ソロヴェツキー諸島の歴史的建造物群

15世紀初め、ソロヴェツキー諸島の主島に修道院が建立され、
この島は、北ロシアの経済、文化、軍事の中心地となり栄えた。
1917年の10月革命後は、ソロヴェツキー島の修道院は政治犯を収容する刑務所として使われ、
この島から追放された修道士たちが残した多くの傑作が葬り去られてしまった。
1990年になって、ソロヴェツキー島に、小規模ながら修道士たちが共に暮らす共同体が新たに建設された。
彼らは、自分達こそがまぎれもない正当な島の所有者だと唱えている。

(1992年、文化遺産)

ソロヴェツキー諸島は、白海オネガ湾に浮かぶ6つの島で構成される諸島である。ソロフキという略称で呼ばれる。行政上はロシアのアルハンゲリスク州に属すソロヴェツキー区である。面積347km2、人口968人(2002年の調査)。

歴史
15世紀にソロヴェツキー修道院をはじめとする壮大なロシア正教の修道院が発見され、それ以降は聖地として知られていた。
ロシア革命後まもなくレーニンの発令により、修道院の建物は「ソロフキ特別目的キャンプ」 へと姿を変える。その後強制収容所グラーグとして、特に1920年代に「反革命分子」とされた何千人もの人々が命を落とした。

ロシア連邦

スウェーデンとの北方戦争で戦略上の要であったソロヴェツキー諸島には、その主島に修道院を囲むようにして防壁がつくられ要塞化した。
防壁内には、極めて重要な建造物群が残されている。
また、ここにはカトリックの激しい進出を食い止める全哨地でもあった。

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