黐木舎


平成14年(2002年)
1月






1月30日(水)晴れ
1通の手紙が届く。
大阪府教育委員会文化財保護課からである。

文化財の指定について(通知)
大阪府文化財保護条例第7条第1項の規定により、平成14年1月29日付けで下記の文化財を大阪府指定の有形文化財(建造物)に指定しましたので、同条第7項の規定により通知します。
なお、指定書については、後日交付します。
          記
名称   布忍神社本殿  一間社流造 檜皮葺 1棟
(員数)  附 木片(寛文三年銘)          1枚


これで布忍神社の本殿は府指定の文化財になった。
しかし、不思議なことに、市の指定文化財に制定されてない。
文化財指定は、市の指定→都道府県の指定を受け国の指定となるのが通常である。
何故布忍神社本殿が市の指定を受けてないかというと、市の文化財保護条例がないのである。
今回の処置は、市の文化財保護条例が制定されるのを待ち切れないための特例の処置である。
こうして松原市始めての文化財指定が誕生した。

日本全体で見れば、90数%の市町村に文化財保護条例が在るのに対して、大阪の市町村の文化財保護条例制定率はワースト1であるとか、大阪の文化の低さがこれでも分かる。
だからと放って置く訳にもいかない。
松原市にも、私の知る限り、府、国の文化財になっても良いものが、10数点ある。
どうか早く、松原市にも文化財保護条例が制定されること願う。
布忍神社本殿のように、特例で府なり国が指定すればよいのだが。
皆様からも、松原市の文化財保護条例の早期制定の陳情をお願いしたいものである。
皆様の住んでいる市町村の文化財保護条例は制定されていますか。
そのように言っている間にも、貴重な文化財が無くなっています。


1月29日(火)晴れ
寒波到来。先日、北海道、東北では大雪が降ったとか。
雨で雪祭りの雪が崩れないようにビニールシートを被せるのに、大変という記事を読んだかと思うと、次は大雪。
この寒い中、二人の赤ちゃんがお宮参りに来てくださいました。
寒い中本当に有難うございます。
子を孫を気持ちは何時になっても変わらないものです。

今年になって初めて、一人の女の赤ちゃんに「子」が付いていた。
もう一人もシンプルな名前で、うれしく思いました。
この数年前から女の子の名前から「子」が消えてしまいました。
子が女の子の名前に付きだしたのは、明治になってからだという。
皇室の女子には子が付いていることに習って、一般の人も付け出したと何かの記事で呼んだ記憶がある。
しかし、歴史を紐解くと、鎌倉幕府を築いた源頼朝と妻は北条時政の子、政子であるから「子」を女子の名に当てはめる風潮は鎌倉時代からあったのだろうと思う。
別に子供の名前に子が付こうが子がなかろうが、私としてはよいわけで、親として子ども自身として、自分お名前に愛着の持てる名前が最高。
ただたんに、姓名学の本を買ってきて、字数を読み、字義も考えずに字を当てはめるのはどうかと思ってしまう。
ここで起こるのが、名前の中性化と難字と当て字。
名前だけを見ると、男性か、女性か分からない。
この字が当用漢字、人名漢字にあるのだろうかと疑うような難しいく、又画数の多い字が使われる。
(このような字は、ワープロで一度のには出ないだろう。)
当て字がある。
親の概念で漢字をまったく違った呼び方をするのだから大変。
子供が成長すればどのように自分お名前を見てどのように感じるのだろうか。
冬に生まれた子供に「かお」という呼び方かほしい為に「夏生」と付けて来た人が居た。
あなたは概念にとらわれていると、言われるかもしれないが、子供身になって名前を付けてあげてほしい。
明治以前、一部を除いて一般には名字がなかった。
このころは、自然のものから精霊を頂くという意味で、自然の木々や動物から名前を取ったという。
今はもう亡くなられた明治生まれの氏子の姉妹の方たで、「こうめさん」「こたいさん」という大変素晴らしい方が居ましたが、この方などはまさに「梅」と「鯛」の精霊を頂いた名前です。
和歌山の田辺出身で粘菌学で世界的に有名な「南方熊楠」は自分の名前を付けてくれた親に「私に、親は熊と楠の二つもの精霊を与えてくれた」と、大変感謝します。
後に彼は世界で始めての自然保護運動(トラスト運動)をして、和歌山県の神島の保護を訴えます。
今もこの神島は、天然記念物として残っています。
このような素晴らしい名前を付けてくれたと感謝し、愛着の持てる名前が素晴らしいのではないでしょうか。
親として子供の名前を付ける時に、ただ単に、音の響きや、見た目重視ではなく、何故貴方にこの名前を付けることになったか言える愛着の持てる名前に心掛けてつけてあげて下さい。


1月21日(月)雨
この冬の時期では珍しい雨が朝から降っている。
午後7時のニュースの天気予報でもこの事を告げていた。
アフガニスタン復興会議の様子をニュースは伝えている。
この地球上で人間は自分たちの主義主張によって破壊を繰り返してきた事だろうか。
文明の発達により欲望は満たされたが、幸せをつかむ事が出来ただろうか。
この問いかけを、何度繰り返せばよいのだろうか。
今地球上に幾人の飢えた人々が居るのか。
これから先どれだけの人間が増え続けるのだろうか。
そうして進む自然破壊。
この冬の時期では珍しい雨が珍しくなくなる日々が、もう其処までやって来ているのではないだろうか。
このような事を考える今日1日でした。


