阮文直の近況 (2000/03/19-2007/08/10)


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2007/08/10

"旗本退屈男になる"

 社員には、何時も怪我をしない様、させない様、安全に心掛けていたが、安全暖簾を誰かが

取り外していた。機械の修理のためいつもは暖簾をくぐっていたのだが暖簾が無い為其の侭

通過。「がぁ〜ん」鉄板で眉間を切る。すぐに病院へ、七針縫われた。顔の真ん中は、絆創膏

で大きな×印。安全第一、お母ちゃんは二番と言ってのに立場なし。

       ベトナムの諺に、「奥さん一番、神様二番。」(Nhat Bo ,Ni Troi)
                                                          天下御免の向こう傷、ぱ〜
       旗本退屈男 早乙女主水之介(トレードマーク 眉間に三日月形の傷) 東映時代劇 市川歌右衛門主演(北大路欣也の父)

2007/07/29

"二階建てバスに乗る"

 最近市営バスも路線が整備され、出かける時は頻繁に利用する。

今日も朝からチョロン方面に情報収集に出かけ用とバス停で待っていると、

二階建てのバスが接近してくる、よく見るとチョロン車庫行きの6系統に早速

  窓が大きく大変見晴らしが良い。    乗り込むと二階に上がる。乗客はポツポツ、前の方の席に座り景色を楽しむ。

(阿呆と煙は、高い所に昇る)を地で行く。電線や、横断幕をかすって走る。Hung Vuong 通りにParkson Hotel の

"Hung Vuong PLAZA"前にて下車、中に入る。中は広々としていて、一味違う雰囲気。Diamond PLAZA、 Ly Tu

Trong のParksonも完全に負けている。近くには、Thuan Kieu PLAZA, An Dong PLAZAも在るが足元にも及ばない。

2007/05/03

"懐かしい映画を観る"

ローカルTVのチャンネルを回していると、ウン十年前の映画を流していた。オードリ・

ヘップバーンとグレゴリ・ペックの「ローマの休日」。しばし当時の記憶が蘇えって来た。

それまでは洋画と言えば西部劇オンリーだった。ジョン・ウエン、カーク・ダグラス。

Tさん、Yさん元気にしているかな〜。Kさんは元気元気。(山の神)

2007/04/30                                            真実の口に手を入れる新聞記者(G・ペック)

"後は野となれ山となれ"

 今日と明日はベトナムの祝日色々なイベントが開かれるが、ロードレースもその一環である。休日は賄いの小母さんも

休みなので、昼食を取るため外出する。Cau Thi Nghe(市芸橋)近く迄来ると、ケタタマシイサイレンの音。

沿道は、物凄い人ひと人。露払い(交通遮断)のパトカーと白バイの一団が通過。又々サイレンの音、白バイ、黒バイに

先導された自転車の先頭集団が通過。その後の集団は、待ち切れずに動き出したバイクに阻まれ、てんやわんや。

沿道で交通整理していた公安もお手上げ。引き揚げてしまう。交差点はもうグチャグチャ。

       先導白バイと沿道の群集             先頭集団の自転車                ポリスも呆然(為す術無し)

2007/04/18

"ベトナムへ来たらバスに乗れ"

 観光で来られる日本人の方々へ、乗り物によるトラブルをよく聞きます。シクロの

トラブルです。目的地に行くための手段と考えない事、街をユックリ観て回る観光と

考える事。値段が少々高いのが当たり前。街角で日本語で話し掛けられ、ついつい

 ノンをかぶった小母ちゃんも乗ってるよ   乗ってしまう。シクロに乗る前に口車にすでに乗せられているのですぞ。

 彼らも生活が掛かっています。カモレル者(旅行者)からカモル、世界の常識です。公共の乗物バス(Xe Buyt)が一番

安全、ベンタン(Ben Thanh)市場の前のバスターミナルから1番チョロン行きに乗ってみよう。

ビンタイ(Binh Tay)市場を見学して、帰りもバスで。高い目線で街並みをみるので楽しめます。帰りのバス停は全然違う

所に在ります。ビンタイ市場の東側150m程離れた所に在ります。一人で乗らない事、車掌はベトナム語しか通じない

からガイドと一緒に行動してください。

2007/04/15

"ベトナム交通事情"(ベトナムは右側通行)

