第4SS警察連隊
SS-Polizei Regiment 4
連隊は1942年7月、既存の第316警察大隊(警察連隊「ミッテ」より)、第323警察大隊及び第62警察大隊をそれぞれ連隊の第1大隊、第2大隊及び3大隊として編入し、パリにおいて第4警察連隊として編成されました。
第4警察連隊
Polizei Regiment 4
連隊本部
第1大隊(第316警察大隊)
第2大隊(第323警察大隊)
第3大隊(第62警察大隊)
第1大隊(第316警察大隊)は1942年4月末から東部戦線から一旦後退し、5月中旬~下旬はドイツ本国のBottrop地区で休養した後、北スロベニアのオーバークライン地方に派遣され、シュコフィア・ロカ(Škofja Loka)地区に駐屯して1942年7月15日~17日には第93警察大隊とともにパルチザン掃討作戦に従事しました。大隊は1943年3月にパリに戻るまでスロベニアで活動しており、パリに帰還した際には大隊の3個中隊は学校を兵舎として使用し、通信小隊は民家に、そして第3中隊はなんと女学校に宿泊しており立派な厨房設備が大隊の炊飯に活用されたようです。
第2大隊(第323警察大隊)は1941年夏から東部戦線に派遣され、1942年3月時点でスモレンスク東南東約80kmのエリニャ(Yelnya)地区に駐屯していましたが、大隊の本拠地であるティルジット(Tilsit
現カリーニングラード州ソヴィエック)に帰還した後、パリに移動しました。
第3大隊(第62警察大隊)はフランス降伏後ロリエン地区に派遣され、トート機関(Ouganisation Todt)のによる「太平洋の壁」の建設現場での警備任務に従事しており、1942年7月の時点で連隊の第3大隊に編入されましたが、1942年11月にはブレストに移動し「第28警察連隊」の第1大隊として編入され、第4警察連隊は2個大隊での編成となりました。その後、1944年8月までに新しい第3大隊が編入された模様ですが、時期やどの警察大隊が編入されたかはわかっていません。
1943年2月24日からは各警察連隊の名称に「SS」が追加されて一斉に「SS警察連隊」(SS Polizei Regiment)と改称され、これに伴い第4警察連隊も「第4SS警察連隊」と改称されました。
1943年6月になると連隊は総統府のルブリン(Lubulin)に移動し、パルチザン掃討作戦に参加しました。1943年6月から1944年11月まで、第4SS警察連隊はポーランド各地でのパルチザン掃討作戦に従事し、ポーランド国内軍部隊やポーランド共産パルチザン部隊といった、パルチザンといえども手強い部隊との戦闘に明け暮れていました。
狼男(Werewolf) I-II作戦
1943年6月27日~7月11日、総督府のザモシチ(Zamość)~ビウゴライ(Biłgoraj)地区(現ポーランド東部)でのパルチザン掃討作戦。この作戦ではKolpak将軍のパルチザン旅団掃討を目的としました。
作戦参加兵力:
第4SS警察連隊
第13SS警察連隊(第3大隊を除く)
第26SS警察連隊の一部
第32警察狙撃兵連隊第1大隊(第252警察大隊)
Karpaten作戦
1943年7月30日~8月25日、総督府南部でのパルチザン掃討作戦
作戦参加兵力:
第4SS警察連隊の一部
第13SS警察連隊の一部
第154予備師団の一部
第174予備師団の一部
第1(自動車化)国家地方警察大隊
ヴァイクセル(Weichsel) III作戦
1943年8月1日~8月10日、ウクライナ西部のヴォルイーニ(Wohlhynia)地方でのパルチザン掃討作戦
作戦参加兵力:
第4第SS警察連隊の一部
第12SS警察連隊第2大隊
第13SS警察連隊の一部
第26SS警察連隊の一部
第825ボルガタタール歩兵大隊
第102コッサック騎兵大隊
