強迫の闇の中で得たこと

子どもの頃の、母親に対する感情


2003年04月10日(木)

農業してた頃は もちろん、
農業をやめてからも、母親の苦労は続いた。

農業をやめ、店を始めて、
共働きになっても、母親ばかりが忙しかった。
自己評価の低い父親は、そんな母親を見ても、
けなして、自分の自慢の足しにすることしか しなかった。

店を始めてからも、
祖母が君臨してることに、変わりはなかった。
店は、盆と正月以外、休みがなかった。
盆と正月なんて、嫁にとったら休みなんかじゃない。

父親がつくった 多額の借金問題もあった。
母親は金策に走り回り、毎月の返済に苦労していた。 20年以上。
落ち着ける時間なんて、なかったと思う。



小学生の頃、母親のグチの聞き役だった私は、
母親に尋ねた。 「どうして離婚しないの?」
母親は、「あんたらがいるのに、離婚できるわけないやんか」
私は、私たち子供のせいで、母親が ここから出れないのだと、
離婚できないのだと、思い込んだ。

本当は、母親本人に その気があれば、
難しいけど 苦労するけど、 離婚できなくはない。
でも 小学生の私には、そんなことは分からなかった。
確かに、当時は、今よりも ずっとずっと、
離婚しにくい社会だったとは思う。

今から思うと、当時の私は、
自分が 母親のことを好きではないことに、
うすうす気づいていた。

母親の苦労を、さんざん見てきたし、聞かされてきたから、
…嫁の立場は損すぎる…、共働きなのに 女は損すぎる…
…結婚したら、女には不幸しか待ってない…
…しかも、子供ができたら離婚もできなくて 最悪だ…
小学生の私は そう信じた。

…その上、苦労して 子どもを育てても、
…子どもは、母親のことを好きだとは 思わない…
…母親って、なんて浮かばれない立場なんだろう…
…絶対、母親になんてなりたくない、 子どもなんて産みたくない…
…結婚して子どもなんて産んだら、それこそ身の破滅だ…
そう思って、小学生の頃から 「絶対、結婚しない」 と自分に誓ってた。

私は、自分のことが好きじゃなかったから、
子どもなんて 産みたくないって、
なんの抵抗もなく思えたんだと思う。

ただ 苦労の中、育ててもらったことに 感謝はしてた。
私たち子供のせいで、母親は苦労から逃れられず、
申し訳ないと思っていた。

でも、そう思うと同時に 実は、
私は、心の奥底では 母親を憎んでいたことに、
強迫になるまで、気づいていなかった。

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