 交通信号を信用してはだめです。特にバイクは、信号を無視して走っています。ポリスが立っている時だけ

停止します。(罰金払うのがイヤだから)前方信号赤で、右折を禁止するかどうかが、議論されている国です。

歩行者はイツ交差点を渡ればいいのか、責任者に聞きたい。もっと驚くのは、前進青で、左折可なのです。

信号が青と同時に対向車線から、車・バイクが突っ込んで来、直進を阻みます。直進車は右へ右へと回り込み、

其処で信号が赤、今度は左右から車・バイクが発進。バイクが我先に車の間に割り込んでくる。

もう信号が赤であろうが無かろうが関係なく、隙間を埋め尽くし、交差点の麻痺が一丁上がり。

2007/04/08

"自動販売機お目見え 続編"

    Me Linh Point(チャンフンダオ像付近)   Ly Tu Trong と Dong Khoi通りの南東角       青年会館内

 硬貨が普及し、清涼飲料の自動販売機も屋外に進出し始めた。其処では、番をしているおっさんも目にしない。

日本では、自販機荒しが横行しているが、ベトナムではまだその様なニュースは、耳にしていない。

 ベンダーは、SAVICO(旧国営企業)色々な事業を手掛けている。投資するならSAVICO。

 追記:一缶 5,000 Dong(約37円)

2007/03/25

"お粗末シネマ"

Em に誘われ久しぶりに映画を見に行く。場所は統一会堂(旧大統領府)裏の

Van Hoa公園内に有る”GARAXY”入り口はNguyen Du通りに面している。

建物に入ると猛烈なポップコーンの臭い、

但し建物は掃除が行き届いてキレイだった。全席、座席指定で入場料は50,000DON(約370円)座席もゆったり

していて、気持ちよかった。上映されていたのは、中国映画で字幕スーパーはベトナム語、中国語、英語の三カ国語。

小生は、英文字を追いかけるのだが文字数が長い、漢字圏で育った悲しさ、すぐ中国語の漢字が目に入って来る、

でも意味が殆ど解らない。疲れに来たような感じだ。文字を追うのを諦める。

 ストーリーは、(自分判断で)王位継承を巡る兄弟争いと、王位略奪の親子争い。離婚さされた元王妃の復讐と

言った単なる内輪もめを大勢のエキストラを使った戦闘場面や、忍者モドキの闇討ちで物語を修飾している映画だった。

全く何の感銘も感じさせない内容。本当に珍しい映画でした。

   追記:出演している女優は、何故か全員大きなオッパイを丸出しで無く半分出していた。

2007/01/27

"バイパス工事始まる"

サイゴン川を渡り旧市内に入るには、北の Binh Trieu 橋と東のSai Gon 橋

しか無く交通事故で渋滞しても抜け道がなく、全くお手上げであった。

地下道を造る話も、幾度も聞いたが技術的問題か金銭的問題か知らないが

橋を掛ける事に成りました。場所は Him Lam ゴルフ練習場の真横。

Ng.Huu Canh 通りを突き抜け Den Bien Phu に繋ぐらしい。今の住まいは

立ち退きに成る可能性大。Troi Oi ! (Oh my God ! のベトナム版)                工事が始まった Tho Tiem 橋

2006/11/14

"ベトナム人とプライド"

 ベトナムに赴任にする時、ベトナム人はプライドが高いから人前で叱ったりしない様にと

言われたが人前で叱られるのは、誰でも気分が悪いものである。彼らのプライドとは何かと

尋ねられたら、答えはトイレに行けば分かる。小学校や中学校に有った水道の蛇口が

横一列にたくさん取り付けてあった手洗い場を思い出してほしい。唯蛇口が無く、端の方に
  本物は流石遠慮しました
エンビ管が挿してあり、其処から水がチョロチョロ流れている。まさか此処で用を足すとは思っていなかった。位置が

高いので有る。つま先立ちして、更に持ち上げ放物線を描く様に放出する。この高さはヨーロッパ人でないと無理。
                                                             ベトナム人は、この高さをクリアーしているのかと、感心したものである。成る程プライドが高いなぁ〜、参った参った。

 −−−実際は届いておらず、床(地面)がベチョベチョ−−−

 ホテル、デパート、レストランは大丈夫です。ローカルレストランは自信満々の人のみ。

2006/10/29

"小学校の教頭先生になる"

