Россия


「ソビエト宇宙開発の偉大なる成果」の記念碑
建築:バルシチ,ミハイール,コルチン,アレクサンドル
彫刻:ファイドイシ=クランディエフスキイによる記念碑。
1958〜64年,モスクワ

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 プーシキンの民話に『漁師と魚の話』(『金の魚』)という作品がある。この話はロシア人であるなら子供でも大人でも暗唱できるくらい、ロシア国民に親しまれている。
 右は、漁師が金の魚を捕まえた場面の像。像はモスクワのクレムリン傍の立派な馬の彫刻群がある噴水のところにある。
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金の魚と漁師の像

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プーシキン夫妻像
_  夫妻の立像はモスクワのアルバート通りのプーシキンの家博物館のすぐ前にある。

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 ロシアの首都モスクワは、19世紀の作家ドストエフスキーが生まれた都市でもある。
 ドストエフスキーの生家は市内の北部にあり、当時はマリア慈善病院といった。ちなみに同じ場所には、現在も病院がある。
 ドストエフスキーは1821年10月30日(グレゴリオ暦では11月11日)に生まれた。その生誕の地は、現在、作家の家の記念館があり、敷地内には作家の像が立っている。

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モスクワの生家に立つドストエフスキー像

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「ドストエフスキー最晩年の家」の記念板
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 ロシア第二の都市サンクト・ペテルブルグには、作家ドストエフスキーの亡くなった家がある。家は現在ドストエフスキー記念館となっており、家の周辺はドストエフスカヤという地名になって、同じ名で地下鉄の駅もある。
 この御影石の記念板は作家の没後75年祭(1956)を記念して掲げられたもので、М.Ф.エゴーロフ意匠、Н.А.ソコーロフ彫刻によるものである。銘文には

「一八四六年と一八七八年より命日の一八八一年二月九日まで、フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーがこの家に住む。『カラマーゾフの兄弟』を書く」

とある。

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 像は地下鉄ドストエフスカヤ駅(ウラジーミルスカヤ駅)を地上に出たところ、ウラジーミルスカヤ広場の片隅にある。像から東に150mも歩けば、ドストエフスキー記念館がある。
 像は、彫刻家Л.М.ホリーナと彫刻家П.П.イグナチェフ、建築家В.Л.スピリドノフによるもので、1997年にこの地にお目見えした。
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晩年の家の近くにあるドストエフスキーの像

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ドストエフスキーの墓
_  墓碑はサンクト・ペテルブルグのアレクサンドル・ネフスキー大修道院内のチフヴィン墓地にある。墓碑銘には『カラマーゾフの兄弟』のエピグラム(「ヨハネ福音書」12章24節)が刻まれている。写真では金色の文字。墓碑は、事前に墓碑建立のための墓碑設計案コンクールを経ている。応募作品の中から、X・K・ワシーリエフの設計した墓碑が採用された。作家の半身像は彫刻科教授N・A・ラヴェレツキーが担当した。半身像の下に書物が置かれているところなど、作家の業績を偲ばせる。
 墓碑の除幕は作家の死の2年後(1883)に行なわれ、その日は作家の誕生日(10月30日(露暦))であった。

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 ドストエフスキーやチャイコフスキーの墓があるペテルブルグのチフヴィン墓地には、19世紀のロシアの画家たちの墓もある。右はロシア・レアリスムの画家の一人、イワン・クラムスコイ(1837−1887)の墓。
 И.クラムスコイは美術アカデミーに対する「14名の反乱」の中心的指導者、画家協同組合の発起人、19世紀移動展派の巨頭として知られ、自身も肖像画家として多くの仕事を手がけた。死去する寸前まで、絵筆を握ったままであったといわれる。
 代表的な作品に『荒野のキリスト』,『レフ・トルストイの肖像』,『月夜』,『見知らぬ女』,『慰め難き悲しみ』などがある。
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クラムスコイの墓

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アレクサンドル・ネフスキー像
_  サンクト・ペテルブルグの地下鉄プローシャチ・アレクサンドル・ネフスカヴァア駅から地上に出ると、アレクサンドル・ネフスキー広場(といっても大きい交差点という感じだが)があり、そこにはアレクサンドル・ネフスキーの騎馬像が立っている。像の傍にはアレクサンドル・ネフスキー大修道院がある。
 像は彫刻家のВ.Г.コズニュクとА.А.ラリミンの手によって創られ、据えられたのは2002年で、最近のことである。

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ネフスキー大通り
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つづく】    【旅行記目次
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