Преступление и Наказание

『罪と罰』を記念するレリーフ …彼は、もう何か忘れているものはないかと、息苦しいほど注意をこらして、壁のまわりや床の上をきょろきょろと見まわした。記憶力も、ほんの単純な思考力も、何もかも自分を見捨てたらしいという確信が、耐えがたいまで彼を苦しめはじめた。『どうなんだ、もう始まったのか、もう罰がやってきたのか? …』
『罪と罰』第二部の一

 朝のストリャールヌイ横町は人通りもまばらで、『罪と罰』縁の地を目的にして訪れる人は私以外いなかった。朝も早かったし、この辺りに住む人にとっては珍しくも何とも無いところなのだろう。
 だが私にとっては感無量以外の何物でもなかった。ラスコーリニコフの家≠ノ、この場所グラジダンツカヤ19番地に、とうとうやってきたのだ。

 左はラスコーリニコフの家≠ニされる建物の角にあるドストエフスキーの『罪と罰』(1866)を記念するレリーフである。彫像はまるで作者ドストエフスキーが、小説の主人公ラスコーリニコフに扮しているかのようなデザインである。左下に彫られている階段は、ラスコーリニコフの「箱舟」と呼ばれるような屋根裏部屋に通じる階段を表現したのだろうと思う。

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ラスコーリニコフの家の外観
 昔の文学全集や、詳細な解説のある昔の文庫本には載っているラスコーリニコフの家=B現地では、よく似た建物が多くて初めてならば迷うかもしれないが、前ページのストリャールヌイ横町の入口の目印さえ分かればどうにかなると思う。
 この建物は現在もアパートとして使用されている。中に入れるかどうかは運次第だろう。私が行った日(朝というのもあったろうが)には、入口の扉がナンバー・キーで施錠されてあったのだ。誰か出てくるか、もしくは入る人がいないか待ってみたが、希望は叶わなかった。
 もし、幸運にも中に入れたなら、どんどん階段を上がって屋根裏部屋に向かうだろう。そして『罪と罰』ファンが壁に残した落書きを横目にしながら、ラスコーリニコフが住んだとされる部屋に入り、窓からイサク大聖堂の金色のドームを目にすることができるだろう。
 ロシアでは今でも徴兵制度があって、18歳の男性に2年間の軍隊生活が義務づけられている。尤も、2002年の夏に選択的軍隊勤務に関する法律が採択され、将来には契約に基づく志願制に移行するとのことだ。
 右の写真はラスコーリニコフのアパートの前で出会った若い軍人さん(記憶があいまいでよく名前を聞いておけばよかったと悔やまれるが、きっと名前がアレクセイだったと思う)。軍の休暇か軍務の終了のお祝いだったのろう、彼は朝まで飲んでいたようで、ビールを片手にかなり陽気な感じだった。彼と目が合った私は思わず「ズドラーストヴィーチェ」と挨拶した。
 彼は朝の7時に日本人がペテルブルグの下町にいること自体珍しかったのだろうし、私が『罪と罰』のレリーフにカメラを向けていることにも興味を覚えたのだと思う。私はドキドキしつつも、しどろもどろなロシア語でドストエフスキーの『罪と罰』を素直に誉めた。彼はとにかく嬉しくなったらしく、レリーフを背景に私の写真を撮ろうかと言ってくれた。彼に撮ってもらい、やたらめったら握手して私も愉快な気分になったので「あなたの写真も撮らせてくれない?」と頼むと快諾してくれた。
 言っちゃなんだが、そのときの彼はかなりリラックスしていたみたいで、制服のボタンを外し襟元が開き、さらにシャツもズボンからはみ出ていた。でも写真に写るとなれば別で「ちょっと待ってね」と言うと、ビールを建物の窓縁に置き、制服を直して臨んでくれた(笑)。おかげで写真はバシッときまっているものになった。
 シャッターを切った後、笑顔に戻った彼と繰り返し握手して、日本から来たことなどを話し「よい一日を」とその時は気分よく別れたのだが、たとえ五分間程度の出会いでも、彼の連絡先を訊くべきだったと帰国してから思った。万が一のことではあるが、彼の軍務がまだ続くようだったら、彼の肖像として貴重なものになるかもしれないからだ。これも旅の反省である。
きっと夜通し飲みつづけたんだろうな…
「人民の自家蒸溜のこのウオッカのコップをシャンパン代りにかかげて、諸子のために乾杯をいたしたい。応召兵諸君、諸子の壮行を心から祝い、あわせていついつまでもの長寿を祈願いたす。応召兵諸君、諸子の門出にあたって切に望みたいことはまだまだ山ほどあるんじゃ。ご静聴を乞う。諸子の前途には、長い長い十字架の道が横たわっとる。(〜略〜)神はわれらとともにあり、諸君」ガルージンが語り終るより早く、万歳(ウラー)の叫びと、ガルージンを胴上げにしろという声がわき起って、彼の言葉を吹き消してしまった。コップを口もとへもってゆくと、彼は沈殿物の多い、にごったウオッカをゆっくりと嚥みくだした。この酒はいっこうにうまくなかった。彼の舌は、もっと高級なぶどう酒になじんでいた。しかし、全体のために犠牲を払っているのだという意識はまんざらでもない気持だった。
パステルナーク『ドクトル・ジバゴ』第十編の七
奥に伸びる通りをいくと…
私が勘違いした「ソーニャの家」の建物
 現地で私は左の写真の薄く緑がかった建物がソーニャの家だと思って、前ページの分ともう一つ、左の建物を撮っておいた。
 どうして「ソーニャの家」だと思ったのか、その理由は前ページに引用した描写にある壁の色、窓の数、部屋の形が、こちらの分でも符合するように思えたから……。(ちなみに『謎解き『罪と罰』』p61にあるソーニャの家は、右に切れて写っている赤紫にほんの少し白を混ぜたような色をしている建物。)
 この緑の建物の右の奥に伸びている通りを真っ直ぐ行くとモイカ運河にあたる。運河の橋を渡って、左に200メートルも歩けばモルスカヤ通りとなり、『未成年』の第三部第五章の3でアルカージイが悪漢ラムベルトや、憎めないキャラクターのトリシャートフらと飲むレストランがある辺りと同じ名前の通りになる。きっと『未成年』で用いられている地名と同じだと思われる。
 小説で描かれるその場面のトリシャートフはとても人間味を帯びている。