 偶然に、出身小学校(一橋小学校)のホームページを見る。当時の面影を残すものは

何も無いのかと思いつつページをクリックすると、運動場の隅に"一の橋"の石の欄干が、

池を跨いでいた。亀や蛙を捕まえて遊んだ場所。ホンノ少しのタイムスリップを楽しんだ。

−−−野太鼓校長が、成績の悪い生徒を退学処分にした。保護者は入学させてくれる

学校を色々探したのだが見つからず、当校の理事長(塩沢トキ)に、復学させるよう泣き

込んだ。校長は私(赤シャツ)にブツブツ言っているが、理事長の強引さに押し切られれる  一橋小学校ホームページより

模様。私は、扇子をバタバタさせて「御もっとも、御尤も。」−−−

ベッドから落ちて目が覚める。坊ちゃん役で登場していたら、もっと活躍できたのに、残念。

2006/10/15

"昔のEm2人に偶然出会う"

 行きつけのカラオケもマンネリ化し、面白くなくなり新規開拓中であったが、ハノイからの

実習生の歓送会を、Nguyen Do通りのOさんゴヒイキのべナムレストランで行う。その帰り

近くで前から気になっていた「G」に偵察に入る。出てきたママさんに名前を呼ばれビックリ、2年前に小生の目の前から

姿を消したL嬢。適当に指名してラウンジで飲んでいたが、彼女頻繁に席を外す。食あたりで急行列車。

様子を見に来たお姉さん、マタマタビックリ。花屋をすると言って4月頃に店を辞めたH嬢。赤字続きで3ヶ月で閉鎖、

自己資金で運用していたが、底をついた。半年程でげっそり痩せていた。片やカラオケのママさん、片や其処で使われる

カラオケ嬢。嗚呼、生存競争厳しい。

2006/08/01

"Skypeを始める"

林某(台湾人)の勧めでSkypeなるコンピュータ通信を始める。目的は経費節減。

加入電話との通話も可能に魅力を感じ、早速インストールしてもらう。

全部中文、おまけに電話通話の申し込み場所が台湾。お蔭で日本との通話断念。

コンピュータ通信に専念する事に決意する。検索するとハムのコールサインを

Skype名にしている人が意外と目に付いた。一日一局いや一人とコンタクトしよう。

写真は、プロフィール画像(阮文直)です。日本時間19〜21時に出没しています。      昔、通信教育で習った少林寺拳法

先輩諸氏、宜しくお願いします。

2006/06/XX

"バスルーム閉じ込め事件"

Cさんからクレームが入り、記事を削除しました。

2006/05/06

"トラック レールウエイを走る"

3泊4日でダラット&ファンテットへ総勢10人でゴルフツアーに出かけた。

2日目はゴルフをし、翌日朝よりローカル列車で隣町チャイマッ(Trai Mat)に

午前中の予定で出かける。ローカル列車は観光客がほとんど、皆んな車窓の

景色を楽しんでいる。急勾配の段々畑を眺めながらワイワイガヤガヤ。

チャイマッ小さな門前町。有名なお寺が有るとの事で、土産物屋が並ぶ路地を

通り抜けると、お寺が有った。何の厳かさも感じない、ケバケバの建物。

次の予定が有り、急いで戻る事にした。ダラットに向かっている列車が急停車。

みんなガヤガヤ言って、列車を降りている。小生も野次馬根性を出し下車。

なんと、トラックが線路上で立ち往生、線路と交差する道路など何処にもない。

線路上を走っていて故障したのである。

しばらくして、線路上にレッカー車が現れ、故障車を吊り上げ列車の前を走りさった。

流石、ベトナム何でも有り。

2005/12/31

"ルンバ・チャチャはお任せ"

 とうとう大晦日を迎えてしまった。My Tho(美秋)からEmが戻って来たので

グエンフエのダンスホールに年忘れの馬鹿騒ぎに1年振りに出かける。

なんと此処にも自販機が置いてあった。びっくり。ホールは足の踏み場も無い

ほどの満員、ワルツやタンゴ時だけはすいている。踊り疲れて、11時帰宅。料金カクテル2人で飲んで10万ドン。

清く正しくご交際のOさん、若い人から年配まで楽しめますよ。

2005/12/29

"矢切の渡し"

メッキ屋さんの打ち合わせにTay Ninh(西寧)の近くまで出かけた。

帰り道、1号線を通らずにCu Chi(古芝)からBien Hoa(邊和)に

戻るルートを発見。サイゴン川の上流を渡るのだが、地図に

有る筈の橋が無い。突き当たった所は、写真に示す渡し、10Tonトラックなら

1台しか乗らない超小型フェリー。全くTVで見たアフリカの光景と変わらない。

対岸はBinh Duong(平陽)フェリーの待ち時間を考えると近道にならなかった。

2005/12/18

"自動販売機お目見え"

