強迫の闇の中で得たこと

愛情に飢えてるから、かえって分離できない


2004年06月07日(月)

私が 強迫を治す手がかりを求めて、
試行錯誤を続けてたとき、『エヴァ』 に出会った。

話題になってたけど、あまり興味なかった。
たまたま、25話を ぽーっと見てたら、
いきなり 「強迫観念」 っていう文字が 飛び込んできた。
それからの30分弱は、食い入るように観てた。
私が 本放送で観たのは、25話と最終話の26話だけ。
でも、すごく影響を受けた。

25話・26話では、
登場人物の心の中の葛藤が、
そのまま、そのまま、描かれていた。
アダルトチルドレンの心の中の葛藤、そのまま。
だから、私の心に もろに浸み込んできたんだろうなぁ。

初めて見た本放送は、録画も録音もできなかったから、
聞き漏らしたくないって、めっちゃ真剣に観た。
でも、それが よかったんだと思う。
自分なりに いっぱい感じて考えられたから。

観た後、その時に感じたことを 薄れさせたくなくて、
カレンダーの裏に、印象に残ったセリフとか書き殴った。
思い出した順に。

書いてる途中で、自分で思いついた言葉も いきなり混ぜ、
またセリフを書き、また混ぜ、 セリフと自分の思いつきが、ごちゃまぜ、
支離滅裂。 文法めちゃくちゃ。 o(- -;o

とにかく 手がかりが欲しかったから、憑かれたように書き殴った。
そうやってるうちに、自分の中で、何かと何かが繋がって…。

それを 闇にほうむり去りたくなくて、
ネットするようになってから、まとめ直したのが、
主に去年の4月下旬で、2003/04/30 の日記の続きが まだだった。



「もう、一人は嫌なのー」 って、叫んだアスカの声が 耳に残ってる。
アスカは、求めても得られない愛情に 見切りをつけ、
自分の力で、一人で生きようとした。
でも、本当は 愛情に飢えてた。
得られないから 憎んでた。

私も、そうだった。
でも、憎しみの奥にあるものを、認めたくなかった。
私は、自分を否定する者を否定することで、
自分を肯定しようとしてた。
強迫になってから…、その心のからくりは わかったけど、
水に流すことは、まだできない。

「だから、私は、ひとりで生きるの」 って言ってたアスカ。
でも、アスカの本音は、「もう、ひとりは嫌なの」
それは、本格強迫になる前の 私と重なる…。
私も、「だから、私は、ひとりで生きるの」 で、やってきた。
でも本当は、ひとりが怖かった。 すごく怖かった。



私も、母親から愛情を受けた印象が ほとんどない。
だから、母子一体化は ピンとこないけど、
母子分離は、なんとなく分かるような気がする。

それは、愛情に飢えていたから。
求めても 得られなかったから、子供の頃から、どっかで憎んでた。
憎んでたけど、一方で求めてた。 それって呪縛。
愛情が欲しいのに 得られなくて、
だから 憎んで、
でも 求めてしまって。
だから、分離できないんだと思う。

エヴァを観て、愛情に飢えてるから、かえって分離できないっていう、
意外な?心理が分かったの。

でも、その呪縛を はっきり自覚した段階で、
何かが変わると思ってる。

それが、呪縛から抜け出すための 第一歩なんだと思う。
ところで私は、あれから、25・26話を初めて観た 1996/03 から、
どのくらい変われたのかなぁ。

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