「では、おぼえてますか……ちょっと失礼、ぼくはもう一杯飲みます……終りのほうのある場面ですが、二人がつまりあの気ちがいの老人と、その孫の十三歳の美しい少女が、ファンタスチックな逃亡と流浪の果てに、やっと、やっと、どこかイギリスの片田舎の、ゴシック式の中世紀風の寺院のそばに、かくれ家を見出して、そして少女がそこでしごとをあたえられる、客に寺院の中を案内するしごとです……そしてある夕暮れに、その少女が夕陽をいっぱいにあびながら、寺院の入口に立って、しずかな瞑想的な観照にしずみながら、じっと落日を見まもっている、そしてその小さな心は、まるでなにかの謎をまえにしたみたいに、おどろきに充たされている、というのは、それも、これも、謎みたいに思われたからです──つまり太陽は、神の思想として、そして寺院は、人間の思想として……そうじゃありませんか? おお、ぼくはこれをうまく言いあらわせませんが、でも神はそうした幼い心に生れる最初の思想を愛するんですよ……そして少女のそばの石段の上に、その気ちがいの老人が立って、動かぬ目でじっと孫娘を見つめている……ねえ、そこには別になにもありません、ディケンズのこの絵は、ただそれだけのものです、ところがこれが永遠に忘れられないのです、そしてこれが全ヨーロッパに残ったのです──なぜでしょう? 美しいからです! 汚れがないからです! そうでしょうか? そこになにがあるか、ぼくは知りませんが、ただほのぼのとした気持になります。ぼくは中学校で小説ばかり読んでいました。ぼくにはね、田舎に一人の姉がいるんです、一つちがいの……おお、いまではもうすっかり売られてしまって、田舎にはなにもありません! ぼくはよく姉といっしょにテラスで、菩提樹の老木の下陰に腰かけて、この小説を読んだものです、そしてやはり夕陽が沈みかけると、ぼくたちは読むのをやめて、互いに言い合ったものです。ぼくたちも負けないようなよい人間になろう、心の美しい人間になろうと。ぼくはそのころ大学に入る勉強をしていました、そして……ああ、ドルゴルーキー、ねえ、誰にでも思い出というものがあるものですねえ!……」

