黐木舎



平成15年(2003年)
2月

3月
5月
6月
7月
9月






9月27日(土)晴れ
8月も始めのことである。
氏子の木下博行氏がやって来た。
寛永3年卯5月5日にお経を奉納したという板札が当神社にある。
木下八兵衛は、木下博行氏のご先祖である。
色々と話している内に、布忍神社に関係深い牛頭天王・三宝荒神・春日大明神の掛け軸があるので一度私に見せるというのである。
私は是非とも見せて頂きたいと云うと、それでは今から取ってくると走って帰られた。
そうして暫くすると、木下さんは風呂敷包みを下げ再びこられたのである。
風呂敷包みを解かれ、怖ず怖ずと出された掛け軸は相当に痛いではいたが、本体の絵の部分は虫食いもなく、色鮮やかに残っていたのである。
私自身、牛頭天王の描かれたものは余り見たことがない。
ましてや、当神社の由来の三宝荒神と春日大明神を従えた絵柄は見たこともなかった。
これは大変貴重な物でしょうと木下さんい伝えると、木下さんはいとも簡単に「この掛け軸神社に寄付します」とのことである。
「ただ、表装は大変痛んでいるので神社で修復して下さい」とのことである。
早速に表具屋に云って此の掛け軸の修復に取り掛かり、やっとの事で出来上がってきた。
先日、この掛け軸を従えて、大阪歴史博物館にいくと「大変珍しい物ですね」とのことである。
帰ってきて、このことを木下さんに伝えると「ご先祖もしたように、私も微力ながら神社のためになった」と大変喜んで頂いたのである。
明日28日に晴れてこの「牛頭天王・三宝荒神・春日大明神」ご神像画の奉納祭を執り行うことにしている。
その後は毎月1日にはご開帳を行い、参拝者の皆様にご神徳を頂いてもらいたいと思っている。
布忍神社のご祭神は明治以降歴史的な経過のもと「速須佐男之尊(はやすさのおのみこと)八重事代主之尊(やえことしろぬしのみこと)建甕槌之尊(たていかづちおのみこと)」となり、近隣の人々の崇敬を集めています。
今後はより以上のご加護を頂くためにも、荒神として速須佐男之尊の本地である牛頭天王と三宝荒神・春日大明神を加え末永く祀っていきたいと思っています。

牛頭天王・三宝荒神・春日大明神
牛頭天王・三宝荒神・春日大明神

9月18日(木)晴れのち曇り
先週の11日(木)は旧暦の8月15日中秋の名月で、例年の如く観月祭を執り行った。
今年は夏が遅くいつまでも涼しかったのに、残暑は大変暑く9月になってやっと夏がやって来たという冗談を言っていた。
丁度この9月半ばに、南の海上に台風が発生。
11日ころ影響があるのではという悪い予感が的中。
観月祭の行われる11日の午後7時過ぎから雷雨。
散々な目にあったが、総代をはじめ皆さんの努力のお影で急遽石舞台から拝殿に移動して無事祭事並びに芸能奉納は終えることができた。
芸能奉納者の元宝塚の秋野さとみは「石舞台と拝殿両方で出来て嬉しかったです」と、言ってくれたのには恐縮した。

今となって思うのだが、この観月祭が行われる旧暦8月15日は本当に雨が多い。
平成5年第1回めから数えて今年は、11回目である。
そのうちで晴れ又は曇りの日は6回で、雨は今回をいれて5回である。
平成12年は今回と同じで、台風が来て愛知県に大変な被害が出た日であったことを覚えている。
しかし、台風直撃で中止となってないだけ良いのかも知れないが、出来ることなら満月の下幽玄な祭りが行われるように願っているなおだが旨くはいかないものだ。
誰が悪いという訳でもないが、わざわざ遠くから参拝にやってきて下さった人や、芸能奉納の関係者、神社関係者に「雨でごめん」と言ってしまう。
しかし、終わるころには雨が降ってつらい思いも忘れ、来年は何を演じてもらおうかなんて考えてします。
来年は天気はどうでしょうかね。
晴れるかな。
雨かな。
これは神こそぞ知る。


7月5日(土)雨
梅雨本番というところ。
6月30日夏越しの大祓・万灯ろう。7月1日月並み祭・万灯ろうも無事終わる。

今年も希波牟の会の鈴鹿千代乃さんをはじめ、野中久美子さん、松川さんの芸能奉納も無事奉納されました。

くぐつ舞くぐつ舞

6月30日は雨も降らず、すがすがしい天気でしたが、翌日の1日は雨、雨・・・・。
朝から笠をかぶせて、雨対策。
午後8時点灯と共に雨が小降りに成った。
雨の中の灯ろうは、より以上に幻想的でした。

