サンクト・ペテルブルグ歴史地区と関連建造物群 - (1990年、文化遺産)

「ヨーロッパに向けて開く窓」といわれるサンクト・ペテルブルグは、ピョートル大帝が18世紀初頭、
ロシア北部に荒涼とした湿地帯に記録的な速さで建設し街である。
その歴史は古くはないが、バロック様式と古典主義様式が一体となった街並みを今日まで残し、
ロシアでもっとも美しい都市と言われている。
ロシア革命翌年の1918年までのおよそ200年の間に、首都として政治、経済の中心であったばかりでなく、ドストエフスキーやチャイコフスキーが活動した芸術の都でもあった。レーニン死後の1924年、
街はレニングラードと改名されたが、ソビエト連邦崩壊後の1991年には旧名が復活した。

キジ島の木造教会 - (1990年、文化遺産)

湖面穏やかなオネガ湖に浮かぶ小島コジー。
ここには中世以来の木造の壮麗な聖堂群が残されている。
プレオブラジェンスカヤ聖堂は、いくつものタマネギ形小円蓋を重ねて
上方へ向かうリズムを刻む独特の美しい外観で見る者を圧倒する。
1970年代には、キジー島周辺のみならずロシア北部から伝統的な木造建築が、
保全を切望する世界各地の専門家の協力を得て、この島の南部に移築され、
今や貴重な「文化遺産の島」となっている。
キジー島全体も景観保存区に指定されている。


モスクワのクレムリンと赤の広場 - (1990年、文化遺産)

1147年、モスクワ川に沿う丘陵地帯の一面に、ロストフ・スズダリの公ユーリー・ドルゴルーキーが二人の盟友を招いて戦闘会議を開いたのが、モスクワの歴史の始まりといわれる。
大公イヴァン3世のもとで権力を強大化させたモスクワ大公国は、1480年に「タタールの 」から解放され、真の意味でのロシアの首都の道を歩みはじめる。
南に川面を望むクレムリンは、12世紀に創建され、今も14世紀から18世紀の歴史建造物が数多く残されている。
壕を隔てて15世紀に設けられた交易の場は、赤の広場とよばれ、活況を呈した。
かつては堅く門戸を閉ざしていたロシアの「石の心臓」も今はその貴重な遺産を世界に開きつつある。


ノブゴロドの文化財とその周辺地区 - (1992年、文化遺産)

バルト海とビザンティン帝国の首都コンスタンティノープルを結ぶ交易路の要衝に位置したノヴゴロドは、古くから繁栄した商都である。
12世紀には、貴族と市民を中核とするヴェーチェが政権を握り、共和政体の自由都市国家となる。
ロシア北部のキリスト教の中心地でもあり、中世末期には自由な気風がみられる独特な建築様式と絵画のる流派を生み出した。
15世紀後半にモスクワ大公国に併合されるまで中世ロシアの一時代を画し、また文化揺監の地としても歴史に名を残す古都である。


ソロヴェツキー諸島の文化と歴史的建造物群
- (1992年、文化遺産)

15世紀初め、ソロヴェツキー諸島の主島に修道院が建立され、
この島は、北ロシアの経済、文化、軍事の中心地となり栄えた。
1917年の10月革命後は、ソロヴェツキー島の修道院は政治犯を収容する刑務所として使われ、
この島から追放された修道士たちが残した多くの傑作が葬り去られてしまった。
1990年になって、ソロヴェツキー島に、小規模ながら修道士たちが共に暮らす共同体が新たに建設された。
彼らは、自分達こそがまぎれもない正当な島の所有者だと唱えている。
ソロヴェツキー諸島は、白海オネガ湾に浮かぶ6つの島で構成される諸島である。ソロフキという略称で呼ばれる。行政上はロシアのアルハンゲリスク州に属すソロヴェツキー区である。面積347km2、人口968人(2002年の調査)。
 歴史
15世紀にソロヴェツキー修道院をはじめとする壮大なロシア正教の修道院が発見され、それ以降は聖地として知られていた。
ロシア革命後まもなくレーニンの発令により、修道院の建物は「ソロフキ特別目的キャンプ」 へと姿を変える。その後強制収容所グラーグとして、特に1920年代に「反革命分子」とされた何千人もの人々が命を落とした。
 ロシア連邦
スウェーデンとの北方戦争で戦略上の要であったソロヴェツキー諸島には、その主島に修道院を囲むようにして防壁がつくられ要塞化した。
防壁内には、極めて重要な建造物群が残されている。
また、ここにはカトリックの激しい進出を食い止める全哨地でもあった。


ウラジーミルとスズダーリの白い建造物 - (1992年、文化遺産)

