見ろ。
その目で、見てみるがいい。 あれは、お前だ。 複雑に組まれた錬成陣の前で。 己の望みを語り哄笑した男の声が、鼓膜に突き刺さり、オレに真実を知らしめる。 ―――あれは『お前』だと。 |
++ 神の坐す玉座 14(Side:E) ++ |
+ 独白は内に笑みを残す + |
記憶を失って、初めて神殿で目を覚ました時、周りに立ちこめていたのは白い靄だった。 いや、靄ではない。 その正体を、オレは毎日のように礼拝の時に目にしていた。 それをオレは、気づかない振りをしながらも知っていたのだ。 全てを霞がかった記憶の中へと放り込んで。 +++ アルフォンスがキトを連れ、神殿を後にした後も、オレは1人ずっと其処に立ち尽くしていた。 身体中から余分な力も必要な力も全部抜け、気だるい脱力感に襲われている感覚だ。 すぐ隣に目をやれば、いまだ床の上に惨劇の跡が広がっている。 子どもたちは目が閉じられ、そこらに置いてあったらしきキャンパス生地や薄い毛布が身体に被せられている。全てオレが情けなくもへたりこんでいる間に、アルフォンスがやったのだろう。 いちど心臓と脳に全ての血液が逆流してきたのではないだろうかというほどの熱さに襲われ倒れた後、今は一気に熱が引き、体温が体温ともつかないほどに肌寒い。 頭がくらくらとする。心なしか視界の端が少しばかり揺らぐ。 まだこの身体は、本調子ではないらしい。 長い間怠惰に暮らしてきたツケと言えば単なる自業自得だが。 ゆっくりと、部屋を眺め回す。 此処は、1人の男が妄執のままに生きた、部屋だ。 己の欲とに全てを捧げた人間の姿だ。 生と死と肉と血と、そして薬品の全てが掛け合わされた、むせ返るような匂いがこの部屋には立ち込めている。 それでも、このような室内であっても、もっとも腐臭を放つそれには欲望という名がついている。 きっと、今のオレからは同じ匂いがするに違いない。 この部屋の空気を吸って、染み付いてしまった男の欲と。 そして、すでに自身でも抑えきれないほどに膨れ上がった、己の欲と。 どうあっても、逃げられない…オレは、1人の哀れな男の影に、己を見てしまったのだから。 戸棚の中に、古い壊れかけた写真立てを見つけた。 伏せるように置かれていたそれを起こすと、割れたガラスの奥で知った顔の男が笑いながら小さな子どもを抱きかかえていた。 笑う男。笑う子ども。服装から、それは女の子であるらしい。 何処までもこの部屋の風景から、遠ざかっている過去の残像。 教祖を務めていた男が、過去に抱いていたこの子どもは、果たして彼の実子だろうか。 よくよく見れば、どことなく頬骨のラインが似ているようにも見受けられる。 男の姿かたちから計算すると、今この子はオレより少し下くらいだろうか。 まだ親の庇護が必要であろうに、彼女の姿はこの神殿の中にはない。数ヶ月の間に、1度たりとも見かけはしなかった。その事実が指し示すものを、オレはため息をつくと共に判らない振りをすることにした。 もう少し探せば、子どもの名前が判るかもしれない。男と男の子どもに何があったのか、書き記した何かが見つかるかもしれない。 (もしかすればその名もまた、『トゥリア』であったかもしれないが) しかしオレは余計なものに一切手をつけないまま、動こうともしなかった。 男の動機に、後からあれこれと理屈づける気はさらさらなかった。 「…あんたは」 ぽつりと、誰も聞く者のいない部屋で1人、立つ。 「あんたは、欲しいものに従順だった。……従順、過ぎた」 間違っているとか、犯罪であるとか、禁忌であるとか、そんな常套文句は本気の願いを持ってしまえば、耳には入らないのだ。 ただ己の信念のみに従順に。 それは大多数の人間も、そうであろう。己の望み、希望に向かって突き進もうとするその姿勢は。 しかし。 (オレたちには、それだけの技術があった―――) 世の理を知る錬金術師。 その業は世界の構造に則って施行される。 自分たちはその法則を知る者だと。 知ることを赦された者なのだと。 知識を持つ賢人であるがゆえに、いともあっけなく愚行に走る。 「…馬鹿なんだよ。あんたも、オレも」 もし欲望が他人の目にもそれと見ることができたなら。 