はじめに

繰り返し 念を押されることと、強く迫る不安は似てる


2004年01月14日(水)

強迫の症状は、時々、私にヒントをくれた。
その中の一つについて。

本格強迫の数年目、自分の症状の出方を見てて、気づいたことがある。
電気のコンセントは、今は 気にならなくなったし、
ある時期までも、あまり気になってなかった。
でも、母親のある言葉がキッカケで、急に気になりだした。

その ある時期までは、
電気のコンセントは、確認強迫の対象から免れていた。
自分で抜いたと思ったら、納得できてたのよね。

でも ある時、母親が 「抜いたか?」 って、私に尋ね、
私が 「抜いた」って答えても、
母親は、しつこく 「本当に抜いたのか?」 って繰り返して…、
それ以後、 私の強迫に、コンセントが加わり、
コンセントも、何回も確認し続けるようになった。



せっかく自分で大丈夫だって思ってて、自信あったのに、
それを信用しない母親が、
何回も 「本当に抜いたか?」 と言ってくるのは、

大丈夫なはずなのに、
大丈夫だという自分の感覚を信用できなくて、
何回も 「本当に大丈夫か?」 と 強く迫ってくる 強迫の不安に似てる。
もちろん、強迫の不安の方が 遙かに厄介で苦痛だけど。



その時、悔しいけど、私の強迫の不安に
母親が大きく関係してることを、認めざるを得なかった。

で、幼い頃を振り返ってみると、
母親に 毎朝 何回も 「本当に忘れ物はないんか?」 とか、
念を押され続けてた。 「もう忘れ物ないったら〜」 って、
毎朝、私は 2〜3回は答えてた。
祖母に気を使いながら. いそがしくしてる母親の 不機嫌そうな声は、
私への疑いを 前提としてるように聞こえた。

忘れ物に限らず、いろんなことで、何回も念を押されてたな…。

そして、強迫が それと似た母親の言葉に、敏感に反応してしまった…。
ってことは、自分では大丈夫だと思ってるのに、
疑われる言葉、否定される言葉を浴びながら 育ったことと、
私の強迫って、繋がりがあるように思えるのよね…。




それから、これと似た祖母の言葉で、
幼い頃から、ずっと 忘れられないのがある。

幼い頃、初めて 自分で髪を洗って お風呂から出てきたとき、
祖母が、私の方を よく見もせずに
「ほぅ〜ら、石けんつけたまま 上がってきよったー」 って、
真っ先に大声で言った。 遠くからね。

遠くからだから、髪を洗った石けんを、
ちゃんとすすげたかどうかなんて、分かるわけないの。
それなのに、確かめもせずに、最初っから疑って、
決めつけて かかられたから、悲しかった。

お風呂に入る前に 「ちゃんとすすぎなさい」 って、しつこく言われたから、
自分では、よぉく よぉく、すすいだつもりだもの。
初挑戦した幼い子に、結果も見ないうちから、
そんな言い方、普通しないぞ…。



それ以後、私は、しつこいくらい、シャンプーをすすぐようになった。
もう充分と思っても、しつこく しつこく、まだ何回もすすいだ。
シャンプーが、ちゃんと すすげたかどうか、不安で。
すすぎ湯に 泡が全然なくなっても、まだ不安で。
強迫になる前から。 幼い頃から。

NEXT → 症状の回復は、らせん状に進む