万灯ろう

7月2日は晴れ。
敬神婦人会の皆様の手で、後かたづけ。
万灯ろうのともしびは、皆様の思いを一つ残らず、神様の元に運んでくださったことでしょう。

万灯ろうの片付け万灯ろうの片付け

万灯ろうの片付け


6月25日(水)雨のち曇り
梅雨本番。
このところ降り続く雨も今日は午後から一旦小休止と言うことらしい。
その午前に敬神婦人会の皆さんが集まって、6月30日・7月1日夏越しの大祓における万灯ろうの組み立てを行ってくれました。
本当に皆さん有り難う御座います。

万灯ろう万灯ろう

今年も無事に各氏子さんがたが過ごすことを願い。また、これまで無事に過ごした感謝をこめて、一つ一つ奇麗に組み上がりました。
これらの灯ろうを、次は総代の手で境内に設置され、30日の午後8時にはロウソクの火が点ります。

万灯ろう


5月16日(金)曇りのち晴れ
このところ、よく雨が降った。しかし、今日は久々に午後から晴れたのだが、5月の今頃にしては肌寒い。
今、各お社のお供えを徹してきたところ。
手を合わせお参りしていると、ふと「私は今ここに居るんだ」と、頭の中で地球上の自分のいる場所を感じてしまう。
大きな大きな地球という星。
その中の日本という国。
大阪、そうして松原のこの場所。
この星には60億という人間が、喜怒哀楽の中で生きている。
いま、まさに誕生した人もおれば、今死を迎えた人もいるのである。
地球にとって、最悪なる生き物こそ人間であろう。
その人間が、止めどもなく争いあっている。
世界の人口が、後10年余りで80億人となるという。
そのようなことを、自分の地球に於ける存在と共に、頭の中を駆けめぐった。
アメリカの一国主義的な行動と超軍事力を背景に世界戦略を進めるおごった考え方。
この様なことで本当によいのだろうか。
同じ目線で、お互いを認め合うことは出来ないのだろうか。
愚かな人間という生き物が、またしても同じ過ちを繰り返そうとしているのではないかと思ってしまう。


5月9日(きん)晴れ
昨日は雨風と共に雷。
午後から雨も止んだが、寒くなりました。
今日は晴れましたが寒い。
先日のオーストラリア・パースにての結婚式の写真が、新婦さんの方から送られてきた。
今回の結婚式第一日目は神式で行い、二日目はパース郊外のワインセラーにてキリスト教で行われました。
両家の両親も大変喜んでいるとか。
本当に良かったです。
亜也、ロブ何時までも幸せに。

オーストラリア・パースにての神式の結婚式

オーストラリア・パースにての結婚式オーストラリア・パースにての結婚式


5月1日(木)晴れ
昨日オーストラリア・パースから帰ってきました。
実は4月28日娘の知人の結婚式を神式でパースにて執り行ったんです。
スワン川のほとりの公園のいっかくを借りての挙式。
ユーカリの大木を神籬(ひもろぎ)として、祭壇を作り、この前での結婚式でした。
オーストラリア人のロバート・イアン・ケリーと日本人の伊藤亜也との結婚式。
日本からもお父さんや彼女の知人親族がかけつけ、彼の親族友人もオーストラリア・イギリス各地から駆けつけての式でした。
本当に良かったです。

オーストラリア・パースにての神式 オーストラリア・パースにての神式

オーストラリア・パースにての神式


3月24日(月)曇りのち雨
戦争。
何故、人はいがみ合うのでしょうか。
何故、人は殺し合うのでしょうか。
地球上で一番醜い生き物は人間かも知れません。
同じ目線で、お互いを認め、理解し合うことは出来ないのでしょうか。
人間という生き物が、共存、共生することを難しくしているように思います。
戦争という愚かな行為を、人間という生き物が、いつまで続けるのでしょうか。
一日も早く、今のイラクでの戦争が終わることを祈ります。


3月19日(水)曇り
昨日から彼岸の入り。
今日も寒い。
やはり彼岸が終わらなければ、この寒さも終わらないのだろうか。
3月22日は旧の二の午で、当神社の末広稲荷大祭の日となる。
お稲荷さんの旗は、例年この時期新調して立て替える。
その旗を揚げていて、ふと目を横にやると、珍しいものが、目に入ってきた。
鳩よりちょっと大きめの、「木の葉ずく」である。
なんて可愛いのでしょうか。

