか、アホラシくって笑っていたのか、さてどちらかな。
2011/01/01
"人生最悪の正月を迎える"
12月29日300Ton油圧プレスの精度検査立会いに、サイゴン橋たもとのTATへ。

営業社員の案内でプレス機へ、機械の清掃整備を約束していたが不励行。油マミレで
検査断念し、配管のチェックにプレスに近付いた時。「ガーン」ナニが起きたのか。
倒れた小生の腰に重たい物が乗っかっている。「除けてくれー」の悲鳴。
コロンビア病院へ運ばれる。「大腿骨骨折」衣服をズタズタに切られ丸裸。
左足をギブスで固定。手術は出来ないため、Cho Ray病院へ転送される。 ODA援助の国立Cho Ray病院
こんな立派だった?Cho RayのHome Pageの写真
高齢に付き、手術に耐えられるかどうか様子を見るとの事で点滴だけで一週間。1月5日にやっと手術骨折部を、
チタン金属でネジ止め接合。サイボーグ人間誕生?
、2週間経過した頃、リハビリ担当のJICAボランテアのアツコ先生にベッドで腰を掛ける様言われた時、両手で
腰を支える様にしなければ、脊髄が痛い。これは変だぞ、レントゲン撮影を要求。やはり、損傷を受けている。
このまま放置して置けば、半身不随になる可能性が高い、手術をするから承諾書にサインしろ。
医師が脊髄の損傷を見落としながら手術の危険性の説明もせず、脅迫である。
2010/09/21
"サイゴン川、地下トンネル開通"
サイゴン川のThu Thiemトンネルが完成し、TVで開通式を放映していた。
東方面からホーチミン市に入るには、サイゴン橋か、Thu Thiem橋の二つで有った。
これにトンネルが加わり三方面から市内に入れる。Thu Thiemトンネルは、Cat Lai
立体交差から左に曲がり、一直線に進む。サイゴン川を渡ると直ぐに右に寄り右折する。
2010/08/29
"アワヤ、ホーチミンで「右や左の旦那様」"
先週の休み、久し振りにホーチミン市に出掛ける事にした。12号系統は、Xe Lo
Ha Noi を通るので時間的に早くBen Thanh に着くが、いつも満員である。
19号系統は、国道1A 経由でBinh Phuocから国道13に入りMien Dong ターミナル
からサイゴンに入る、時間は掛かるが空いている。
「今日は、早く着きたいので12号で。」と、言うことで満員バスに乗り込む。
Suoi Tien の遊園地で大勢が下車、勢いが凄く一緒に押し出され無いよう吊革に
しがみ付いていた、気が付けば財布が無い。「畜生、ヤラレタ」被害額約120万円
いやいや120万ドン。此処で降りて引き返すのも、Khong Co Tien(壱文無し)腹を括ってホーチミンへ行けば何とか
成るだろう。何処で借金しよう。昔の仲間は殆ど駐在満了で帰国、さて定住者?N食堂のSさんゴルフで不在、
D食堂のHさん、店に出ていない。いよいよDong Khoi通りで「右や左の旦那様」かと、覚悟を決めていた。
思い出した、会社に実習で来ていたHoaさん
「em em 」でアルバイトしている事を。
早速 Mac Thi Buoi の店を訪ねる。彼女は不在だったが、責任者のTran さんが(小生2万ドンでいいのと言って
いたのに)それでは少ないと言って20万ドン貸してくれた。
今日、ケーキを持って返済に店を訪れたが、Tranさんは不在、Hoaさんが店に来たので彼女に20万ドン預け礼を
言って店を出る。「em em の皆さん有り難う御座いました。」
2010/06/28
"本日の格言「ゴルフは下手に倣う」"
今日は停電になると言うので、一日の過ごし方を考えていたが、I さんに Long Thanh ゴルフに誘われたので、
朝6時に家を出る。3年振りのコースである。月曜日なのでコースに出ているプレーヤーも少なく、池ポチャ何の
気兼ねも無くOB為放題。心配なのは体力、御陰でホーチミン市徘徊の効果が出てたのか、無事18ホールを征服。
えっ、スコアーは幾ら?キャディーが呆れて付けてませんでした。
I さんのスコアーも有史以来の
ガタガタ、キャディーがスコアーを
渡そうとしたら、覚えているから
いらないよ。
キャディーのチップも10万ドンに
上がっていた。
Long Thanh Golf Resort
ゴルフ場で昼食を済ませ後、近くの外注に立ち寄り場内視察。砂埃の中で仕事をしている、整理整頓まるで駄目。
取り合えず一度家に帰る事にした。ビエンホアの街中も商店の中が薄暗く、停電状態。これは諦めるより仕方ないと
覚悟を決めて帰宅。ナニ、お手伝いのおばちゃんTVを見とる!停電は明日だとさ。ええ加減にしてくれ!
