さあさあと静かな雨が降る。 世界を壊さないように、世界を創り出すように。 銀の糸は降り続ける。 その鎧を打つ銀は、何を紡いでくれるだろうか。 |
+ 露になった、それは + |
夜の影に隠れるように、うずくまっていたその人物の姿を見つけることは、そう容易くはなかった。 何せ、図体はでかいくせして隠れるのが異様に上手い。 ようやく見つけた時には、オレの衣服はしとどに濡れていた。 「…中に雨溜まるぜ?」 手にした兜をいじくりながら、オレはそう声をかけた。 「いきなり逃げんじゃねーよ。オレ走れねーんだから」 それともあれか、嫌がらせか? 追いつけないだろうって? しかしそこに座り込んだまま、そいつは身動き1つしなかった。 まるでこちらの声など、聞こえてやしないとでも言うかのように。 苛立たしい。 「聞こえて…!」 「ボクは」 ようやく、声を発した。 兜のないままに、ぽかりと開いた空洞から響く、弟の声。 「兄さんを、捜してたんだ」 「…知ってる」 「兄さんを、見つけて。それで、済むと思った」 「…済まなかったな、それでは」 「うん。全部忘れてて。どうしようって思った」 泣いているのかもしれない。 唐突に、そう思った。 この男でもなく、自分でもなく。 もしくは、両方が。 「怖かったんだ」 空洞が話す。 「兄さんが、ボクを怖がったら、きっとボクは生きて行かれない」 不思議だよね、他の人がボクを珍しがるのには慣れたのに。 それでも、どうしても耐えられないものというのはあるのだ。 「…ごめんね、兄さん」 諦めた声音。 彼は何を怖がっているのか。それがようやく判った。 彼は、オレに自身を否定されることを恐れているのだ。 何を、勝手な。 そして悟ると同時にこみ上げる怒りのままに、オレは兜を元に戻すと、無理やりに立ち上がらせた。 戸惑う彼を無視して、ついて来いと顎をしゃくる。 「来い」 しばらくためらっていた足が、1歩踏み出したのを確認して、オレは先に歩き始めた。 この時ばかりは、力ずくで相手を引きずれないことが非常にまだるっこしくて仕方なかった。 思いのままにならない右手と左足が、これほど疎ましいと思ったことはなかった。 そうだ、判っていないのなら教えてやる。 お前はいつでも、余計なものばかりをオレに押しつけていくんだ。 +++ 私室に相手を先へと通す。 そして、逃げられないように後ろ手に鍵をかちりと閉めた。 所在なげに佇む彼に部屋の奥を指さし、そちらへと進ませた。その後をオレも追う。 白く綺麗な調度品に囲まれて、骨董品のような鎧が立っている。 その光景に、いつから自分は安堵を覚えるようになっていただろうか。 「えぇと…」 「そこ。立っとけ」 ちょうど相手の立つ位置はベッドの脇で、何気ない風を装ってオレは彼に近づいた。 かちりとクラッチの前腕を支える輪の留め具を外す。彼の左手に立ち、すっと杖を横向けた。 こちらを向いている相手の左ふくらはぎに位置する部分から、右脛へと斜めに杖を差し入れる。 「? 何…?」 「うる…っさい!」 オレは思いきり、渾身の力を込めて手にした杖を引いた―――要するに、てこの原理である。 「っ、うわ!」 当然、驚いたような悲鳴を上げて、彼は足元をもつれさせ、バランスを逸した。 そしてオレは乗り上げるように相手を倒し、彼をベッドへと沈めた。 鎧の100kgは超えるだろう重量とオレの体重を受けて、けたたましい悲鳴を寝具が上げる。 ずぶ濡れのオレはシーツに大きな染みを作ったけれど、今さら気にしてはいられない。 「あーあ、杖イカれちまった」 無理な方向に力を加えられたロフストランドクラッチは、見るも無残に、まるで前衛芸術のように曲がりくねってしまっていた。折れなかっただけ奇跡的と言えるかもしれない。 