男と自分のそれは同じく醜く肥大し、そして狂おしいことだろう。 似た魂を抱えていた。 望みへの在り方は、ほぼ相似だった。 ただ、その矛先が。 『真理』の下した罰が、異なっただけ。 これまで欠片も好意を抱いたことのない相手に、今初めてそれと呼んでも構わないような感情を覚える。 それはけっして抱いてはならない思い。 男の犯した罪を同じく目の当たりにしながら、口にしてはならない感情。 (―――だから) だから、せめて。 オレは隣の物置や戸棚を探し、ようやくアルコールランプとマッチを発見した。 軽く火を起こしさえすれば、後は錬成陣を描くことで調整が効く。 片膝をつき、顔だけは眠っているかのように穏やかな子どもたちの顔を眺めた。 血は拭われ、目を閉じただけのその姿は、生前の明朗な姿を想像させて有り余る。 「…ごめんな」 救えなくてごめんなさい。 助けられなくてごめんなさい。 気づかなくてごめんなさい。 気づきたくなくて、ごめんなさい。 (男の願いを直視することは、己の醜さを直視するようで辛かったのだと、この時ようやくオレは気づいた) 贖罪の口づけをその冷たい頬に。 懺悔の抱擁をその肢体に。 「ゆっくり、眠ってくれ…」 神殿のもっとも奥。 閉ざされた、教祖と呼ばれた男が作り上げた悪夢のような部屋に。 オレは静かに、火を放った。 空気の流れ悪い密閉空間も、オレが壁を開けたことで一気に燃え盛る場所へと化した。 試験管が音を立てて割れていく。 本棚がとうとう支えを失い、貴重であるかもしれない書物を炎の中へと投げ出した。 何が燃えているのか、肺深くに吸い込めば嘔吐しそうな匂いが何処かから放たれている。 壁は炎に愛撫され黒ずみ、熱された空気が上昇して、歪んだ部屋をオレに見せた。 そしてこの隠された研究室に残された、もう研究する者のいない探求の成果も、全て。 床に記された錬成陣も、開かれたままの文献も、そして何処かにあるはずの香も、全て。 燃え尽き、全ては灰となる。 そして部屋の中央では、今はもう動かない男の右腕に火が移るところだった。 その横手では、子どもたちの身体が次々と火に飲み込まれていっている。 胴のない子どもも、手足のない子どもも、なくした部分の方が多い子どもも。 全て分け隔てなく、業火は覆い被さって行く。 (…アルフォンス) 片手に火を持ちながら、オレは1人うめいた。 お前が、やったのだろう。 お前が、この男に。 最期をくれてやったのだろう。 その、鋼の腕で。 赦しをくれてやったのか。 アルフォンス。 空洞の身体を持つ、優しすぎる男の名前。 まるで麻薬のように、1度覚えてしまえば手放せない染み込む優しさを与える男。 その存在が、オレは恐ろしい。 そして同時に、心の何処かで、オレは願っていた。 不死なる身体を持つお前に。 人の欲から解き放たれたお前に。 赦しの刃を振り落とされれば、救われるのだろうかと。 金属の身体をオレの血でしとどに汚しながら。 オレの身体を貫く凶器を持つ、お前の腕を抱きしめながら。 お前の腕の中、微笑みながら息絶えてみたい。 ちらとでも頭を掠めた思い。 お前に死出の旅路を見送られた哀れな男が、少し羨ましい、だなどと… 「…はは、救いようねえな」 じゅっと火が音を立て、何だろうかと思えば、オレは自身が気づかぬ内に泣いていた。 顔を歪めもせず、しゃくりあげもせず、ただ涙腺から次々と透明な雫が伝い落ちていく。全く止まる気配はない。きっとこのまま、体内の水が枯れるまで止まりはしないのだろう。身体が泣けなくなっても、それでも涙は流れ続ける。 ずっと。 それを拭いもせず、気にも止めず、無表情でオレは涙を流し続けた。 「燃えてしまうといい……全部」 呑み込んでしまえ。 全てを。 その痕跡を何も残さないままに。 この場所で行われたことが、誰も欠片とて知る由無いように。 我が子が非人道的な殺され方をしたと知らされるより。 何処か遠くで生きているはずだと僅かな望みを繋げているほうが。 彼らの親は、生きていけるはず。 子を持たないオレには推測しかできないが。 罪を罪で覆い隠すくらいなら、この頼りない腕でもできる。 