追記: Long Thanh Golf Resort の茶店及び、レストランには、SANYO の冷蔵ショーケースが設置されていた。
2010/06/27
"週休二日制の実現"
週休二日制ベトナムも先進国の仲間入りと言えば聞こえは良いが、その実態は工場誘致に力は入れたがインフラの
整備が付いて行けず、電力不足で工業団地の一斉停電である。HONAI3の工業団地は、月曜日が停電日。
ビエンホアはキリスト教徒が多く、日曜日との振り替えも侭ならず、一日9.5時間
労働で対応。デスクワークは、家でも出来るがこれまた月曜日が停電日。もう暑くて
家に居られない、午後7時までは外をウロウロ大変キツイ。4Km程離れたスーパー
マーケット「Big C」で冷を取るより仕方あるまい。あ〜ぁ、明日が憂鬱。
2020年には、(新幹線をハノイーホーチミン間に走らす。)「新幹線またまた
停電で10時間ストップ」では世界の笑い者になるぞ。停電を無くし、在来線を複線化するのが順序だろう。こんな
週休二日制は真平御免だ。
2010/06/13
"指名手配中の自販機発見する"
先週に引き続きホーチミンを徘徊する。髪の毛が大分伸びたので散髪をと思って
いたが踏ん切りが付かなかった。今日は家を出る時に決心、Nさんお勧めのメイリン、
グエンクゥバン時代に世話になったヘアーサロンへ行こう。
又々Iさんの車に便乗しVo Thi Sau,Hai Ba Trungの交差点で降ろしてもらう。バスを乗り継ぎ、Thi Ngheまで。
街は昔のままで何も変わらず、相変わらずゴミゴミしていたが、懐かしさが甦ってきた。
ヘアーサロンの兄ちゃんや姉ちゃんは、小生の事を覚えていた。此処は、午前中は暇で夕方4時ころから忙しくなる。
夜お勤めのお姉さんが相手のお店。丁寧に対応してくれる、変わったのは値段だけ、フルコース 80,000VND 也。
サッパリしたので、Le Thanh Ton 辺りで昼食でもとバスに乗ったが、乗り間違えて Me Linh 方向へ。
外を見ていると、何と探していた自販機が目に入って来た。次のバス停で下車、戻って写真をパチリ、大成功。
2010/06/06
昨日の朝から喉がイガライ、膝の関節もだるい。Iさんも同じ症状、原因を色々
考えると、5月末で賄いのおばちゃんが辞めたので、夕食は
Sao Van の所で
世話になっている。デザートにチョムチョムが出たが、皮をむいてくれるのは良い
が手がキレイか分からない。仕事中も何度もウガイをし大分ましになった。
夕食はローカルの四川食堂ですます。
日曜日は、ホ−チミンに出掛ける事にしていたので、午後8時頃に眠る。
膝のだるさは残ったが、喉が楽になったのでIさんに同乗しホーチミンに出掛ける。以前から気になっていた昔の
住居を訪ねる。自分の記憶では通りの名前は、「グエン・バン・マイ」地図では
「NGUYEN VAN HAI」になっている。標識は「NGUYEN VAN MAI」写真の通り。
2010年版でも訂正されていない。
今日の目標は、自販機を探す事で有ったが、以前有った設置場所の環境が
著しく変わり検証出来なかった。
パークソンプラザの前の公園サイドにVINCOM CENTERが新しく建っていた。中に入って驚いた、中央部が吹き
抜けになっており、両サイドにエスカレータが有り、真下の地下にはファストフードらしき店が有り、エスカレータから
何か放り投げれば直撃。落下物に対する対策なし。
昼食は、前回探して見つからなかった「Bach Dang Hotel」でする。(5月末で、Mac Thi Buoiより移動)
給仕のエモイに硬貨の話をすると、「落としたりすると、転がり見失う」それで、人気が無い。一応流通はしているとの事。
昼食116,000VNDの釣りは、コイン2,000VNDx2であった。
2010/05/23
"久ぶりのマッサー"
今日は、ホーチミンを徘徊しておりました。 Nguyen Binh Khiem 通りの Ngoc Anh で
マッサージ料金 1H 15,000VND 大分値上がりしてました。Iさんお勧め近くの、めんや
一ばんで昼食トンコツチャーシュー 90,000VND、カヤクが少なくちょっとと言う感想です。
アベック6組入れば満席。向かい側に駐在員らしきオッサンエモイと食事中。店を出て
Nguye Thi Minh Khaiを歩いていると、昔よく利用したセオムのオッチャンに出会う。
覚えていてくれたら乗ろうと思っていたが、オッチャンの目にはカモとしか映らなかった
ので止めた。ついでに、昔の住居を訪ねてみたが隣の家が馬鹿でかくなっていた
だけで何も変わっていなかった。Nguyen Dinh Chieu からバスで Ben Thanh へ。
4,000VND 払ったら1,000VND お釣りをくれた。Bien Hoa の 4,000VND は高い。
帰りはバスで13,000VND ビッグCからTAXI 48,000VND。ホーチミンからTAXIで
帰れば 370,000VND(\1,850)
2010/05/18
"何処に消えたかベトナムコイン"
二年半振りに戻ったベトナム、
何だか変だよ。買い物してもお釣り
はすべて紙幣。
確か2006年頃から硬貨が発行されたと思っているが、その後清涼飲料の自動販売機を諸所で目にしたが、国民性で
硬貨が普及しなかったのか、鋳潰して何か金になる物を造るのか、製造コストが硬貨の額より高く付き製造中止に
成ったのかよく判らないが。コイン収集家の中では価値が上がって、大儲けする輩が出て来る?まさかVNDで?
