Москва

 朝の散歩の後は、例のごとく朝食なのだが、もちろん外国人と相席した。この朝食では、年配のイタリア人夫妻とも相席になったが、お互いに英語そんなに分からないので、まさに身振り手ぶりでの会話?になった。
 私はフィレンツェやトスカーナやサンガルガノといった地名や建物を連発し、タルコフスキー映画のことを言った。トスカーナのことは理解してもらったが、ご夫婦はミラノから来たことばかり私に理解してもらおうとする。サンガルガノ寺院なんて細かいことを訊いた私も私だったので、今度はサッカーの話題を「セリエAでプレーするパルマのヒデトシ・ナカータは、とてもすごい日本人選手で私は目をみはってます! ユヴェントスのデル・ピエーロなどのセリアAの選手は世界一だ。ルーキー、レッジーナのシュンスケ・ナカムラもがんばっていると思います」などと単語を並べて言うと、中村のことはいざ知らず、ナカータでは少し話が盛り上がったりしたのだ。
 あとはメモ帳を取り出して、イタリアの都市の位置関係を教えてもらったりしたが、やっぱりほとんど聞き取れなかった。でも、退席されるときはお互い「チャオ」で、にこやかに済んだ。
 ツアーに参加している人とも同席し、参加者の中には、昨夜ボリショイ劇場でバレエ「ジゼル」を観たという人もいた。

廟の公開の曜日は行列用の柵が設けられている
赤の広場。中央右にレーニン廟(画像は前回の旅行のもの)。

レーニンは死んだ。だが身体は生き残っている!(「レーニンの事業は生きている」のもじり)
川崎挾『ロシアのユーモア』(講談社選書メチエ158)

 午前は撮影不可のレーニン廟と政治家・国の英雄の墓、そしてクレムリン内の武器庫・宝物殿に行った。
 レーニン廟に関してはやはりお墓であるから、厳粛な気持ちでいなければならなかった。ところで、ロシアの現体制からして、レーニンはどのように位置付けたらいいのか、たぶん答えはでないだろう。ただ、レーニン廟は今となってはようするにエビータの扱いと似たようなもので、さらに赤の広場を訪れる多くの旅行者たちの呼び物であることには間違いないだろう。外国人向けの土産店では、レーニン廟の中を写した絵葉書もあるくらいなのだ…。
 レーニン廟の裏には旧ソビエトの政治家や、共産党員、国の功労者・英雄たちの墓がある。私が注目したのはガガーリンの墓だった。正直、ガガーリンの墓は、個人的にはВДНХにある宇宙博物館やクランディエフスキー,バルシチらの「ソビエト宇宙開発の偉大なる成果」の記念碑の近くにある方が似合っているんじゃないの?と思ってしまったが…。
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 武器庫・宝物殿は、昔から近代にいたるまでの多くの宮廷・軍隊・正教会ゆかりの豪華な品や、戴冠に用いられた冠、玉座、ドレス、靴、宝石、杯、勲章、馬車、武器・防具、馬のはく製、主教の首飾り(バナギーヤ)、ミサの着衣(サッコドレス)、イワン雷帝の遺児ドミトリーを葬る際の黄金の棺の蓋などが飾られている。さらに入場に350ルーブルも採られる特別展示室には撮影不可の「ダイヤモンド庫」があって、宝石好き必見の部屋もある。その部屋で陳列されているダイヤの名前を挙げると、ソ連共産党第26回大会(342カラット)、プーシキン(320カラット)、ヤクートの星(232カラット)、国王(88カラット、未カット)、モスクワ・オリンピック(黒ダイヤ、100カラット)などなど。その他には金塊や原石、そしてケースにある分だけで6kg・3万カラットのダイヤモンド……驚愕せんばかりである。
贈られた騎馬と甲冑 ドルゴルーキーの杯 酒宴のカップ
 クレムリンにある武器庫・宝物殿の展示品。中央は、ユーリー・ドルゴルーキーが教会に寄進した杯。左はなんと馬のはく製で、甲冑はヨーロッパの飾りものだと説明を受けた。右はダチョウの卵や象牙でつくられた杯の類で、下の皿はもちろん黄金と宝石がちりばめられている…。
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イコンのオクラード
 実際に聖堂で用いられていた豪華絢爛な十字架や、中央上に見られるイコンのオクラード。オクラードとは、イコンで顔や手などを除いた他の部分を、金属製の覆いとルビーやトルコ石・真珠などで飾ったものをいう。
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鎖帷子  エイゼンシュタインの映画『アレクサンドル・ネフスキー』や『イワン雷帝(一部・二部)』に用いられている鎖帷子(くさりかたびら)のデザインの元になってるようなロシアの防具。左が「バイダン」、右が「オリュガ」と呼ばれている(逆かもしれない…)。
 帷子を成すのに用いられている一つ一つのリング(鎖)には、お祈りの言葉が彫られている。完成した帷子自体は10kgもある。
 ちなみに、映画『アレクサンドル・ネフスキー』では、1242年4月5日にアレクサンドルが凍りついたチュド湖の氷上で、鎖帷子で身を固め進行してきたドイツ騎士団を撃破する場面が劇的に描かれているが、チュド湖におけるドイツ騎士団の戦死者は400人から20人までと、史料によって大きく異なっているそうだ…。
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 馬の額の飾りだけでも、とんでもない高価な品が用いられている。
 人間と甲冑と鞍、馬にかかるすべての負荷は200kgもあるそうだ…。ちなみに馬は剥製。
馬がつけている宝石だけでも…
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主教のローブ ゴージャスな聖書 サッコドレス
 右と左は、主教がミサに用いていたローブ(サッコドレス)や帽子。サッコドレスは重いものになると10kgにもなる。中央は宝石が散りばめられた豪華な装丁の聖書。
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皇帝の帽子
 主に近世に用いられた皇帝の戴冠のための宝器(帽子)や首飾りなど。歴代皇帝はけっこう残虐な政策やすさまじい弾圧などを行なったが、どういうわけか戴冠の帽子は某ゲームのキングスライムみたいで妙にかわいい。
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ダイヤが散りばめられた玉座
 ほか、印象に残ったのはイワン雷帝がボリス・ゴドゥノフに贈った象牙の玉座とか、アルメニア公が税金を下げてもらうためアレクセイ・ミハイロヴィッチ帝に贈った千五百個のダイヤを用いた玉座であった。贈物は(贈られた人の)人を顕わすとかいうが…まいったね、しかし…。
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馬車1 馬車2
 皇帝の家族たちが用いた馬車もところ狭しと置かれている。初期のものは駆動輪のコントロールができなくて、道を曲がろうとするたびに力で馬車の方向を変える必要があるものもある。馬車の方向を変えるのは、もちろん奴隷階級にある人間である。馬車は16世紀までは皇帝の家族しか用いることを許されなかった。17世紀以降になると規制緩和され、そのおかげでロシア製だけでなく、当時としては技術や彫刻が進んでいた外国製の馬車も用いられ始めた。
 有名なエカテリーナ2世(1729−1796)の愛人の一人グリゴリー・オルロフが、彼女に贈った馬車も豪華絢爛だった。
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 武器庫・宝物殿の印象としては、皇帝の権力が絶大だったんだなあということが挙げられる。
 あと一つ付け加えるなら、女性用トイレが少ないので、女性の長い行列が出来ていたことが印象的だった。

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