強迫の根っこに関わる、育った家庭環境 etc.

集団無視の卑怯さ


2003年04月04日(金)

ほんと、心って、なかなか納得しない。
「知る」 や 「わかる」 「理解する」 …には、 いくつものレベルがあると思う。

たとえば、
単に知識として理解する、っていうレベル。
心の上っ面、意識の領域だけで理解する、っていうレベル。
心の奥深く、無意識の領域にまで 深く浸み入って理解する、っていうレベル。
…この3つだけでなく、この間に、いくつものレベルがあると思う。

心の奥深くまで浸み入って 理解する、
心の底から納得する、っていうのは、なかなか なんだと思う。



昨日の続きー。

小学校5年以来、本当の自分は 嫌な奴なんだと、
いったん、本気で信じ込んでしまった私は、
それから7〜8年経って、ある程度、
自分を受け入れられるようになってからでも…、

小学5年の無視の原因が、
妬みだったなんて、どうしても納得できないでいた。
普段は忘れてたけど、私の奥ではくすぶってた。

集団で一人をいじめる卑怯さも、
他の子のケースでは 納得できるのに、
自分ケースにおきかえると、途端に納得できなくなった。

ただ、いじめの中心人物は憎んだ。

病気になってから やっと、私のケースでも、
みんなにも悪いところがあったと、思えるようになった。



相手に、一対一、で対せず、
集団を巻き込んで、「一対集団」 にもっていく、卑怯さ。
そして何も言わずに、無視という方法をとること。
対立を避けるための 無視ではなく、相手にダメージを与えるめの無視。

集団でやると、いじめる側の罪悪感が減る。
みんなで 一人をいじめれば、他から非難される心配なく、
安心して、いじめられる。 うっぷん晴らしに、ちょうどいい。

集団の心理って怖ろしい。
集団のパワーに、一人ひとりが 飲み込まれていくから。



病気になってからは、私も 何度か人を妬んだから、
妬みの感情の強さは、わかるようになった。
たった それだけのこと…、ではなかったんだと、
それも、充分 理由になり得るんだと。

なーんか 今日は感情的。 o(- -;o
この件を、ここまで文章にしたのは 初めてだからかな。

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