ドストエフスキー記念館は、作家が住んだ部屋だけでなく、作家に関する博物館もある。博物館は作家の生涯が紹介されており、彼と関わった友人・知人や当時の町並みの写真や木版画、彼が訪れた外国の土地(都市)、発行した作品や雑誌が生まれた背景やその資料、彼が所有していた書籍などが展示されている。
館内の展示セクションには番号がふってあり、厚紙をコーティングした展示品を説明する案内ボード(これにも番号がふってある)を読みながら、番号順に見ていくと作家の生涯を追うようになっている。案内ボードは全てロシア語なので、私には全く読めなかったが、ドストエフスキー関連書などで読んだ内容や、所収されている写真の記憶で、せめて何が展示されているのか分かろうと努めた。 分かろうと努めたというぐらいだから、ここに紹介する写真のコメント文は正直、記述に誤りがある可能性があることをご了承ください。 |
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父ミハイルと母マリヤ、そしてモスクワの生家の写真が上に飾られている。左に出生証明書(のコピー?)、下は当時のモスクワの町の様子の絵だったと思う。
父親は医師、母は信仰の篤い女性で、ドストエフスキーは母から聖書の物語を通してロシア語を学んだ。聖書の物語では、とくにヨブの物語にドストエフスキーは深い感銘を受けた。ヨブをめぐる問題は、作家の生涯のテーマといってもいいだろうと思う。 |
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右はきっとこれまで出版されたドストエフスキーの作品を集めた展示で、中央にはペローフ筆の『ドストエフスキーの肖像』(1872,トレチャコフ美術館蔵)の摸写が飾られている。
写っていなかったので残念だが、この写真の手前(左)には長編『悪霊』に関するセクションがある。そこにはクロード・ロランの『アキスとガラテア』の写真と、ピョートルのモデルになったネチャーエフや、カルマジーノフのモデルになったツルゲーネフの写真があったように記憶している。 |
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風貌や物腰からして最晩年に描かれたものだろう。 | |
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解説を見た限りでは、『カラマーゾフの兄弟』に関するセクションだった。大小の椅子や額縁、円卓の書類は執筆する際に実際に使用したものかもしれない。背景にある川の風景は、ひょっとして『カラマーゾフの兄弟』のモデルになったスターラヤ・ルッサにある風景なのだろうか。
写真の右上に絵が飾られている。この絵はスメルジャコフの性格描写の譬えに用いられたクラムスコイの『瞑想する人』(1876)である。なお『瞑想する人』のオリジナルはキエフ市ロシア美術館蔵。 |
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長編のなかでも余り人気が無い?『未成年』に関するセクション。『未成年』が掲載されたネクラーソフの「祖国雑記」や、小説の登場人物のモデル、ペローフの『巡礼者』が展示されている。真ん中左下には、これまたクロード・ロランの『アキスとガラテア』の写真が飾られている。ヴェルシーロフが語った黄金時代≠フ夢の解説である。 |
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ドストエフスキーが晩年に関わった雑誌「市民(グラジダニン)」? |
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ドストエフスキー最晩年の偉業に関するセクション。ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』執筆後、モスクワで催されたプーシキン記念祭に招待された。祭りではモスクワの現プーシキン広場にてオペクシン制作のプーシキン像の除幕式に参加し、そしてプーシキンに関する記念講演を行ない、講堂内に膨れ上がった聴衆を熱狂させた。その場で長年犬猿の仲であったツルゲーネフと和解した。
中央の寺院っぽい写真は、プーシキン祭の模様の写真。下に並んでいる人々の写真は、プーシキン祭に招待された著名人でツルゲーネフのものもある。上に飾られている月桂冠は、きっと記念祭のときドストエフスキーに贈られたものだろう。もしかすると、ドストエフスキーが講演を終えた日の夜中に、プーシキン像に捧げに行った月桂冠かもしれない。 ちなみにプーシキン記念祭の折り、ドストエフスキーは日本のロシア正教の大聖堂(東京のニコライ堂)を建てた宣教師ニコライを訪ねている。このことについては、また別のページでふれたい。 |
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左上にドストエフスキーと妻アンナの新婚時代?写真、その下には挙式を挙げたペテルブルグのトロイツキー=イズマイロフ教会の写真がある。このセクションは『罪と罰』と『賭博者』の執筆に関するドストエフスキーの離れ業に関するセクションだった気がする。写真の右下に写っているのは兄ミハイルが亡くなったあと、1864年から1867年まで住んだ『罪と罰』ゆかりの地にある建物の当時の様子である。 |
館内には、もちろん『罪と罰』のセクションもあるのだが、光の具合を気にしたのか疲れが出てきたのか撮らなかったようである。でも『罪と罰』のセクションも必見である。細かいことは忘れてしまったが、ラスコーリニコフの思想を表したナポレオンの像や、彼がただじっと考えに耽る箱舟=i屋根裏部屋)への階段の絵などがあったことは強烈に覚えている。 |
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