強迫の闇の中で得たこと

抑圧してた憎しみに気づいた


2003年04月14日(月)

子どもの頃、自分のことが嫌いだった。
成長してから、好きになれたと錯覚してた。
強迫になって、やっぱり、まだ 嫌いだったんだと思い知らされた。



子どもの頃、うすうす、母親のことが好きではないと
気づいていたけど、普段は、その感情を抑圧してた。

母親から愛情を感じたかったけど、感じられなかったし、
ほぼ毎日、洗脳のように、父親から母親の悪口を 聞かされていた。
心の底で、母親を敬愛できなかったは、洗脳?のせいも大きいと思う。

父親の理屈は、うさん臭い、ずるい、と思いつつも、
子どものおつむでは、ずるさの正体が わからなかった。
いつか、父親の嘘を暴いてやろうと思いながら、大きくなった。

小学校の中頃から、私は、母親のグチの聞き役になった。
父親や祖母の悪口を、 母親から たんまり聞かされた。
やっぱり…って、母親を不幸にする父親を憎らしく思った。



子どもの頃、
私は、自分自身も 肯定できなかったし、
母親のことも、父親のことも、肯定できなかった。
そのままの私が受容されてる、っていう感覚がなかったのが、
ベースにあったからだと思うけど、それだけじゃない。

両親から、お互いの悪口を 聞かされ続けてきたから、
そのことが、母親を肯定できないことにも、拍車をかけていたし、
父親を肯定できないことにも、拍車をかけていた。
そして、両親を肯定できない感情は、抑圧してた。



成長してから、
母親のことも、父親のことも、嫌いじゃなくなったと錯覚してた。
強迫になって、やっぱり まだ嫌いだったんだ…っていうより、
憎んでいたことを思い知らされた。

強迫の症状は、私の嫌な部分を拡大して、
私自身に 見せつけてくるように感じた。

母親を嫌うということは、
私の中の 母親に似てる部分を嫌う
ということでもあり、
父親を嫌うということは、
私の中の 父親に似てる部分を嫌う
ということでもある。
親子だから、当然、似てる部分がある。

私自身が嫌いで、
私の中の母親が嫌いで、私の中の父親が嫌い…、

という苦しい時期が、強迫になって何ヶ月かしてから、
数年くらいかな…続いた。

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