泡沫戦史研究所/ドイツ治安警察部隊史/警察装甲車/戦車部隊(1942年〜1945年)

第16警察戦車中隊
16.Polizei-Panzer-Kompanie

 第16警察戦車中隊は1944年6月28日付の治安警察長官通達によって編成が開始されましたが、中隊の編成自体は1944年5月13日付けの通達によりすでに決定していました。
 中隊は1944年6月28日付の通達により陸軍戦力定数指標(K.St.N)1149号B項の装備定数が適用され、クロアチア治安警察司令官(BdO Croatia)の管轄下で捕獲装甲車両14両により編成されることとなりました。
 戦力定数指標定められた装甲車両の装備定数にかかわらず、実際の装備車両数は定数よりも少なくなりました。回収部隊と修理工場中隊は省略され、代わりに自動車整備部隊として技術士官1名と下士官・兵10名よりなる修理工場小隊が配属されました。


第16警察戦車中隊

中隊本部
  指揮班
  補給段列
  修理工場小隊
  予備班
第1小隊(シュコダ装甲車×2両、L6装甲車×2両)
第2小隊(L35装軌式装甲車×4両)
第3小隊(L35装軌式装甲車×4両)

中隊の兵員定数は将校3名、下士官36名、兵59名 合計94名


 中隊に配属された将校は中隊長と第1小隊長の2名であり、その他にウィーン警察自動車学校の予備戦車大隊から下士官6名と事務官1名、各戦車小隊には戦車操縦兵、整備兵、兵器係りの兵が配属されました。中隊はまだ兵器係りと衛生兵が不足しており、治安警察司令官に対して兵員の補充を上申していましたが、通信兵はとうとう配属されませんでした。その他の不足の兵員はドイツ人警察官18名〜20名とクロアチア義勇兵70名により補充されました。
 装甲車両は装備定数の14両に対して装備車両は12両であり、その他の必要車両では指揮班に乗用車×1両、オートバイ×1両、補給段列にトラック×4両、各戦車小隊にはオートバイ×1両とトラック×1両が配備されました。
 修理工場小隊用の車両及び運転手は特別配属され、1944年7月17日に警察自動車学校の予備戦車大隊からドイツ人警察官がクロアチア治安警察司令官へと送られました。

 1944年7月15日現在の治安警察部隊戦力概要によると、第16警察戦車中隊は第6警察戦車中隊及び第11警察戦車中隊とともに地雷除去任務に従事していました。中隊はエッセ治安警察司令官(Bdo.Esseg)の管轄地区でザグレブ近郊のSamovar Spaに駐屯していました。
 1944年10月20日現在の治安警察部隊戦力概要によると、10月15日付けの報告から変化は見られません。元中隊員の証言によると中隊はBanya湖の飛行場警備任務に従事しており、この時期に戦車乗員2名とオートバイ兵1名が戦死しました。

 以後の中隊に関する記録は残されていませんが、1945年4月20日現在のクロアチア治安警察司令官の通信記録の中に中隊の名が残されており、中隊は終戦までクロアチアで活動しました。終戦時には装甲車両の兵器を装輪車両に積み替えてドイツを目指しました。


2008.8.21 新規作成

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