強迫の闇の中で得たこと

世界を捉える中心は、自分自身に -2-


2003年04月30日(水)

以前、友人のBBSに 私が書いたものです ↓
日記用に 少し書きなおしてます。



2003/01/21
2回しか観てないし、o;T T)o
エヴァ本も読んだ事なく、 劇場版も観た事なく、o;T T)o
記憶も薄れた、私の勝手な感想の一部…。

シンジも、アスカも、ミサトも、アダルトチルドレン。 レイもかな?
親から充分な愛情を 得られなかったがゆえに、
そのままの自分に 価値を見いだすことができない。
だから、エヴァに乗る。


エヴァに乗ることで、 自分の価値を見つけようとする。
親に認めてもらいたくて、 期待に応えようとする子供のように。

確かにエヴァは、彼らの心の一部となり、
彼らが 自分の心をを維持していくために、必要なものとなる。
でも、エヴァに乗った自分が 自分の全てになってしまうと、
自分がなくなってしまう。

エヴァと一体化してしまうと、エヴァに取り込まれる。

それは、母子一体化の危険を 連想させる…。
エヴァは、母親の象徴だとも思う。 それだけじゃないと思うけど。
彼らは、エヴァから 自立しなければならないんだと思う。



ラストの画面の 「おかあさん、さようなら」 という文字は、
母親の価値観・世界感から独立して、
自分自身の価値観で
物事を見ようとする 決意の言葉だと思う。
他人の価値観でもって、世界を認識するのではなく、
世界を捉える中心は、あくまで自分自身にある、ということだと思う。

あそこで描かれていた世界は、シンジにとっての世界。
確かに、客観的には、一つの世界が存在してる訳だけど、
同じ世界なんだけど、捉え方によって、それは違って見えてくる。

シンジが、 自分自身の価値観で、
自分を取り巻く世界を、認識できるようになることが、
シンジ自身を救う、ことになるんだと思う。

そのことは、シンジに限らない。 他の人にも言えると思う。



シンジにとって、 いったん エヴァに乗ることは必要だった。
でも、エヴァに乗っただけでは救われなかった。
エヴァに乗って得た価値は、 他人の評価に依存した価値 だったから。
他人の評価に依存しない価値を見つけるという、
課題が残されてるから。

でも その後、劇場版ではどうなったか 知らないー。 o(- -;o



それまでのストーリーを 知らないまま、
いきなり TV版最終話の 25・26話を観た私には、
エヴァは、 “ よい子 ” という鎧に見えたな…。

NEXT → 愛情に飢えてるから、かえって分離できない