1943年8月の「ヴァイクセル(Weichsel) III作戦」以降、1944年5月の「Maigewintter作戦」までの間の第4SS警察連隊の活動については資料がなく、連隊の第1大隊(第316警察大隊)の記録がわずかにあるのみです。第1大隊(第316警察大隊)は1943年末から1944年2月までヘルム(Chelm)に駐屯しており、虐殺施設の解体や痕跡の隠蔽を行う「第1005特別分遣隊」(Sonderkommando 1005)の警護任務に従事していたようです。
Maigewintter作戦
1944年5月5日~5月16日、ルブリン地区でのパルチザン掃討作戦
作戦参加兵力:
第4SS警察連隊
第25SS警察連隊
第5SS戦車師団「ヴィーキング」
Strumwind I-II作戦
1944年6月8日~6月25日 ルブリン南方70kmのJanow~Bilgoraj地区での約5,000名のパルチザン部隊に対するパルチザン掃討作戦
作戦参加兵力:
第4SS警察連隊の一部
第154、第174予備師団の一部
第213保安師団
第115郷土防衛連隊
第994郷土防衛大隊
第995郷土防衛大隊
第1(自動車化)国家地方警察大隊
カルミック騎兵兵団
ハンガリー第5予備師団の一部
Vagabund作戦
1944年6月8日~6月23日、ルブリン(Liblin)北東のRadzyn~Parczew~Wlodawa~Cholm地区でのパルチザン掃討作戦
作戦参加兵力:
第4SS警察連隊の一部
第25SS警察連隊の一部
第32警察狙撃兵連隊の一部
第991郷土防衛大隊
第992郷土防衛大隊
1944年6月22日、ソ連軍の「バグラチオ作戦」により中央軍集団の戦線が崩壊し、ヒトラーが「要塞」と宣言したミンスクにも危機が迫りました。1944年6月下旬、第4SS警察連隊はルブリンの作戦地域から約500km離れたミンスク地区に急派され、「Kormoran作戦」に投入されていた戦闘団「フォン・ゴットベルク」の部隊とともにともにボリソフ近郊のベレジナ川の防衛線に布陣しました。
しかしソ連軍は薄いドイツ軍戦線をすり抜けてミンスクに迫っており、7月1日にはボリソフからの後退が決まり、7月2日にはミンスク北西のマラジェチナ(Molodechno)地区の新たな防衛線へと後退しました。ソ連軍は南北からミンスク市街に迫っており、第2親衛戦車軍団が7月3日の早朝にミンスクの防衛を突破し、夜明けには市街中心部に突入しました。
翌7月4日にはミンスクからドイツ軍後衛部隊が撤退し、ソ連軍第65軍と第5親衛戦車軍によって市街地西方で包囲の輪が閉じられ、ミンスクが陥落するとともに第4軍の大部分と第9軍の一部がミンスク東方からベレジナ川の間で包囲される事態となりました。
警察戦闘団「フォン・ゴットベルク」は付近の警察部隊を参集しながらミンスク西方のナリボキ(Nalibokci)森林地帯を経由して後退し、7月8日までにはリダ(Lida)へと達しました。その後、グロドノ(Grodno)まで後退した戦闘団はグロドノ(Grodno)の防衛戦に投入され、市街北側の防衛線で7月12日まで戦いましたが、グロドノが放棄されて陥落すると、7月14日にはグロドノ(Grodno)の西方約20kmのリプスク地区へと後退していました。
1944年7月15日、戦闘団「アンハルト」は戦闘団「フォン・ゴットベルク」の部隊を編入し、SS警察旅団「アンハルト」と改称されましたが、旅団の実態はパルチザン掃討作戦のために集められた警察戦闘団と変わりはなく苦しい後退戦が続きました。7月17日から7月26日にかけて、SS警察旅団「アンハルト」は第6軍団に配属され、グロドノ西方のリプスク地区から後退しました。
1944年8月8日から9月21日にかけて、第4SS警察連隊はSS警察旅団「アンハルト」に配属されており、第4軍/第6軍団に配属されてオストプロイセンの旧国境付近のグロドノ(Grodno)~ビャウィストク(Bialystok)地区で防衛戦に投入されました。
SS警察旅団「アンハルト」(1944年8月)
SS-Polizei-Brigade “Anhalt”
第2SS警察連隊
第4SS警察連隊
第1大隊
第3大隊
第17SS警察連隊
第1大隊
第34警察狙撃兵連隊第1大隊