こみ上げてくるこの思いは何だろう。 彼らを普通に弔ってやれない懺悔だろうか。 必死で己に言い聞かせながら、震える腕でそこらに火を放ちながら。 ただ涙腺だけが、持ち主の意に沿い活動を続けて行くのだ。 ごおごおと、建物全てが断末魔の悲鳴を上げているかのようだ。 次々と柱が倒れ屋根が崩れ落ちていく。 熱を背に風に煽られ、赤々とした炎の光に右半身を照らされて、オレは焦ることもなく神殿を後にした。 この業火に溺れても構わないと、おそらく4ヶ月前であれば思っただろう。 共に逝くことも辞さないオレは、確かに過去に存在していた。 しかし、それでも。 済まない、ロムルス。 オレはまだ生きていたいんだ。 同じ穴の狢が何を言うかと、笑いたければ地獄で笑え。 どうせ又、会うことにもなるだろうよ。 街の人間が騒いでいるのが聞こえてきて、オレは彼らの目につかないようにこっそりと裏へと回った。 途中適当に掴み取ってきた薄汚れた外套を羽織り、せめてこの目立つ金髪が隠れるようにと祈った。 己の容姿に不便を感じたことはないが、ほとほと隠密行動には向かないと思う。 「うおっ」 「大丈夫か!?」 がらがらがら、と凄まじい轟音が屋根の崩壊と共に丘に広がり、群集がどよめいた。 すでに原型はおぼろにしか判らない。 そしてオレは振り返らずに、その場を後にした。 ―――『神の子』は、神殿と共に逝く。 +++ それほど苦労はせずに街外れまで辿り着くと、木陰に座り込んでいた大きな影が身じろぎした。 ぎしりと音を立ててこちらに向いたアルフォンスは、街での騒動をすでに知っているのか、オレの後ろに見えているはずの黒煙に何も言わなかった。 ただ彼が口にしたのは、穏やかな一言だけだ。 「お疲れ様」 「…あぁ」 彼の声を聞くだけで、ひどく安堵する己がいる。 「…キトは?」 「さっきね、親御さんが迎えに来てたよ」 「そっか」 あぁ、良かった。 ただ1人だけ、救えた少女。救えたと思い上がっても、少しは許して欲しいと思う。 それだけでオレ自身が、救われたように思えるから。 そう、オレは…救われたかったのだ。 「行くか、アル!」 「うん!」 お前と、オレ。 今さら離れられやしない。そうだろう? (お前だけが、ほんものだったんだから) アルフォンスには、ずっと言わないだろうことがある。 初めにあの神殿で目覚めた時の、その光景。 記憶の最も先端にある、教祖の顔だ。 オレはベッドに寝かせられ意識は朦朧としていた。 その周囲を取り囲んでいたのは、散々に見覚えのある香台と、そこから立ち上る白の煙だ。 それから先、ずっと嗅ぐことになった、香の薫りだ。 『……器には、最適だと思ったのだがな』 残念そうなそのセリフ。 意味が判ったのは、ロムルスがその身体を人のものではなくした時だ。 あぁ、この男は。 オレの術に慣れた身体と術に慣れた生命が欲しかったのだ。 そしてオレ自身も男も知らなかったことだが、オレの身体はある意味でこれ以上ないほどに実験体として相応しく、そして不適格だった。 だから男は『オレの』生命は諦め、他の生命を求めようとしたのだ。オレが格好の撒餌であることに気づいて。 それは幸いなのか不幸であったのか。 オレにとっては、再利用のようで当然ながら面白くない。 あの、目覚めの時。 まだオレは香の効能に慣れていず、そして今から思えば結構な量が焚き染められていた。 おそらくは、あの時に多少は刷り込まれていたのだろう。 己の現状を受け入れるようにと。己の存在に疑問を抱かぬようにと。 薄い薄い暗示は、しかしオレの中で強固に作用してしまった。 オレ自身が、捨て去ることを何処かで望んでいたために。 「…うん、これで良し」 アルフォンスが太いながらも器用な指先で、オレの腰に細い鎖をつけてくれた。 その先にぶら下がるのは、細かな技巧が施された銀に輝く時計だ。 軍の狗だろうと何だろうと構わない。お前が与えるものなら、オレは首輪だろうとおし頂いて巻きつけよう。 2人だけで、歩む旅路。 これまで屋内でしか生活した記憶がないのに、それでもお前といるのはひどく心地よい。 「あのね、エドワード兄さん。軍部の人ってね、みんなとってもイイ人たちだよ」 「軍人なのにか?」 