強迫の闇の中で得たこと

不完全だからこそ、他人と繋がれる


2003年12月14日(日)

2年ほど前に書いたメモ を、もう一度。 〆(..)カキカキ



2002/01/07. 自分へのメモ

適度な欠乏は必要だと思う。
お互いに助け合えば、なんとかなる程度の欠乏。
その程度の欠乏はあった方が、友達同士、家族同士、隣人同士、
繋がりやすいと思う。
助け合うことによって、他人の価値や自分の価値が実感できて、
精神的には、逆に満たされるんじゃないかな。


満ち足りてしまったら、かえって不幸だと思う。
人に 全然 迷惑かけずに生きていけたら、かえって不幸だと思う。

時々、自己嫌悪に陥ったり、
疎外感や無力感を感じた方が、逆に幸せだと思う。
時々、悩んで落ち込んで、時々、寂しい思いをした方が良い。

でないと、止まってしまいそう。 新たに生まれて来るものが、なくなりそう。
生きてるっていう感覚が薄くなりそう。

自己嫌悪は あった方が良い。
自分の中の醜い部分は あった方が良い。
それから目を そむけさえ しなければ。 自覚するのを忘れたり しなければ。



物質的にも 豊かすぎる社会より、適度に欠乏してる社会の方が、
適度に助け合わないと 生きていけない社会の方が、
必要に迫られて?人と人は、繋がりやすくなると思う。
結果として、精神的には満たされ、豊かになれると思う。

適度な欠乏の必要性は、人の心についても 言えるんじゃないのかな。
人は不完全だからこそ、他人と繋がりたいと思うんじゃないのかな。
もし、一人一人が完全で、お互いを必要としなければ、
他人を分かろうと 努力する必要もなくなって…、
そんなの不幸だ…。

その人の本当の苦しみが分かるのは、本人だけ。
でも、それぞれ違う認識のもとで、個別の世界に生きてる者同士が、
相手のことを、分かりきれなくても分かりたいと思い、
分かろうとする その気持ちが、お互いを救うんじゃないのかな…。

NEXT → 私にも、まだ 自由が残っていた!