次回ホーチミン市に行った時に、その後の自販機を探して見たい。
2010/05/15
"物は考えよう「これが昼食」"
日本では、コレステロール値が高いだの、取り過ぎだのと言う事で、健康
食品のコマーシャル。また、年寄りには軟骨成分の不足から、肘肩膝の関
節磨耗。コレにはコンドロイチン。
でもベトナムでは、写真の様な健康食。少し黒いご飯、カロチンいっぱいの
かぼちゃ、繊維質いっぱいの空芯采、コンドロイチンいっぱいの骨付き鶏肉。鶏肉は、ダシガラでカスカス脂ぶんゼロ。
これは健康食と言うよりは、老人食。日本のご老人、肥満の方々、ベトナムに来て長生きしよう。
明日はホーチミンに出掛けてコテコテの中華飯を食べよう。
2010/05/02
"10$++のランチ"
3連休の最終日、ビエンホアの市バスでダウンタウンのコープマートに
出掛ける。バス賃4,000VNDを払ったが、切符をくれない。この車掌ポッポ
ナイナイ。ホーチミンでも随分昔はしてましたね。ビエンホアは10年以上
遅れている。乗客は車内禁煙の表示が有るのにくわえタバコ。車掌が注
意するのかと車掌の方を見れば、車掌も携帯のメールをしながらくわえタバコ。 閑散としているホテルのレストラン
レベルの低さに流石ベトナムと変な感心をしてしまった。コープマートは、4階建てで、2階は衣料品、3階は本屋と
ゲームセンター、4階には映画館が有り3ホール共洋画を上映していた。色々日常品を買い入れ、昼になったので
腹ごしらえに奮発して近くのホテルへ。ランチメニューが、10$++と書いてある。中華風定食をオーダーしたが
パンとバターが出て来た。散々待たされて中華冷麺の様な物が出て来、あと一点何か出て来たが忘れてしまった。
締めて12$。サービスが ++ ならば分かるが、料金に ++ を付けるな。小生は血液型をO++と紹介しているが。
2010/05/01
"自転車にてビエンホアを徘徊"
28日ホーチミンへ中古旋盤を探しに出掛け、帰る途中本屋に立ち寄りビエンホア市の
地図を購入したが、正確さに疑問 Google マップの方が正確。今度の住まいが振興地の
ため地図に載っておらず、自転車で近所を走り回り、相対位置を書き込む事とした。
午前中1時間ほど走ったが、坂が多く足がガクガクになった。腕も陽に焼け赤くなった。
明日も休み、自転車で出掛けよう。
2010/04/30
"ここが変だよベトナムは"
賄いのおばちゃんが用意してくれた急須、蓋のかぶさる面より
注ぎ口の方は上に位置し、お茶を飲む時お湯を1/3以上入れると
必ず、注ぎ口から出る前に蓋から溢れ出る。テーブルはビショビショ。
飾り物ならいざ知らず、使い物になるかぁ〜。
造っている人「問題ない」、売っている人「問題ない」、買った人「まぁ〜しゃない」。
エンドユーザーがババを掴むシステムが出来上がっています。消費者協会なんてあるの。
2010/04/25
"2年6ヶ月ぶりにベトナムに戻る"
息子の結婚を期に帰国したが、暇は有り余っているが先立つ物が無い。
外に出掛けるのは犬の散歩程度。後は小中学校の同窓会のハイキングや
年一回の温泉旅行。インターネットも余り面白く無く、退屈退屈。
ところが、古希を迎えたクソ爺をコキ使ってやろうと、まあ危篤な人が現れ、
三度ベトナムにて人材の育成に技術の指導に当たる事と成った。
舞台がベトナムに移った事で、面白い内容にして行きたい。
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