「うん。みんな凄く優しいんだ。ボクたちに良くしてくれててね。エドワード兄さんがいなくなった時なんて、大佐も顔色変えてたんだから」 ふぅん、と相槌を打つ(自分のことであるくせに)。 オレがそこまで他人に構われる存在であったということが、何処か信じられない。 アルフォンスの態度から察するに、オレの性格はそこまで変わっていないはずだ。この性格は我ながら社交的なほうじゃないと思う。 「…兄さん、気をつけてね」 「何が?」 「忘れてるなんて知ったら、きっと兄さんめちゃくちゃにされるよ……ショック療法〜とか言って」 「…気をつける」 どうも今のアルフォンスのセリフから察するに、風変わりな連中ばかりなんだろう。 多分一筋縄じゃ行かない連中のような気がしてならない。 後でその予感が的中することを今は知らないまま、オレはアルフォンスの話を聞いていたが、ふと彼の言葉を遮った。 「そうだ、アル」 「なに?」 「…名前、な」 初めは自分から言い出したことなのだが、何時の間にか自身が落ち着かない側になっていた。 「…好きに呼べ。無理に名前呼ばなくてもいい」 「何で?」 「…お前が、オレを呼ぶんだから。お前が呼んでくれるなら、判るから」 「うん…判った」 ありがとう、とアルフォンスが笑った。 エドワードと名前で呼べ、と言った時の、彼の躊躇いを思い出す。 表情はなくとも、感情は直接であるかのように伝わってくるから不思議だ。 「よし、アル」 「うん、エドワー…」 「…判ってねーじゃねーか!」 「……あはは…」 ごめん、癖になっちゃってるね。 はじめはあれだけ、名前1つ口にするのにおどおどしていたくせに、適応だけは人一倍いいときた。 オレは怒ったように彼の身体を軽くこづいて、そして罰としてアルフォンスの肩に乗りあがった。 肩の刺に気をつけさえすれば、オレの体格なら余裕で座り込めたりする。 それにいい加減、情けなくも疲労が表に出始めてきたので。 全く情けない。 元々の基礎はしっかりしているようなので、これから鍛え直さなければ。 やれやれ、リハビリも大変だ。 「…落ちないでね?」 「そこまでヘマはしねーよ」 兄に向かって、と靴のかかとで胸元を蹴るとカーンと澄んだ音がした。 オレの同行者、アルフォンス=エルリック。 現在オレを肩に乗せながら、人間金庫と化して旅の空。 あぁ、たぶんこれが日常なのだなとオレは空を見上げた。すかさずアルフォンスの大きな掌が、オレの背を軽く支えてくれる。 いい気分で彼の視界を塞がないよう気をつけながら、オレは彼の頭を抱きしめた。 「ふふっ」 「…ご機嫌だね、兄さん」 「あぁそーだよ。うん、いまオレすげぇご機嫌」 しかしその理由だけは、お前は一生知ることがない。 教えやしないとも。 教えるわけがないさ、お前にだけは。 オレはアルフォンスの肩で足をぶらぶらさせながら、再びくすくす笑った。 機嫌良くしているオレの様子を伺って、彼もまた弾んだ声でこれからの展望を語り、そしてオレもそれに応える。 さぁ旅を始めよう、アルフォンス。 何も持たないけれど、それでもお前とオレは此処にいる。 お前にとっては2度目の。オレにとっては初めての旅立ちだ。 やり取りだけは希望に満ちていながらも、オレは彼が表情を窺えない体勢なのをいいことに、うっすらと笑いを浮かべ続けていた。 醜い利己主義を凝り固めた、それはそれはひどく薄昏い笑みだろう。 +++ 果たしてお前は気づいているか。 どうしてオレの記憶がなくなったのだと思う、アルフォンス。 列車事故に遭遇した後遺症? 濁流に飲まれた衝撃から? それとも、目覚めに調合された香を嗅がされたから? どれもこれも、正しくて。 そして―――どれもこれも間違っている。 オレが記憶をなくしていることを知り、お前は心を痛めオレの側に立った。 少しでも思い出に繋がることをと、必死で得意ではないだろう世間話を次から次へと言い出して、そしてオレの反応に一喜一憂する。 そんなお前を見て、オレは幾ばくかの痛みを感じながらも…その裏で、笑っていたんだ。 何処かで、すでにオレは自覚していた。 オレの罪。 オレの想い。 