『未成年』第三部第五章の3

 かなり酒が入っている時のセリフとして描かれているから、尚更、味がある。
 ドストエフスキーはゴーゴリ同様、ペテルブルグを舞台にした小説をたくさん書いているが、『罪と罰』と『未成年』の各々の舞台はしばしば交錯するのでおもしろい。
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 彼はよく知っていた。知りぬいていた。この瞬間、彼らがすでに老婆の住居にいることを、ついさっきまで閉まっていたドアがあいているのを見て、びっくり仰天していることを、彼らがもうふたりの死体を見ていることを、そして、一分も経たないうちに、いまのいままでそこにいた犯人がうまくどこかへ身をかくし、彼らの横をすり抜けて、まんまと逃げおおせたのに思いあたるだろうことを。

『罪と罰』第一部の七

 あまりにもリアルというか生々しい金貸し老婆殺害の場面は、息つく間もないようなスピード感に満ちている。あの場面に私は読んでいる側が本当にこれでいいのか?と後で自分自身を疑わなければ理性を保てないのではと思うぐらい、溜飲が下がるような危険な思いに一瞬とらわれてしまうことがあると思う。その一種のカタルシスを自覚するとき、『罪と罰』が投げかける問題の大きさに慄然としてしまう。
 私の足が短いからか、ラスコーリニコフの下宿から金貸し老婆の家まで、800歩以上かかってしまった(笑)。小説によれば、きっちり730歩のはずだが、ここはラスコーリニコフが長身で足が長くて、歩幅も大きかったと思うことにしよう。
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ポジヤーチイ通り
  一年たっぷり 女房を抱いてたよ
  一年たァっぷり 女房を抱いてたよォ……

かと思うと、ふいにまた目をさまして、

  ポジヤーチー通りに出かけたら
  むかしの女を見ィつけた

『罪と罰』第一部の一
 『罪と罰』の最初、ラスコーリニコフは「偵察」も兼ねて金貸し老婆のところで、古びた平型の銀時計を質草にし金を得る。それから憂鬱な気分のまま酒場に足を運び、そこで九等官マルメラードフと運命的な邂逅をする。その酒場がある通りがポジヤーチイ通りだ。
 酔いにまかせて弁舌を振るうがあまりふらふらになったマルメラードフを、ラスコーリニコフは送っていく。マルメラードフの家(コーゼリの家)は酒場から二百歩から三百歩だから、この写真の場所からそこそこ近い場所だと思われる。
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 「……いまか、いまかと待っておりますようなわけで。おふたりのためには、もう当座の住居も見つけておきました……」
 「どこです?」ラスコーリニコフが弱々しい声で言った。
 「ここからすぐ近くです。バカレーエフの家……」
 「ああ、それならウォズネセンスキー通りだ」とラズミーヒンが口を入れた。「あの家は二階分が貸室になっていてに、ユーシンとかいう商人が経営しているんだ。行ったことがあるよ」
 「さよう、賃室になっております……」
『罪と罰』第二部の五
真ん中の建物がバカレーエフ旅館かも
 R県から出てきたラスコーリニコフの母と妹ドゥーニャが滞在し、ラスコーリニコフらが弁護士ルージンと一悶着起こす旅館の辺り。『謎解き『罪と罰』』の図に従って撮影。
 ヴォズネセンスキー大通りは、ゴーゴリの『鼻』の理髪師イワン・ヤーコヴレヴィチが住んでいる通りでもある。
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『罪と罰』の舞台IIIにつづく】     【もくじ】     【Contact