この鎮守の森に住み着いてくれるといいのだけれど、余りワイワイ騒ぎ立てると、何処かへ行ってしまいそうですから。
そっとしておくことにしましょう。

木の葉ずく木の葉ずく


2月25日(火)曇りのち晴れ
久々の晴れ。
この月の15日、授与所に座っていると、なんとなく浮かぬ顔つきで知人のSさんがやって来た。
私に相談があるという。
Sさんは、妹さんとの二人姉妹である。
お互い年も取ったので、妹さんと二人でこの度同居するという。
ところが難問が起こった。
この姉妹のおばあさんは大の法華教の信者で、日蓮像、八幡菩薩像、妙見像の三体の像をお祀りして、日夜お題目を唱えていたという。
次に母が次ぎ、そうしてその娘さんが引き継いだという。
しかし、家の宗派は違うこともあり、家も狭くなり祀ることも出来なくなるので、日蓮のお坊さんに相談したのだが、このお坊さんと意見が食い違い、一応の供養のご祈願はしていただいたが、像の引き取りは拒否されたという。
このことに関して何故か深く話したくない模様なので、敢えて私も詳しい話を聞くのはやめる。
Sさんには、仏像はやはりお寺に引き取ってもらうのが筋道、そうすることが一番良いのではと何度も言う。しかし、Sさんはどうか私の縁のある布忍神社に引き取って貰えものかと、言って帰ろうとしない。
そこまで言うのなら、お魂もお坊さんに抜いて貰ってあるとのことだし、お祓いをして炊き上げますので持ってきなさいと返事をすると、Sさんは大変喜んで、明日もって来るという。

16日の日曜日は朝から曇り昼前から雨の降り天候となる。
車が一台境内の入ってきた。
Sさんである。
像はそんなに大きなものではあるまいと、思っていた私だったのだが、持ってきた像を見て驚いてしまった。
なんと日蓮像は座像であるが台座を含めて約二尺(約70センチ)はあるではないか。
そうして後の二体もそれなりの大きさである。
「こんなに立派な像なんですか」と、つい言ってしまった。
これは大変なことになった。
簡単に持っておいでと言ったもののどうすればいいだろうか。と、頭をかすめる。
祓いのご祈願を行うも、この三体の顔を見ていると、粗末に出来ないという想いに浸る。
Sさんをはじめ、妹さん、又子供さん達も、この仏像と分かれるのは辛いのだろう。
玉串奉奠の時には、妹さんなどは涙を流される始末。
祈祷の後、Sさんをはじめ妹さん達に、実は祓いの後、炊き上げてしまう予定でしたが、この像の行き先を私は何とか頑張って探しますと約束する。
Sさん達は喜んで、よろしくお願いするとのこと。
皆さんが帰られた後、さてどの様にすればいいだろうかと思案。
ふと、壁に掛けられた日めくりのカレンダーを見ると、2月16日は「日蓮誕生会」と書かれているではないか。
なんと、16日は日蓮上人の誕生日と分かる。
これも縁だろう、知り合いの日蓮宗の有吉住職に電話をして相談と思ったのだが、今日は忙しくしているだろうと止める。
その後、有吉さんと連絡が付き、この件の一部始終を話す。
有吉さんから「そのようなご縁のある、像なら私のお寺で預かりましょう」と、快い返事を頂けた。
そうして今日私はこの三体の像を持っていくことになった。
しばし私のお宮におられた三体の像、最後にとまじまじと眺めると、何となく喜んでおられるようで、本当に良かったと思う。
Sさんにもこのことを報告せねばと思っている。

日蓮像・八幡菩薩像・妙見像


2月12日(水)曇り
布忍神社の東側を西除川(にしよけかわ)が流れています。
この川、昭和30年前半までは大変きれいな川で色々な魚が居ました。
しかし、その後汚染が続き、一時はどぶ川状態になりましたが、下水道の整備に伴い、最近有る程度はきれいになってきました。
数年前から魚も住み着き、魚釣りの人たちが毎日数名やって来ては魚釣りを楽しんでいます。
水鳥や野鳥も増えていました。
ミズスマシやゲンゴロウが泳ぐ幼い頃の川の風景を思い出します。
先日、この川に蛍が戻るといいですねと参拝者と話しました。
いつかそのようになることを、願うのですが。

河川より宮橋・神社を望む  二人の太公望