オレがお前に対して重ねた、また新たなエゴ――― オレは望んで、自ら記憶を手放したんだ。 辛かったのだろう。ひどく。 心の底が引きつれぐちゃりと開いた傷口からは、どろどろとした執着という名の汚物が溢れ出そうになっていた。 もう、耐えられそうになかったのだ。 (―――だから) 列車事故は、一生に1度あるかないかのチャンスだったのだ。その時のオレにとっては。 実の弟に抱く感情に己をも見失いかけていただろう、自分が。 その苦しみからひと時でも逃れ、浅ましく生き延びるために。 そして、手に入れるために。 望んだものを。 一生、手放さないために。 オレは手に入れたよ。 覚えているか。 オレが嗤ったことを。 初めてお前の腹に跨り、哄笑した夜のこと。お前がこの街で、初めてオレの身体を拓いた夜のこと。 もうその時には判っていたんだ。直感で、理解していたのだ。 オレはお前を手に入れるためだけに、他の全てを捨て去っても平気だったのだ。 そんな、ひどく馬鹿で愚かで身勝手な、そういう男なのだ自分は。 お前が欲しかったがためだけに、お前に関わる付随物であろうと躊躇いなく削り取った哀れな男が此処にいる。 アルフォンス。 あぁ、こんな兄で済まない。 そして謝罪と同じ声音で、平然とオレはお前に告げよう。 ―――オレは、絶対に思い出さないよ。 お前のことを。 お前が弟であるということを。 知識をいくらお前から教えられても、実感などするものか。 お前との思い出も全て捨てて、そして心優しいお前がどれほど辛い思いをしようとも。 それでも、このオレは望んだ。 さぁ、アルフォンス。 互いに鎖をかけ合おう。 この身体に塗りたくられた罪の色を、それでもお前は綺麗というから。 (同じところまで…堕ちるといい) お前はオレを捜してやって来た。この小さな国に、突然お前は現れた。 ぬくぬくと目隠しをされて生きていたオレの目の前に、割り入ってきたのはお前だよ。 オレを見つけ、オレの前に立ったのは、お前。 「アルフォンス?」 「なに、兄さん?」 「…名前、呼びたかっただけ」 そう、と深く追求もせず、お前はオレを支える腕を具合良いように動かした。 いるだけで人に安心感を与えてくれる人間とはいるものなんだな。お前の存在そのものが、オレを存在させているんだ。 オレが口にしたのは、大事な大事な『弟』の名前。 それはかけがえのない、全く知らなかった男の名前。 そして。 ずっと欲しかった、男の名前。 そうだとも。 手に入れたのだから。 絶対に、何があろうとも。 思い出してなんか、やらない。 苦しめばいい。 もがけばいい。 これからも日々の端々で、オレはオレの中に、お前との過去が存在しないのだと突きつけるよ。 少し悲しげな風を装いながら、うな垂れて見せるよ。 その度にお前は、深くオレを抱きしめるだろう? オレたちはこれまで、互いに互いを絡め取ろうと醜く足掻いていたのだ。 まるで、これを逃せばもう何も残らないのだというように。 そして最後の最後、1番太い鎖を投げつけたのはオレだった。 自ら絡まったのは―――他でもないお前。 判っていないのなら、いつか微笑いながら言ってあげよう。 お前が、あの閉ざされた園の門をくぐってしまった時点で。 オレの勝ちは決まっていた。 お前は負けてしまったんだ、アル。 群集の中で騒ぎ立てていたお前の姿を見た時に。 心の奥が歓喜に叫んだのを確かにオレは聞いていた。 (捕まったのは―――お前だよ愛しいアルフォンス) この愛情という名の妄執を免罪符に。 オレはお前と共に生きよう。 それがどれほどの罪であろうと、最後の審判で笑いながら地獄の業火に焼かれてやるさ。 1000年続く永遠の責め苦にも、オレは喜び勇んで臨むだろう。 神サマ。 もしアンタが存在しているのなら、この真っ黒な羊を今だけ泳がせてやってくれ。 何と愚かな奴だと呆れながら、見下して放っておいてくれ。 欲しいものは手に入れた。 これ以上オレが望むものなど、何もない。 ―――神の嘲笑響く旅路を、オレはお前と2人で歩くよ。 |
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