1月19日(土)晴れ時々曇り
昨日の掲示板に正月の鏡餅の干し柿を食べたけれど渋かった。本当に食べるものですか。と、言うコメントが載っていました。
之には訳があります。
数年前から私は、正月の飾り物の中で餅は言うまでも無く、干し柿・ダイダイ昆布などは食べなければならないと言い続けています。
そうして、今年の最初の掲示板にもこのことを書いたところ、このことを見た人が食べてみたようです。
なますにして食べればよかったのに、どうもそのまま食べたのでしょう。
しかし、そのまま食べて、干し柿は渋くないのだけれどもね。

本来干し柿は、渋柿を天日干しをしたものです。
その事により、渋の元であるタンニンがアセトアルデヒドなどと結合して固化し、水に溶けない状態になり、口に入れても渋くなくなるのです。
昔、婆さんから渋柿は肌の老化の防止に効くと言う事を聞いたことがあります。
だけども、私もこのことに関して間違ったことを言っても成らないので、渋柿のこと、又渋柿の食べ方に関するホームページを探したところ
http://www.oishi-mise.com/hosikaki.htmhttp://www.genkai.com/waiwai/news/cook/06.htmの二つのホームページを見つけました。

このホームページに載っていたのですが、

◆健康食

干柿には果糖をはじめ食物繊維やビタミン、ミネラルが多く含まれており、整腸作用があり腸内バランスを整えるなどすぐれた働きがあります。
また、昔から二日酔いや悪酔いを防止するといわれ、タンニンの作用で高血圧の予防にも効果があり、成人病や神経症にもいいとされています。
また発ガン物質やコレステロール、過剰な食塩などを吸収して排出してくれます。

婆さんが言っていた肌の老化防止に効くというのは、整腸作用があるかなんでしょうね。
それよりも最後の「発ガン物質やコレステロール、過剰な食塩などを吸収して排出してくれます。」という部分です。
来年の正月にはこの文章のコピーを社頭に張り出します。
小正月のとんどに、少しは干し柿をとんどに持ってくる人が減るかも・・・。
ついでに、ダイダイと鏡餅の言われも書いて。

◆ダイダイ

科名
ミカン科
薬部名(生薬名)
 未熟果 枳実(きじつ)
     9〜10月頃採取し半切りにして乾燥
     熟した果皮 橙皮(とうひ)
     熟した果実の果皮をはいで乾燥
薬効
 芳香健胃、去痰、緩下

特徴・由来
 常緑中木。果実が落ちにくく、新旧代々の果実が同一の樹上になることに由来。
 果実はママレードの原料に、花の精油は香水原料に使用する。


1月13日(日)晴れ
何時もこの頃に成ると腹が立って仕方がない。
朝から電話の応対で大変。
「とんどは何時ですか」「何時注連縄を持っていけばよいですか」もろもろ。
とんど祭は1月15日小正月と決まっている。
元旦に門松を神代として各家に歳神が宿る。要するに門松が神様の下る目印となる。そうして、それらの家々安泰を歳神は約束して、15日の小正月にまた、門松から天上へと帰られる。
だから、15日の朝まで門松は無くては成らないし、歳神が家にいる間は注連飾りは飾らなければ成らない。
歳神の帰った後の不要になった注連飾りや門松は、15日のどんど祭にて炊き上げ松の内は終わる。
これが日本の正月の文化である。
その日本の日本人たる文化を勝手に変えるなと言いたい。
布忍神社は断固15日小正月にとんど祭を執り行う。
自らの文化を何故捨てるのか。
文化をなくした国は滅びる。
歳神も怒っていることだろう。
形だけの正月・・・。ああ情けない。
因みに今年の旧の正月は2月12日である。
これぞ本来の元旦である。
この日から春となる。
あと、1ヶ月である。
旧暦でも正月を祝いませんか。
平成12年旧正月元旦平成13年旧正月元旦(初日の出)
平成12年旧正月元旦 (新暦2月5日) 並びに 平成13年旧正月元旦 (新暦1月24日)初日の出


1月6日(日)晴れ
今年の元旦から5日までは寒波到来の寒い日が続いた。
思い起こすに12年前の平成2年(1990)の午の年も元旦から雪が降ったように思う。
絵馬展を行って3年目の正月バブル絶頂の時、日本中が狂っていた。
平成元年(1989)巳年の6月には中国で天安門事件、9月アメリカではソニーが映画会社コロンビアを買収してアメリカのひんしゅくを買う。
11月には、ベルリンの壁が崩壊してドイツ統一となる。
激動の20世紀最後の10年の幕開けとなった。
12年たった今年の三が日、久しぶりの寒波。
どうも午年は寒くなるようだ。
どうか景気が良く成れ、世界平和になれと祈るばかり。
しかし、この日本を見ると馬鹿なことばかりしている。
もっと政治家さん、頑張ってくれよとつい愚痴が出てしまう。