 以前、国営デパートのバイク駐車場側出口に、韓国製の自販機を発見し、写真を

撮ろうと思って現場に出かけた時には既に無くなっていた。過日、KIMDOホテル

横のバイク駐車場の入り口に、自動販売機が有るではないか。丁度カメラを持ち合

わせていたので撮る。ご覧の様に、品揃えも貧弱。自販機の上に有るコップが、気になる。マサカ、これで受けて飲むの

と違う?べトナムじんは平気だけれど。写真には写ってないが、横におっさんが腰掛けて、自販機の番をしていた。

2005/12/10

"森チームお家騒動"

ホーチミン市とその近郊の日系及び台湾系企業の親睦を図る、「サイゴン

会社対抗ゴルフコンペ」を3ヶ月に一回のペースで開催している。

12月4日の大会で、27回を迎えた。小生が監督をする「森チーム」は、

14回大会より参加、監督のHCが36の混成チーム。主力選手の哲F氏が

日本一時帰国の為、永久幹事のI氏にS氏なる人物を紹介してもらう。

小生HC甘くし登録。S氏アンダーで回るがチーム成績振るわず、BB。バッキン一人15USD。翌日、S氏より脱会届け。

表向き「楽しむゴルフがしたい。」本音「金の掛からぬゴルフがしたい。」幹事が、フローティングや割引券集めに苦労して

いるのも知らないで。おまけに足の段取りまでさせておいて、タクシーでゴルフ場まで来たら、15USDで済まんぞ〜。

正選手で無いのに、脱会届け不要。早速幹事諸氏に回状を廻す。

2005/10/20

"ベトナムで初めて救急車に乗る。"

朝から体がふらつく、I さん曰く、血圧が高いのと違う。頭痛は、全くないので出社。

診療所で血圧を測る。「17の10です。」単位が違う、正常値はいくらですか?

「12の8です。」なんとなく0を一つ落としている様。血圧が高いのは事実。

降血圧剤を飲んで2時間ほど休む。休んでいても天井が廻っている。これはヤバイと思い、すぐ車でホーチミンに戻り、

日本人医師のいる病院に行く。今まで血圧はどちらかと言えば低いほう。今までと全く違った症状、頭が心配になって

来る。CTを取りましょうとの事で、別の病院まで救急車に乗る事になる。腕は点滴、鼻は酸素吸入、体は担架に縛ら

れる。車がガタなのか、道路が<悪いのか、揺られ揺られて車酔い。「ゲー、ゲー。」朝から何も食べていないので出て

くるのは胃液のみ。病院に着いた時には、完全病人の出来あがり。造影剤など注入され脳で詰って一巻の終わりでは

死んでも死にきれない。設備は最新の東芝CT(ODA援助で導入されたと思う。)造影剤なしでOK、一安心。

再び、救急車で日本人病院に戻る。車酔いで完全ヘトヘト。ベッドで2時間ほど眠り起される。「泊まっていきますか?」

ホテルより高いと聞いていたので帰る事にした。さて、受け付けで精算、締めて788USD「ガーン」一遍に元気になる。

 翌日、CTの結果を聞きに行く。頭異常なし、先ず一安心。「もう一度、血液検査しますか?」「いいえ。」、

「薬を調合しときますか?」「いいえ。」これ以上取られるのは御免、さっさと帰る。

お世話になった方々、I さん夫妻、甥っ子 L さん、N さん。謝謝、感恩。

2005/08/10

"此処はベトナム違うで"

 今日は朝からバイクを乗り回し、成人病検診、歯科医院と大忙し。歯医者の帰りT字路の

赤信号ベトナム流で左折。(ベトナムは右側通行、バイクは、赤信号で右折可。)

ポリスに捕まる。罰金6,000円、減点2、ケッタクソ悪いので、その足で郵便局に振り込みに

行く。窓口で罰金を支払い帰り際、局員一同「有難う御座いました。」慰めになってへん。

警察とつるんでるのか。

2005/08/08

"お迎えの準備"

 半年振りに日本の我が家に帰る。畳に寝っ転がって高校野球を観ていると、セレマ(葬祭会社)

から電話、葬儀のオプションに付いての問い合わせ、嫁はんもうそんな算段しとるんか。

先日、ゴルフ27ホール回って来たんや。

            「わしゃマダマダ行かへんで、ホ-チミンへ戻ったら荒れたるぜ〜。」

2005/03/26

"ベトナムの品格"

