この河童、普段は河童の穴に住んでいた。河童の穴は、江迎の高岩まで続いているといわれていて渕の奥深い所に あって、人間には一寸見つけることのできない所にあった。
大楽院の馬騒動以来、河童は非常に人間ぎらいになっていた。
河童の穴があった河童渕(改修前の写真) 河童は、雨が降ったりして、川の水がふえると、川の中の石を、ゴロゴロ動か して堰を作り、川水を上流へ押流して下から上へ流れたら、約束のようにまた悪戯を始められるだろうと、 はかない工事をするのだったが、それで、水が減って、渕が浅くなるのが一番きらいだった。
河童渕の水神
日頼りがつづき、旱魃になると、人間はこの河童の心理をうまく利用して雨乞いの代用にするために、河童の穴がある渕の水を干す作業をしたので、穴の中の河童は驚いて、穴のありかを知られると大変だと、あわてて雨を降 らして、渕の水を一ぱいにするのだった。
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<鹿町町郷土誌 郷土誌編纂委員会 鹿町町 昭和58年3月発行より>
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