強迫の闇の中で得たこと

世界を捉える中心は、自分自身に -1-


2003年04月22日(火)

私が昔、悩んでた頃、いろんな人から、もらっったヒントを
今度は、私が 誰かに伝えられたらいいな…って思って、
昔のこと、うだうだ 書いてるんだけど…。
ずぇーんぜん、だっれの役にも立たなかったりしてー。 o(- -;o

とはいえ、やり始めたことだから、もうちょっと書く…。
過去の未熟な葛藤シリーズ。
昔のメモから。 昨日の日記の続き。
セリフは、『エヴァ』より。 …って間違ってるかも。 o(- -;o
ビデオなくて、観たあと 覚えてる範囲でメモったから。
順不同にメモりながら、途中で思いついた事を混ぜてます。



1996/03/27
…「人は、他人を見て、自分のイメージを形づくる」
…「人は、他人との関わりの中で、自分のイメージを形づくる」
…「自分ひとりだと、自分がわからない」
…「他人がいないと、自分がわからない」

…「最初に出会う他人は、母親」
…「僕は、母親とは別の人間だ」 「そう、別の人間」

…私が思ってる 「私」 が、私の全てじゃない。
…私は、自分を知らない。 自分の全てなど、わかりっこない。
…可能性は、いっぱいあるのだ。
…諦めかけてたけど、自分を好きになれるかも しれないのだ。
…私の正体は、両親とそっくりだと 思い込んでるけど、
…少しは、違うかもしれないのだ。

…「思い込みに合わせて、事実をゆがめて認識する」
…「現実は たくさんある」 「人の数だけ 現実がある」
…「あなたが望んだ現実」 「世界は変化の連続」
…そう、世界は変化の連続。 いつも始まりなのだ。 息絶えるまで。

…「何のために 生きてるの?」 「誰のために 生きてるの?」
…「私のために 決まってるでしょ」
…「本当に?」
…私は、本当に私のために 生きてたのか?



長くなるので、また途中まで。 これでも縮めたんだけど。 o(- -;o

TV版しか観てないけど、母子分離がテーマに思えた。
母親の価値観・世界観から独立して、
自分自身の価値観で、物事を見れるようにならないと、
本当の 自分の世界には、ならないんだよね。
本来、世界を認識するのは、他人の価値観ではなく、自分の価値観、
世界を捉える中心は、あくまで自分自身にあるんだ、
ってこと、
忘れちゃダメだよね。

確かに、客観的には、一つの世界が存在してる訳だけど、
その世界の認識の仕方は、個人ひとり一人によって 違うんだよね。
同じ世界なんだけど、捉え方によって、それは違って見えてくる。
世界を認識する人の数だけ、世界は存在するんだよね。

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