そして、100sを転倒させるだけの力を入れたせいで、すっかり左手も痺れてしまっている。 そうでなくても、この教団内での生活で重いものなど持つ機会がないのに。 「まぁいいや。また、直してくれよ?」 この間の、義肢のようにさ。 仰向けに倒れこんだ彼を、またぐように乗り上げて。 オレは彼の頭部の脇に、それぞれ両手をついた。 伸びた金髪が落ち、鈍く光る金属にさらりさらりと流れて行くのに、例えようもない感情を覚えた。 これは、きっと。 顔を近づけると、ふわりとオイルの匂いが鼻をつく。 いつ手入れしていたのかは知らないが、綺麗に磨かれていた。 「…エドワード兄さん?」 ようやく彼は、オレを名前つきで呼んだ。 やや冷静になりながらも状況についていけていないだろう彼に、オレは笑って見せた。 「なぁ、言っとくけど、オレは怒ってんだよ?」 「…え?」 「お前が」 ふんわりと、自分でも極上の笑みを唇には貼り付けて。 オレはそれでも激怒していると言っても良かったのだ。 「お前が、言ったんだろう? お前が、オレを…エドワードだと!」 オレに新たな名を与えたのはお前なのに、お前自身がそれに恐怖するのか? 「オレを、『そう』したのはお前じゃないか!」 肩口を思いきり殴りつける。左手からは痛みが、右手からは鈍い反動が伝わってくる。 「そうだろう、そうだと言え―――アルフォンス!!」 「…兄、さ」 「だから!」 彼の胸に額をつけ、その冷たさを感じながらも、オレの身体はそれに同化することはない。 それを悲しく思う気持ちと、別の存在であることへの幸福感。 「オレの知るアルフォンスは……お前だけだから」 だから、自分を否定するな。 自分を恐れるな。 お前に過去何があったのかは今は知らない。 けれど、お前がお前を拒めば、それはオレの存在自体が揺らぐのに等しい。 オレたちには、少なくともオレには、互いに互いしか残されていない。 自分のアイデンティティは、この空っぽの身体が支えているのだ。 「兄さん…」 ためらったように腕が止まった後、それはオレの頭へと被さった。 遠慮がちに撫でるその手に、自分の手を重ね合わせる。 「もう1度、呼んで?」 「…アルフォンス」 「もう1回」 「アルフォンス?」 「ずっと」 まるで子どもの駄々だな。 「…ありがとう」 鎧には表情はない。しかし声そのものには豊かな情緒が込められていて。 アルフォンスの嬉しそうな声に、オレもつられるように、笑った。 けれど、な。 ―――オレはお前を憎むよ。 +++ オレはお前を憎むよ。 オレはお前を恨むよ。 だって初めから、判っていたのだから。 予感はあったのだから。 お前が、オレを壊しに来たのだと。 覚えるはずのなかった醜さ極まりない劣情を、オレに植え付けに来たのだと。 ゆっくりと髪を撫で続けるアルフォンスの手はとても心地よく、まるであやされているような気分になる。 けれどいま、オレの欲しいものはそんな安らぎじゃない。 体格差ゆえに、彼が強く抵抗などできやしないことなど判っている。 上半身を起こし、彼を見下ろしたその時に。 オレは、自分の所業を知った。 「…くっ」 あぁ、だから。 『お前は』 この機に乗じたのか。 欲しかったのか。 だからこそ。 お ま え は 。 「く…はは、あははははははは」 隠しようもない笑いが唇から洩れる。 どうしようもなく醜い人間。 「…エドワード兄さん?」 「何でもない。…とんでもなく馬鹿な奴のことを思い出しただけだ」 そして、利己的で自分勝手な。 肩を震わせて笑うオレを不思議そうに見ているアルフォンスの兜を撫で上げて、オレは言った。 逃がさないように、有無を言わさぬように。 けして、抗えないように。 「―――抱け」 |
to be ... |