 日本人のコダワリと、ベトナム人の中途半端。ベトナムTVの歌番組(民謡)を

見ていた時、真っ先に目に入って来たのは、プラスチックの椅子。大衆食堂で

よく見掛ける背もたれの無い椅子。ステージの琴奏者が、琴の端を膝の上にもう

一方をプラスチックの椅子の上に載せ奏でている。日本では、考えられない事である。

写真に示す通り全く場違いで、センスゼロと言わざるを得ない。

2005/01/02

"金なし暇ありバスに乗れ"

 ホーチミン市の南方面は探査した事がなかったので、バスで Nha Be 迄行く

事にした。Ben Thanh から系統20に乗り込む。始発駅なのに満員で出発。

冷房は効いているが、少し臭い。料金2,000ドン(約14円)我慢ガマン。

約45分で終点着。田舎と思っていたが、道路の両側は民家が軒を連ねており、

    Nha Be のフェリー乗り場      2区や9区の方がよっぽど田舎である。

2004/12/21

"ベトナム人のコミッション(知人の話)"

 業者からコミッションを取ってバレタ彼女曰く「両親は病気、給料は安い会社のお金を

くすねたので無い。アウトサイドで貰っているのがなぜ悪い。」逆に開き直られたとの事。

困っている様子なので、「世の中そんな親切な人が居るとは知らなんだ。今の仕事止めて、

アウトサイドのコミッション集めに専念したらどうですか。」と言って、さっさと首にしてしまう

ようアドバイス。                                                 ハロー チュウイングガム

 「お父さん居ない、お母さん病気、弟妹は学校に金が掛かる。」こんな話終戦後の日本でしょちゅう聞いた。

 パンパンの口癖や。騙されたらアカンSさん、Oさん。

2004/12/11

"夫は夫、私は私"

 久しぶりにEmに誘われてダンスに行った。多くのダンスホールがディスコ化している中、

グエンフェのど真ん中に有った。Emは友人を連れて来たが、以前に2,3度会っている。

エライピチピチのショートパンツで、大腿部むき出し、挑発的。でも、二人の子持ちの

おばさん、子供を家に残しフィーバーしている。ホールに入って二度びっくり。上着を取ると

   メオーィ寂しいよ      バックレス、完全に男アサリに来ておる。ここは、市民プールと違うぞ!

 Oさん、気付けなアカンぞ〜。  久しぶりのダンスでエ〜汗掻いた、23時帰宅。今晩はグッスリねむれる。

2004/10/20

"シェラトンホテル食い逃げ事件"

 日ごろから懇意にしているゴルフ最下位仲間のバネ屋のTさん(台湾人)。日ごろから

世話になっているIさん(日本人)にシェラトンホテルのディナー招待券10枚手に入った

のでと誘われる。Iさんの一家眷属3人と居候の私、ベトナムうん拾年のKさん他1人と

正装?で出かける。ホテルの二階Palazzo Clubに入る、なんとそこはカジノであった。

受付で氏名パスポートNo.等を記帳。会員制のディナーパーティかと思って中に入ると、

皆さんコンコティェン(お金ナイ)。取敢えず部屋を出る、Kさん既にスタンドテーブルで      事件の有ったホテル

ワインを飲み、寿司をパクついている。I,T,Lさんと小生は負けじと寿司、豚饅をホオバル。ホストにワインを進められ

調子に乗っていると、いつの間にかI,T,Lさん消えてしまった。残るは食い意地の張ったKさんと小生。

 暫くして、携帯電話が鳴り出るとIさんから、ロビーで待っているとの事。異変を感じたのでKさんに皆が待っている事を

告げ、携帯を耳に当てながら堂々とした振る舞いで立ち去る。

この時点で食い逃げを自覚する。振り返るとKさんワイングラス片手に未だ何かパクついていた。

 Tさんが持って来たのは、ディナー券ならずカジノの優待券であった。ゲームの合間に軽い食事が出来るだけの事。

ゲームをせずにただ食い6人場所を変え中華料理で打ち上げ。Kさん完全に割り勘負け。目出度し目出度し。

2004/09/04

"ホームページ再開"

ベトナムで生活しているため、ホームページを閉じていたが、やっとホームページ再開の目途が立つ。

内容が古くなってしまったので、かなりの書き換えが必要になっている。ぼちぼち始めよう。


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