キエフに代わって実力をつけてきたウラジーミル・スズタリ公園では、
12世紀から13世紀にかけて数多くの聖堂や修道院が建立された。
白い切り石で建てられたそれらの建造物はピザンティンの様式から自立し、ロシアの風土に根ざした新しい伝統の芽生えを感じさせるものである。
その伝統は長い時を経て熟成し、16世紀から17世紀にひとつの高揚期を迎えた。
中世以来のおもかげを残す街並みは、ロシアの原風景を今に伝える心の故郷ともなっている。

セルギエフ・パサドの至聖三者セルギー・ラヴラの建築的遺産群 - (1993年、文化遺産)

トロイツェ・セルギエフ大修道院はロシアの正教徒のみならず多くのロシア人にとって、精神的支柱となったところである。
その歴代の修道院長は、何世紀にもわたり、ロシアの諸公国をモスクワ大公のもとにまとめる役割を果たしてきた。
トロイツェ・セルギエフ大修道院を構成する聖堂や宮殿の様式の特徴は、ロシアの伝統建築とヨーロッパの影響とが組み合わさっている点にある。
ロシア各地につくられた修道院は、このトロイツェ・セルギエフ大修道院を手本にしたところが多い。
 トロイツェ・セルギエフ大修道院を構成する壮麗な建物群は15世紀から19世紀にかけて様々な様式で建てられた。
ロシア正教の中枢として、この国の歴史の重要な舞台となったこの修道院には現代も多くの巡礼者が訪れている。

コローメンスコエの主の昇天教会
- (1994年、文化遺産)

1532年、モスクワ大公ヴァシーリー3世は、王子の誕生を祝って聖堂を建立した。
王子は長じてイヴァン雷帝とよばれ、人々から恐れられるようになる。
しかし、コローメンスコエの離宮の庭園に建てられたこの聖堂は、ロシア古来の木造建築の伝統を復活させ、ビザンティンの宗教建築技術と縁を切った象徴的な記念建築物として重要なものである。その天空をめざしてのびあがる様は同時代の人々の共感をよび、のちの東ヨーロッパの聖堂建築にも大きな影響をおよぼした。

コミの原生林 - (1995年、自然遺産)

コミ原生林はヨーロッパロシアの北東部に位置し、ウラル山脈北方の西部山麗一帯に広がるヨーロッパ最大級の亜熱帯林である。
中心となるユグヤド・バ国立公園は、日本の四国ほどの広さをもつ。
沼沢地と針葉樹の風景に代表されるコミ原生林には、さまざまな動植物を育む豊かな自然環境が残されている。
この魅了してやまない環境も、自然がおりなす天然の恵みから可能なかぎり経済的利益を得ようとする産業活動の前にさらされ、自然破壊の危機にさらされている。
しかし、世界遺産に登録されたコミ原生林では森林開発の誘致に歯止めがかかり、豊かな自然環境の保護に期待が寄せられている。

バイカル湖 - (1996年、自然遺産)

バイカル湖は九州よりやや小さく、面積3万500平方kmの大きさである。
三日月形をした湖の長さは640km、深さが最深部で1741mもある、世界最古で最大の貯水量を誇る湖である。
バイカル湖には350もの河川が流れ込んでいるが、流れ出るのは主要河川のアンガラ川のみで、たえず大量の新鮮な水が蓄えられている。
バイカル湖に生息する1500種の水生生物のうち固有の種は1000を超し、バイカル生物群として知られている。
この湖の代名詞となっているバイカルアザラシにとっては最良の生息地になっている。

カムチャッカ火山群 - (1996年、自然遺産)

ロシア連邦東端のカムチャッカ半島は、活火山が世界でもっとも集中している場所のひとつである。
シベリアと陸つづきの半島は厳しい自然環境のため実際には島に等しく、本来相容れない「火」と「水」がみごとに調和し、すばらしい景観を生み出している。
面積がわずか3万3000平方kmのカムチャッカ火山群のなかで、10座の活火山が活動している。
活火山の活動、厳しい寒さ、太平洋とオホーツク海がもたらす湿気などが組み合わされて、地質学上貴重な地勢を形づくっている。
動物の種の多様さは限定されるが、特定の種の数は多い。


アルタイの黄金山地 - (1998年、自然遺産)

西カフカース - (1999年、自然遺産)

カザン・クレムリンの歴史的・建築的遺産群 - (2000年、文化遺産)

クルシュー砂州 - (2000年、文化遺産)

フェラポントフ修道院群 - (2000年、文化遺産)

中央シホテ-アリン - (2001年、自然遺産)

ウヴス・ヌール盆地 - (2003年、自然遺産)

デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群 - (2003年、文化遺産)

ウランゲル島保護区の自然体系 - (2004年、自然遺産)

ノヴォデヴィチ修道院の建造物群 - (2004年、文化遺産)

ヤロスラヴリ市街の歴史地区 - (2005年、文化遺産)

シュトルーヴェの測地弧 - (2005年、文化遺産)




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