■ 友人から私に返ってきた 大切なモノ
2003年11月16日(日)
ほとんど 外に出れないほどの強迫が、どんなに辛いものか、
際限なく始終やってくる強迫観念が、どれだけ恐怖か、苦痛か、
不安が形を変え、回復具合の見当がつかない 焦りと不安、
強迫に振り回されてるうちに、過ぎ去る季節の残酷さ、取り残され感、
社会に出ていく年代なのに、計画や目標を立てられない焦燥感、
もともと理解されにくい強迫神経症、家族との衝突、
長期に渡ると家族も限界になり、 さらに衝突して悪循環、
病気の他に、偏見、疎外感、孤独感、無力感とも、闘わないといけない、
ありのままを否定されつつ育った者が、自己肯定感を得ることの難しさ…、
症状は違うけど、私と同じように 重症の強迫の友人の
こんな苦しみが、手に取るように分かる気がしたから、痛かったから、
友人には、絶対に幸せになってほしいと思った。
友人は若い。 未来がある。 絶対に、私の二の舞はしてほしくない、
そう思った。 一生懸命、私ができることを探した。
私が 強迫の闇の中で掴んだものを、全て伝えようとし、
友人の ありのままを、受け入れようとした。
でも、ネットと電話では限界があった。
特に、友人の症状の場合は。
結局、私は、何の力にもなれなかった。
でも、私がしなくても、 友人の入院先で出会った人たちが、
みんな、してくれた。 私は、友人には必要なかったけど、
入院時の経験が 友人の未来に繋がれば、それでいい。
私の望みは、友人が少しでも早く良くなり、
制限だらけの強迫から脱出して、自由を得ること。
友人の夢が叶うこと。
私は すでに、友人から、たくさんのものを与えてもらった。
友人の中の弱さを 認めることは、
自分自身の中の弱さを 認めることに、
本気で誰かを好きになることは、自分自身を好きになることに、
繋がっている。 本気にさせてくれて ありがとう。
この日記も、ある時期は、
半分は、友人に伝えたいことを 書いていたようなもんかな…。
その時期、この日記を読んでくれてる人は 少なかったし。
ちょうど、過去の自問自答の話や、私自身の考え方や、
エヴァから得たものや、そのへんのことを書いてた時期。
でも、その過去の日記を、
後から、わざわざ読んでくれた人たちが
いてくれて感激した…。o;T T)o
当時は、友人に伝えたくて 書いてたんだけど、
本当は、心の病に苦しむ人みんなに 伝えたかったから。
読み手が少なかったから、友人を意識して書いていた。
プラス、分かってくれる少数の人を 意識して書いていた。
まさか、過去の日記を 読んでくれる人たちが、
後から現れてくれるとは、思ってもみなかった。
泣きたいくらい嬉しかった…。
友人のためと思って してたことが、他の人のためにも?なって、
それは、私自身のためにもなった。
不調になった友人のために、
セロトニン関係やら、いろいろネットで調べた。
その時に得た知識が、今、他の人へのレスに役立って?る。
そして それは、私のためにもなっている。
外に出れない私が、今、できることは少ない。
でも、この10年間に得たことが、誰かの参考になってくれたとしたら、
それは、私にとって 大きな喜びだから。
だから私は、すでに、友人から、たくさんのものを与えてもらったの。
10年の歳月の重さが、気力を失わせていき、
治るのを諦めかけていた私に、治って外に出て会いたいと、
強く思わせてれたのは、友人。
もともと 外に出たいって言う思いは、強かったけど、
強迫の不安の方が、遙かに勝っていた。
10年間で一番強く、外に出たいと思わせてくれたのは、友人。
友人から、優しさや楽しい時間も、もらったし、
20歳頃に私が考えてたことや、その頃のパワーも
思い出させてもらった。
その他にも、私から私へ、たくさんのものが返ってきたの。
上に書いたようなことが返ってきた。
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