第56シューマ砲兵大隊
第15リトアニア警察大隊
警察砲兵中隊「ガリチア第2」
輸送中隊
第4SS警察連隊には第2警察戦車中隊も配属されており、1944年8月10日から16日にかけて、SS警察旅団「アンハルト」の部隊や第6軍団の第14歩兵師団とともにグラエボ(Grayevo)の南、及び南東地域で最前線での防衛戦に投入されました。
この時点での第2警察戦車中隊の兵力は、オートバイ狙撃兵小隊の残余も含めて将校3名、下士官・兵116名であり、このうち歩兵戦力は将校2名、下士官・兵57名でした。また装甲車両としては、装甲車3両と戦車2両を保有していましたが、8月末までには装甲車1両を除きその他の装甲車両のすべてを失い、その後中隊は部隊刷新のためウィーンに帰還しました。
第2警察戦車中隊(1943年5月再編成時)
2.Polizei-Panzer-Kompanie
中隊本部
指揮班
通信小隊
第11修理工場小隊
補給段列
第1装甲車小隊:スタイヤー装甲車×3両
第2装甲車小隊:スタイヤー装甲車×3両
第3装軌式装甲車小隊:1号装軌式装甲車(VK1801)×5両
連隊の配属されたSS警察旅団「アンハルト」は、9月22日から10月6日の間は一時的に警察戦闘団「Danz 」(Polizei-Kampfgruppe "Danz")と改称されましたが、10月7日からは警察戦闘団「ハンニバル」へと再び改称されました。
1944年10月13日、SS警察旅団「アンハルト」は第31警察狙撃兵連隊の連隊長であったハインリッヒ・ハンニバル警察大佐が指揮を引き継ぎ、旅団はSS警察旅団「ハンニバル」と改称されました。しかし、例によって旅団の実態は後退戦の間に大損害を被った警察部隊の寄せ集めでしたが、11月の時点で第4軍/第27軍団に配属されて引き続き防衛戦に投入されました。
SS警察旅団「ハンニバル」(1944年10月)
SS-Polizei-Brigade Hannibal
第2SS警察連隊
第4SS警察連隊第1大隊、第3大隊
第17SS警察連隊第1大隊
第31警察狙撃兵連隊
1944年12月、SS警察旅団「ハンニバル」はSS戦闘団「ハンニバル」(SS Kampfgruppe“Hannibal”)と改称され、第4SS警察連隊のほかハンニバル警察少将が以前に指揮していた第31警察狙撃兵連隊の残余と3個中隊から成る突撃砲大隊「ハンニバル」を持っており、ポーランド北東部のオストプロイセンとの国境線付近に布陣していました。
SS戦闘団「ハンニバル」(1944年12月)
SS Kampfgruppe “Hannibal”
第4SS警察連隊第1大隊、第3大隊
第31警察狙撃兵連隊の残余(1個警察大隊)
突撃砲大隊「ハンニバル」(3個中隊)
1945年1月12日に開始されたロシア軍の冬季攻勢により矢面に立たされた戦闘団は、ロッツェン(Lötzen)南東のリュック(Lyck/現Ełk)~Arys(現 Orzysz)~Milken(現Miłki)地区を経由して北西に向かって撤退を続けた後、1月21日にはロッツエン(Lötzen/現 Giżycko)で他の2個師団とともに包囲されましたが、1月26日には包囲からの脱出に成功しました。
第4軍/第55軍団の編成(1945年1月26日現在)
第102歩兵師団
第203歩兵師団
第541国民擲弾兵師団
警察戦闘団「ハンニバル」
戦闘団「ハウザー」(第605特別編成師団司令部)
2月21日にはランズベルグ(Landsberg/現Górowo Iławeckie)の南6kmのGrünwalde近郊~Dixen~Neukrug地区まで後退しました。3月10日、第4SS警察連隊は解隊され残余の兵員は3月18日付けで第31警察狙撃兵連隊に吸収され、これに前後してSS戦闘団「ハンニバル」も解隊したものと思われます。
2001.8.16 新規作成
2002.2.13 一部改定
2002.3.14 一部改定
2004.9.5 改訂版
2008.8.15 改訂2版
2018.8.1 改訂3版
2023.10.19 一部修正