要塞監獄の外観なのか?
ペトロパヴロフスク聖堂を出た後は、ネフスキー門をくぐって、ネヴァ川が見渡せる場所(司令官監視所)へ。
ここでは右の写真のようにゆったりした至福を味わえるようなバンド演奏が行なわれていた。大きいベース?の奏者と話しているきれいな民族衣裳を着た女性は、バンドのCDを売っていた。 アコーディオンとバラライカとベースで奏でられた生演奏のロシア民謡「ステンカ・ラージン」は、いい天気の気持ちよさに加えて、その場の雰囲気をとても観光日和にうってつけな心地よく和やかなものにしていた。 |
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私はトランクの文字にあるとおり、写真を撮るのに1ドルを払った。ここでは多くの旅行者が、ネヴァ川と対岸の宮殿河岸通りの風景をたのしんでいた。 | |
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上の写真、中央にエルミタージュ美術館、その右にイサク大聖堂の黄金のドームや海軍省の建物が見える。ここもペテルブルグが景勝の町であることを実感できる場所だ。
右に写っている、人がたむろしている稜堡の向こう側には、なんとビーチ(水浴場)がある。ペトロパヴロフスク要塞は、要塞の機能だけでなく監獄、聖堂、ビーチまであるという、ある意味とてもおもしろい過去の軍事施設なのだ。 バンドが映画『ドクトル・ジバゴ』のラーラのテーマ≠奏でたので、私はとても感激してしまった。『ドクトル・ジバゴ』の原作はソ連時代には政治的理由から物議をかもしたし、曲はフランス出身モーリス・ジャールによるものである。しかしながら、曲はいかにもロシアらしく聞こえたし、現在のロシアでは定番になっているようだった。曲はネヴァの風景にとても合っていた。 |
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りが、プーシキンが決闘前に通ったカーメンナオストロフスキー大通り。 |
新しい首都サンクト・ペテルブルグについて民衆がどんな噂をしているか、ピョートル一世が宮廷武官の道化バラキエフに尋ねた。「陛下」とバラキエフは答えた。
「民衆はこういっております。一方からいえば海(モーレ)、他方からいえば哀しみ(ゴーレ)、三つめは苔(モーフ)、四つめにох(オーフ:ああ、という嘆声)」 ピョートルはひどく頭にきて、「身をよこたえろ」と叫び、バラキエフがいったモーレ、ゴーレ、モーフ、オーフの単語を宣告するかのように放ちながら、何度か棍棒でバラキエフを打った。
海港都市ペテルブルグは、バルト海制圧のためにもつくられた。建都の過程については前ページでもふれたが、もう少しくわしく書いておきたい。
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何かを描いていた女の子。塁壁の模様のスケッチか、観光客のいる光景を描いているのだろうか。真剣な表情がとても印象的だった。 |
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「集会やデモをするな」「勝手に商売をするな」「犬を散歩させるな」「稜堡に上がるな」「音楽を奏でるな」「泳ぐな」「スキーをするな」「ゴミを散らかすな」「焚き火をするな」「酔っ払うな」「自転車に乗るな」「釣りをするな」ってことだろうか。絵で大体わかる。
(関係ないが、看板にかかる木の緑や影の感じが、ゴッホの絵みたいに見えて仕方がない……。) |
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昼食は、青銅の騎士像の近くのレストランで摂った。レストランに向かう途中、結婚式を終えた新郎新婦や式の出席者らが青銅の騎士像にブーケを奉げにくる光景が見られ、なんともラッキーであった。
昼食はスズキのフライを食べ、地元のビールも楽しんだ。昼食後はアレクサンドル・ネフスキー大修道院の傍のホテルにチェックイン。チェックインが済んだのはいいが、カード・キーのシステムがダウンして、ツアー参加者一人ひとりにキーが持てない状態でペテルブルグ初日を過ごすことになった。運が悪かったと思いたいが、どういうわけかロシアのホテルでは、こういうことがよく起こる…。 添乗員さんは、やっぱり夜行列車の疲れを癒すように促した。私は夜の劇場のチケットを頼んで、夕方6時半にムソルグスキーオペラ・バレエ劇場で観覧希望者と待ち合わすように約束した。 |
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ホテルにチェックインしたあと、フィルムをたくさん持って一人出掛けた。地下鉄のカッサで一枚7ルーブルのジェトン(ペテルブルグの地下鉄乗車のための専用コイン)を買い込み、ドストエフスカヤ駅で降りた。
ドストエフスカヤ駅を地上に出たところには、ヴラジーミル広場と、ヴラジーミルスカヤ教会があって私の胸を躍らせた(左の写真)。(あとで調べてみると教会は1769年から1783年にかけて建てられたそうで、どうも目を惹くものがあると思った!) この広場の近くに、右の写真にあるドストエフスキーの像があって、まさにドストエフスカヤという感じである(右のドストエフスキーの像は、前回の旅行時に撮ったもの)。 ドストエフスキーの像がお目見えしたのは1997年、その年の5月30日(ペテルブルグの誕生日にあたる)には、この像を取り囲むようにドストエフスキー記念の式典らしい催しが行われた写真がある(ドストエフスキー記念館の売店に販売しているパンフレットなど)。像は、Л.М.ホリーナとП.П.イグナチェフ、建築家В.Л.スピリドノフ、芸術家П.А.イグナチェフによるものだ。なお彫刻を施したのが、最初の二人、ホリーナとП.П.イグナチェフである。 私はこの像に再会できたことをとてもうれしく思い、思いを込めて像に触れた。像は当地の人にとって見れば、珍しいものでも何でもないらしく、当然のように前を通り過ぎる。 私はドストエフスキー記念博物館に向かった。時刻は午後の3時半を回った頃だった。 |
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