強迫の闇の中で得たこと

心の病は 「自分育て」 の期間


2003年11月24日(月)

これは、私の勝手な感覚なんだけど…、
心の病を抱えてる人は、その間、「自分育て」 をしてるんじゃ
ないのかな…。 まぁ、人それぞれ だろうけど…。



幼い頃に、親から 無条件の愛情を得られず、
自分や 自分を取り巻く世界に対する、基本的な肯定感を
得られなかった者は、その後の人生で、自分で、
その肯定感を獲得していかないといけない。

ある程度、無条件の愛情に近いものを得ていた者は、
心の病なんて、危険な賭けをしなくても、
普通の生活の葛藤の中で、それを獲得することはできると思う。



でも、無条件の愛情を ほとんど得られなかった者は、
心の病という危険な試練を 通り抜けないと、それを獲得できない。
中途半端な状態からは、基本的な自己肯定感なんて得られないから。

徹底的に自信をなくし、いろんなモノを失い、身ぐるみ剥がれないと
中途半端な自己肯定感 しか 得られない。
その中途半端な肯定感を、いったん失わないと、
その人の根幹となるような肯定感は、得られないんだと思う。




そして、その基本的な肯定感は、生きていく上で、すごく大切。
その人が、その人自身の価値観でもって、その人自身と世界を捉え、
自分の人生を生きるために、必要なもの。


基本的な肯定感を 得られないままだと、
どっかで、親の価値観から 抜け出せない部分が残ってしまう。
たとえ、親を憎んでいたとしても、親を否定 していたとしても、
親の価値観から、完全に自由になれていない。
憎みながらも愛情を求める呪縛から、解放されていないから。

無条件の愛情を受けずに育つと、
親から独立した、自分の価値観による世界を築きにくい。



だから、そのままの自分を 受け入れらえずに育った者は、
心の病の中で、自分育てをする。
親の代わりに、自分で自分を育てる。足りなかった分。

もちろん、いろんな人に助けてもらいながら。

もう一回、育ち直すんだから、時間もかかるんだろう。
いったん、心と体のバランスを崩しているから、
基本的な肯定感を 得られてからでも、
心の病の回復には、もう少し時間が必要なんだろう。

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